戦前の貴重な「古地図」をネットで公開、日吉村や大綱村、新田村の時代もたどれる | 横浜日吉新聞

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日吉村のとなりは、桃の名所で知られる綱島温泉駅――。横浜の大正から昭和前期にかけての貴重な地図や名所図絵などがインターネット上で自由に見られるようになり、1920(大正9)年から1949(昭和24)年までの地図ほか12点が公開されました。

横浜都市発展記念館が今年4月に公開した「横浜地図データベース」では、ブラウザ上で地図や図絵を拡大して見ることができる

これは「横浜都市発展記念館」(日本大通り駅至近)の公式サイト内で、「横浜地図データベース」と題して、今年(2019年)4月から新たに設けられたもので、大型の交通地図や鳥瞰図、案内図、明細地図などがブラウザ上で閲覧することが可能になっています。

都市発展記念館によると、こうした大型の地図は館内で展示した場合も、細かい部分までは見えづらいことが多いため、公開のあり方を考えていくなかで、インターネット上で自由に拡大して閲覧できる形で公開したといいます。

たとえば、現在公開されている地図を見ると、1930(昭和5)年の「東京日日新聞附録 大横浜最新明細地図」では、「大綱村」だった綱島一帯が横浜市へ編入されたものの、まだ日吉周辺は「橘樹(たちばな)郡日吉村」で、高田周辺も「都筑(つづき)郡新田(にった)村」となっていることが確認でき、今の住所では消えてしまった「小字(あざ)」も見どころです。

日吉(橘樹郡日吉村)と綱島(横浜市北綱島町/南綱島町)と高田(都筑郡新田村)が3つの自治体に分かれていた頃の地図(1933=昭和8年「東京日日新聞附録 大横浜最新明細地図」=横浜地図データベースより)

また、1940(昭和15)年の「最新大横浜市明細地図」では、日吉駅前が日吉本町の住所とは別に「学園都市住宅地」と表示されていたり、北綱島町の範囲がいびつな形になっていたり、現在の住所表記とは異なるさまざまな変化を感じることができます。

都市発展記念館では、同館が所蔵する半世紀くらい前までの地図や図絵を中心に随時追加していく予定もあるといい、今後は高度経済成長期あたりまでの戦後の地図もインターネット上で見られるようになるかもしれません。

)見出し左の画像は1935(昭和10)年「横浜市鳥瞰図」より=横浜地図データベース

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【参考リンク】

横浜地図データベース(横浜都市発展記念館)

横浜市三千分一地形図(横浜市建築局、※現在新サイトへの移行中につきPDF版で暫定公開中)


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