【地域インターネット新聞社による主催イベント案内】慶應義塾大学の中でも港北区、そして日吉地区を深く知るであろう教授が登壇。今後、どのような「地域まちづくり」が、これからの駅前商店街やその周辺に求められていくのでしょうか。
一般社団法人地域インターネット新聞社(箕輪町2、橋本志真子代表理事)が来月8月19日(金)14時から16時20分まで開催する公開イベント「相鉄東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」。
相鉄東急直通線で新たに結ばれる、日吉駅前に位置する慶應義塾大学(日吉4)と、羽沢横浜国大駅(神奈川区羽沢南2)が最寄りとなる横浜国立大学(保土ケ谷区常盤台)の両大学教授が、新たな地域まちづくりへの提言をおこなう予定です。
慶應義塾からは、商学部教授で同大学産業研究所(東京都港区)の副所長を務める牛島利明さんが登壇。
かつて日吉の街を一世風靡(ふうび)した地域連携交流プロジェクト「ヒヨシエイジ」(日吉エイジ・日吉フェスタ)イベントも、2016(平成28)年秋の開催を最後に休止に。
「学生はどうしても一定期間で卒業していってしまいメンバーが変わることもあり、地域側からのアプローチが大切であると感じます」と、学生を受け入れ、支える“地域側”の裁量が何よりも大切だと感じているといいます。
インターネットの普及のみならず、「新型コロナ禍」でリアルでの外出や買い物を控える動きが大きく広がることになった日本社会における、新たな商店街、そして学生を受け入れる「地域側」に求められることとは。
自身が手掛ける「地域との対話」授業で、新たな日吉商店街との交流も復活しつつあるという、牛島さんのこれまでの歩み、また「これからの時代」への想いについて、詳しく話を聞きました。
(※) タイトルの「ST線」は、「相鉄・東急直通線」の通称として使用しました。
日吉で学び「日吉が学びのフィールド」になるまで
牛島利明さんは東京都生まれ。東急沿線に育ち、1980年代半ばに慶應義塾大学商学部に合格、日吉でも学生生活のひとときを過ごします。
その後、商学研究科大学院に進学した後、商学部の大学助手、専任講師、助教授を経て2007(平成19)年から教授に。
特に日吉の街と牛島さんとをより深く結びつけることになったのが、経済学部教授だった故・小潟(おがた)昭夫さん(2008年10月逝去)との出会いです。
「学生時代から小潟先生に習っていました」と小潟さんとの出会いを振り返る牛島さん。
「小潟先生のところで学んでいた学生が、音楽と花火を融合させて地域の方と一緒に見るような場を作りたかったことから、『ヒヨシエイジ』が生まれたと聞いています」と、小潟さんが中心となり2003(平成15)年から2016(同28)年までおこなわれた「ヒヨシエイジ」が誕生。
スタート翌年の2004(同16)年から牛島さんも「ヒヨシエイジ」にかかわるようになり、牛島さんと日吉地区との研究を通じてのつながりが生まれたと説明します。
「パワーや勢い」満ちた日吉とのつながり深まる時期
現在、牛島さんがおこなう「地域との対話」授業の前身となる「21世紀の商店街」も、小潟さんが中心となり、2004(同16年)から牛島さんほかのメンバーと立ち上げたといいます。
商店街だけだとできる問題が限られるため、地域全般の課題解決をできるよう、「地域との対話」と名称も改め授業の枠組みを広げていると牛島さん。
横浜市港北区の「地域福祉保健計画推進連絡会」(2006年~2008年)、「福祉のまち日吉ネットワーク会議」(2006年~2009年)といった事業にも大学関係者としてアドバイスをおこなうといった活動もおこない、地域との交流や信頼感を深めてきました。
「この頃の日吉地区にはパワーを感じました」と牛島さん。
2008(同20)年に慶應義塾が創立150周年の年を迎え、「協生」、すなわち「協力して生きる力」を育む場として、日吉駅前に協生館も誕生。
「地域に根ざし、かつ広く社会に開かれた様々な活動を展開する慶應義塾の新たな挑戦の場」(協生館サイト)として生まれたという経緯もありました。
牛島さんは、「おそらく、その頃までなかった交流が生まれたことにより、港北区や日吉地区の皆さんとの交流が一気に深まったのかもしれません」と、“勢いがあった”という当時の日吉地区との交流の歴史を振り返ります。
