小学校に港北区長がやってきた、創立50周年「記念誌」グループが“地域”知る授業 | 横浜日吉新聞

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港北区役所から新区長が来訪子どもたちが「取材記者」となりインタビューをおこないました。

港北区長に就任してから初めて小学校を訪問しインタビューに応じた漆原区長。地元・大倉山育ちということもあり、「ザリガニやクワガタを採った時代が懐かしい」とのコメントも

港北区長に就任してから初めて小学校を訪問しインタビューに応じた漆原区長。地元・大倉山育ちということもあり、「ザリガニやクワガタを採った時代が懐かしい」とのコメントも

横浜市立師岡小学校(師岡町、川村智子校長)は、先月(2022年)6月28日(火)、6年生がおこなう「総合的な学習の時間」の授業で、港北区役所に4月から着任した漆原順一区長を招へい。

同校の創立50周年を記念し制作中の「記念誌」グループに所属する児童が新区長への取材をおこないました。

新型コロナウイルス感染症対策もあり、木村しょうまさん蔵根しゅんさん二木こうきさんと授業を担当する呉屋雄紀教諭がインタビュー会場となる校長室へ。

区役所からは、漆原区長のほか、区の学校連携・こども担当として活動をおこなう佐藤治憲課長山岸隼人さんも来校し同席。

約30分間の質疑応答の時間を、呉屋教諭が教室とオンラインで結ぶ初めてのチャレンジもおこなっていました。

緊張した表情を見せる「記念誌」グループの子どもたちとの初対面を果たした

緊張した表情を見せる「記念誌」グループの子どもたちとの初対面を果たした

第一声で「小学校2年生だった1970(昭和45)年に、この学校が大曽根小学校の分校として設置されたことを覚えています」と漆原区長。

校長室内にある「師岡分校」の木製看板を眺めながら、漆原区長は大倉山で生まれ育ったという自身のエピソードも紹介。

当時の自然あふれる近郊の光景から、宅地や工場が増えていくその後の師岡町の風景に変わっていったこと、大綱小学校の出身であること、一級建築士を目指すなど建築の道に進んだ経緯などについても説明していました。

政令指定都市の「区長制度」への驚きも

子どもたちが漆原区長から名刺を受け取っていた

子どもたちが漆原区長から名刺を受け取っていた

漆原区長は、1995(平成7)年1月に発生した阪神・淡路大震災で大きな打撃を受けた神戸市に1年間赴任した印象が強かったことについて触れ、「港北区でも防災についてはしっかりと対策をおこなっていきたい」と、これからの区政への意気込みを語ります。

2002(平成14)年に日産スタジアム(横浜国際総合競技場)で開催された「サッカーワールドカップ(W杯)」や、アフリカの開発をテーマとする国際会議「第4回アフリカ開発会議」が2008(同20)年に横浜で開催された際に事業にかかわった経験も。

教室とオンラインで結び生中継。左奥には「師岡分校」の木製看板も

教室とオンラインで結び生中継。左奥には「師岡分校」の木製看板も

「横浜は日本が(江戸末期に)開国してからは“世界の玄関口”としていろいろな文化が入ってくる場所でした。皆さんも、いろいろな世界を見に現地に行き、その上で横浜市、港北区、そして師岡町をよりよくしてもらえれば」と、世界を学んだ上で地元地域の発展を志(こころざ)してもらいたいとの想いを伝えます。

「港北区長になった理由」についての質問に対しては、「政令指定都市横浜市では、18区の『行政区』が置かれており、東京23区の『特別区』の区長とは異なり、選挙で選ばれるのではなく、横浜市長が任命することで決まるのです」と、人事異動(辞令)により着任したという経緯について解説。

「横浜市の部署の1つ」、「希望してなれるのではなく、支社長といった位置付け」とする区長の権限や職務についての説明に、児童たちは驚きの表情を浮かべていました。

7月中にも「記念誌」原稿を完成へ

漆原区長から港北区ミズキーが描かれた区オリジナルのクリアファイルなどがプレゼントされた

漆原区長から港北区ミズキーが描かれた区オリジナルのクリアファイルなどがプレゼントされた

今回の「記念誌」の完成については、「7月中にも原稿を仕上げたいと考えています」と呉屋教諭。

歴史を学ぶためにと、港北区を深く知る郷土史研究家大倉精神文化研究所(大倉山2)理事長の平井誠二さんを招いての授業も6月中におこなっています。

この授業クラスでは、新聞・ポスター、動画、そして記念誌と、3つのグループに分かれて活動をおこなっているといいますが、「それぞれ“完成”しないと成果を披露できないこともあり、広く今回の取り組みを地域の皆様にも知ってもらえれば」(呉屋教諭)。

記念写真の撮影では笑顔も

記念写真の撮影では笑顔も

地域の歴史やそこに生きる人々について知り、学び、そして“後世に伝えていく”ためにもその内容を書き記し、情報伝達できるようまとめたうえ、それを残していく作業が大切であると訴えます。

今回の授業を終えた後に漆原区長は、「災害対策をしっかりとおこないたい」という言葉通りに、先月(6月)に地域に披露されたばかりの、学校と地域による「師岡ウォータープロジェクト」による防災用の井戸「いど吉」を見学。

インタビュー後には5月に完成、6月に地域に披露されたばかりの災害用井戸「いど吉」での井戸水の汲み上げをおこなった

インタビュー後には5月に完成、6月に地域に披露されたばかりの災害用井戸「いど吉」での井戸水の汲み上げをおこなった

自らポンプを押し、その水流について確認をおこなうなど、これから先も地域防災への対策強化を「リアル」におこなっていくことへの決意を示しているかのようにも映ります。

最後は、児童約20人が井戸のまわりに集まり、区長らが学校から去るまでの見送りもしっかりとおこなうことでの“新たな交流”を深めているかのようでした。

師岡小学校では、創立50周年式典を秋に開催予定となっており、それまでに「記念誌」も完成する予定だといいます。

港北区長ら一行を見送る子どもたち。記念誌グループの作品が地域に披露される日を楽しみに待ちたい

港北区長ら一行を見送る子どもたち。記念誌グループの作品が地域に披露される日を楽しみに待ちたい

地域にまつわる様々なエピソードが盛り込まれた冊子が新たに誕生することにより、同小学校の歴史が地域社会に向けて、その歩みをより色鮮やかに記録し発信していくことにつながりそうです。

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【参考リンク】

横浜市立師岡小学校のサイト


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