イトーヨーカドー綱島店が閉店へ、温泉街だった西口再開発の象徴施設 | 横浜日吉新聞

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温泉街からの転換を図った綱島西口で象徴的な存在だった「イトーヨーカドー綱島店」(綱島西2)の閉店が明らかになりました。

きのう(2024年)3月11日に日本経済新聞と読売新聞が相次いで報じるとともに、綱島店を知る複数の関係者も8月ごろにも閉店する見通しであることを明かします。

イトーヨーカドー綱島店(2月16日撮影)

イトーヨーカドー綱島店をめぐっては、昨年(2023年)11月の時点で閉店するとの話が地域で話題にあがっており、セブン&アイ・ホールディングス(東京都千代田区)は「現時点ではお話できない」(同月の取材時・広報担当)としたものの、以降、綱島の商業・開発関係者の間では「春に正式発表して夏ごろには閉店する」との情報が広く知れわたる状態に。

同店を知る関係者によると、今回の閉店は本社が進める全国的な店舗閉鎖の一環によるもので、「残念ながらリストラの対象に入ってしまったのは、店として赤字だったのだろう」といいます。近年は同店内のテナント撤退も相次いでいました。

同店が入居する地上4階・地下1階建ての建物は、現在のナイス株式会社(鶴見区鶴見中央4)の前身である当時の日榮住宅資材が1982(昭和57)年に建設し、イトーヨーカドーを誘致。2004(平成16)年には大手信託銀行に売却され、現在は同信託銀行が所有しています。

地下1階から4階まで5つのフロアがあり、屋上は駐車場となっている(2月16日撮影)

イトーヨーカドー綱島店の閉店後は、一定の時間をかけて跡地活用の議論が行われるとみられますが、現在の建物を建て替える場合には、鶴見川に近い立地という環境もあり、土地のかさ上げを行う必要があるとされています。

かつてオープン間もない1982(昭和57)年の豪雨では、食品売場などを置く地下フロアに水が入り込む被害を受けた経験もあるだけに、何らかの対策が求められることになりそうです。

3つの温泉旅館跡に1982年オープン

温泉旅館街だった綱島西2丁目で「石水亭」など3つの温泉旅館跡地(約5000平方メートル超)を使って1982(昭和57)年3月にオープンしたイトーヨーカドー綱島店。

イトーヨーカドー綱島店が建つ区画ではもともと3つの温泉旅館が営業していた(2月16日撮影)

東海道新幹線の開業で温泉地の熱海などが身近になったことや、駐車場が少なく自家用車で訪れづらい環境もネックとなって衰退しつつあった綱島西口の温泉旅館街で、同店は新しい街の核として誘致された商業施設でした。

オープンの10年以上前から当時の日榮住宅資材(現ナイス)が土地を入手して開発を構想したものの、周辺の商店街から激しい反対運動を受けて停滞。その後、地元の19店をテナントに入れるなどしてオープンにこぎ着けた経緯があります。

至近の「ユニー綱島店」(綱島西3、2004年閉店)や「マルエツ綱島店」(綱島西1、2005年閉店)、商圏がかぶった箕輪町2丁目の「アピタ日吉店(サンテラス日吉)」(2015年閉店)など周辺の全国系スーパー相次いで閉店するなかでも現在まで存在感を発揮し、綱島西口を代表する大型スーパーとして40年以上にわたって営業を続けてきました。

イトーヨーカドー綱島店前にある「パデュ広場」は綱島西口の中心的な場所(資料写真、2020年撮影)

一方、1980年代に温泉旅館街から商業・住宅地に転換した西口では「再再開発」の時期を迎えつつあります。

大型温泉施設として全国的に知られた「行楽園」から転換し、西口再開発の端緒となった店舗兼マンション「ニックハイム綱島第一」(1980年建設)では「マンション建替組合」が設立され、今年1月に市から認可を受けています。

今回、温泉旅館街からの再開発時に中心的な存在だったイトーヨーカドーの閉店が明らかになったことで、西口での“再再開発”の動きが加速する可能性があります。

【関連記事】

ヨーカドー綱島店は8月18日閉店、駐輪場不足や人通り減少に不安の声(2024年4月6日)リンク追記

【参考リンク】

イトーヨーカドー綱島店(店舗案内ページ)


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