日吉村・綱島温泉・古地図…「地域の歴史」をたどれる記事ランキング | 横浜日吉新聞

横浜日吉新聞

明治末期と現在の日吉の地図(「今昔マップ on the web」より)

戦前の日吉村や綱島温泉など日吉・綱島・高田の歴史にかかわる「横浜日吉新聞」の記事をランキング形式でご紹介します。外出が難しいこんな時だからこそ、バーチャル上でタイムトリップしてみませんか。

横浜日吉新聞が創刊した2015年7月から今年(2020年)4月末までに公開した3700本超の記事のなかから、地域の歴史に関する内容を10本集めてみました。カッコ内は記事公開日とこれまでのページビュー数(PV=表示された数)。

  1. そうだったのか!「日吉・綱島」の古地図から見えてきた7つの意外な発見(2016年5月8日)(53,655)
    → 現在の地図上から明治末期までの古地図を比較できるサイト「今昔マップ on the web」を使い、地図を通じて100年以上前の“風景”を振り返った内容の記事です。個人的に一番の驚きだったのは「矢上川」の大変化で、明治42(1909)年版には、曲がりくねって流れていた当時の様子が記録されており、その後の地図では徐々に“直線化”していく様子も収められています。直線化した川の跡が「三日月湖」として残され、その後に埋め立てて田畑を経て住宅地となる――そんな変化が地図上から楽しめます
  2. <コラム>自らの利益のため「日吉村」を引き裂いた大都市横浜と川崎の罪(2016年1月3日)(26,710)
    → 「日吉」という名が今も川崎市側(南北加瀬や新川崎駅あたりまで)の公共施設に残っているのはなぜなのか。戦前に存在した日吉という一つの村が横浜市と川崎市に分割されてしまった際の経緯をまとめたコラムです。もし、日吉村が丸ごと横浜か川崎に吸収されていたら、どんな運命になっていたのでしょうか。分割後の市境となった「矢上川」を越える度にそんなことを想像してしまいます
  3. 日吉駅周辺は何もない山の中!自分の住んでいる場所の100年間が見える面白地図サイト(2016年5月4日)(22,858)
    → 1位の記事にある「今昔マップ on the web」を紹介した記事です。大正末期に日吉駅や綱島駅が開業する前の地図が見どころで、田んぼや畑や丘だった地が駅とともに街が形作られていく様子は、五島慶太氏が率いた当時の東急電鉄による「田園都市」開発への執念のようなものを感じさせられました
  4. 戦前の貴重な「古地図」をネットで公開、日吉村や大綱村、新田村の時代もたどれる(2019年5月28日)(11,860)
    → こちらは「横浜都市発展記念館」が最近公開した古地図のデータベースで、横浜中心部の地図が中心ですが、一部の地図は日吉・綱島・高田の周辺まで収録されています。興味深いのが1933(昭和8)年の地図。日吉は「橘樹(たちばな)郡日吉村」、綱島が「横浜市神奈川区北綱島町/南綱島町(この頃はまだ港北区が分割されていない)」、高田は「都筑(つづき)郡新田村」と3つの“自治体”に分割されています。80年以上経った今では、これだけ近いエリアなのに出自が異なるというのも不思議な感覚です
  5. <コラム>引き裂かれた日吉村、次に来たのは大迷惑な日本海軍とアメリカ軍(2016年1月10日)(9,943)
    → 2位のコラム「自らの利益のため『日吉村』を引き裂いた大都市横浜と川崎の罪」の続編といえる内容で、戦後の米軍占領期も含め日吉にとって“暗黒の時代”を取り上げています。日吉と戦争の関わりについては、「日吉台地下壕保存の会」などの市民団体と慶應義塾大学が多くの資料や著作を残しており、記事はそれらをもとに戦争前後の様子をまとめた形といえます。死を覚悟した出征から戻ってきたら家が全焼していたという箕輪町の農家・小嶋英佑(えいすけ)さんが著書に残した一文が個人的には心に沁みました
  6. 50年前の港北区小学生向け資料集を発見、日吉や綱島の大変化期の描写に注目(2017年2月19日)(7,324)
    → 1960(昭和35)年代の小学3年生に使われていた社会科の副読本「わたしたちの港北区」を紹介する記事です。緑区や青葉区を含んでいた当時の港北区の巨大さに驚かされるとともに、「みどりのおかは、すっかりかわって、赤土のもりあがったひなだんのようになってしまいます」などという記述からは、乱開発に翻弄される区民の困惑ぶりが伝わってきます。隙あらばマンションと住宅ばかりが埋め尽くしていく今の時代に読んでも、心に響く何かがあるのではないでしょうか
  7. <開港資料館>綱島温泉を発見したのは誰か、戦前までを振り返る研究を発表(2018年3月19日)(5,237)
    → 花街として発展した経緯もあり、昔から住む人にとっては、どこか語りづらさもある綱島温泉の歴史。そんな街の栄枯盛衰を掘り起こして記録してくれる研究者はいないものか、と長年思っていたら、横浜開港資料館にいらっしゃいました。同館調査研究員の吉田律人さん。記事は吉田さんによる綱島温泉をテーマとした初の講演をまとめたもので、温泉の誕生から戦前に一度その灯が消えるまでの歴史を知ることができます。今、世界中が新型コロナウイルスに翻弄されている状況にあるためか、戦争の悪化で綱島温泉が歩みを止めざるを得なかった当時を想像すると、あらためて胸を打たれます
  8. <日吉本・綱島本紹介>慶應時代に日吉で過ごした“裕次郎”を描いた石原慎太郎作品(2018年6月25日)(3,034)
    → 日吉や綱島が登場する文芸作品を探してみたい、との思い付きから始めた不定期連載ですが、1年に1回の掲載というペースとなってしまい進んでいません。連載の第1回は石原慎太郎のデビュー作。弟である石原裕次郎の慶應義塾高校時代を題材に作品化したという『灰色の教室』を取り上げています。日吉の描写は多くないのですが、一橋大学出身の石原慎太郎が皮肉たっぷりの筆致でK学園(慶應義塾)を描いているのが興味深いところです
  9. 「綱島温泉」での貴重な行状記、太宰治の墓前で絶命した退廃作家が遺す(2019年8月14日)(2,545)
    → 綱島温泉が登場する文芸作品は戦後を中心にいくつかありますが、太宰治の弟子としても知られる田中英光(たなかひでみつ=「えいこう」とも)の作品『暗黒天使と小悪魔』が一番強烈だったので取り上げました。好きな人にはたまらない荒くれた私小説ですが、客観的に見ると、女と酒におぼれた呆れるばかりの主人公が出てきます。脈絡なき作品内容はともかく、戦後すぐの綱島温泉の一断面が見えてくる作品であることは間違いありません
  10. 日吉が生んだ母思いの横綱「武蔵山」に迫る、綱島諏訪神社の草相撲で力育む(2019年3月12日)(2,361)
    → 日吉と綱島で育った神奈川県で唯一の横綱「武蔵山」。2019年は没後半世紀ということで、大倉山の大倉精神文化研究所が武蔵山の歩みをまとめており、今も研究が続けられています。記事では平井誠二所長による2019年3月の講演「第33代横綱 武蔵山~日吉の孝行息子」を収録しています。平井さんの講演からは、武蔵山が日吉と綱島の人々に愛され、地域に育てられた力士であったことが伝わってくるのではないでしょうか

カテゴリ別記事一覧