“街あるき”から「地域との対話」を継続中
当時の盛り上がりを支えていた「日吉の子育てにかかわっていた人々は、その後もつながりを大切にしてくれていました」と牛島さん。
「学生が地域で何かをおこなう際、“カウンターパート”(対等な立場の相手・受け入れ担当)になってくれる人の存在がとても大切です」と、大学、そして地域がつながるにあたっての「キーパーソン」の存在が重要であると語ります。
牛島さんも、自身の学生時代の「自主講座」で小潟昭夫さんと出会ったこと、街あるきを一緒におこなったことが大きかったと感じているといい、「当時、(地下鉄)南北線や大江戸線なども走っておらず“陸の孤島”といわれた麻布十番商店街を歩いたことなども懐かしいですね」と、現在の「地域との対話」授業にも続くテーマがそのころにあったと、当時を振り返ります。
「地域との対話」授業では、元住吉駅(中原区木月1)の東側に位置する「モトスミ・オズ通り商店街振興組合」との交流が現在までも継続。
「キャラクター『おずっちょ』の誕生や子ども食堂、フードドライブといった取り組みも現在おこなっています」と、地域側から“学生の力を活かそう”というアプローチや、商店街や地域側の担い手が代替わりなどを経ても“継承”していくことが大切であると感じているといいます。
「思い入れのある街」を育てる未来へ
地元エリアのみならず、現在も福島県喜多方市や富山県南砺(なんと)市利賀(とが)村、東京都八王子市などと「地域との対話」でも交流を深めているという牛島さん。
牛島さんが特に大切だと思う街、そして商店街の特色は、「ただ物の売り買いをおこなうなら、インターネットでもできる時代になりました。思い入れのある街をつくりあげていくことが肝要ですね」と、まず“人”がその街にいて、さらに“思い入れのある場所”ができることこそが重要であると訴えます。
自身過ごしてきた慶應義塾については、「比較的“自由”に学べる大学だと感じます。学生の多くは、基本は“真面目(まじめ)”。社会でもっと力を発揮できると思うのですが、まだ(力を)出し切っていない人も多いのではないでしょうか」と、学生たちにも、慶應で学んだことをよりよい社会の構築のために活かしてもらいたいと感じているといいます。
「小潟先生は、フランス文学を専攻されていたこともあり、“文化の香り高い”先生でした」と、日吉の街と慶應義塾とのつながりづくりに奔走した亡き恩師について振り返る牛島さん。
亡き小潟さんが培(つちか)った日吉の街への想い、そして「地域社会」の要請という大きな課題を受け留めながら、新たに走り抜けるであろう次世代の鉄道開業の時代へ。
牛島さんらしい「地域まちづくり」の新たな足音、そして「夢」がさらに大きく描かれることで、日本全体が元気になる。そんな講演を聞ける日がやって来ることが、楽しみでならない今日この頃となりそうです。
<登壇者略歴~自己紹介>
牛島利明(うしじま としあき):慶應義塾大学商学部教授、慶應義塾大学産業研究所副所長。東京都生まれ。東急沿線に育ち、1980年代半ばに日吉で学生生活を送る。日吉キャンパス近隣地域での調査や活動を行う演習科目「地域との対話」を担当。専門は産業史・経営史(産業・企業・地域の成長と衰退)。
【関連記事】
・【告知】「相鉄・東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」を開催します(2022年6月14日)
・日吉駅前を“雨ニモマケズ”きれいにしたい、慶大生が「ごみ拾い」から学ぶこと(2021年12月15日)
・【ST線フォーラム~登壇者】日吉地区:渡辺広明さん(流通ジャーナリスト・マーケティングアナリスト)(2022年6月21日)※牛島さんとのつながりから「ヒヨシエイジ」に出店したエピソードやゼミの講師としての登壇も
【参考リンク】
・「相鉄・東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」を主催事業として開催します(一般社団法人地域インターネット新聞社)
・「相鉄・東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」特設サイト(一般社団法人地域インターネット新聞社)