「綱島温泉」での貴重な行状記、太宰治の墓前で絶命した退廃作家が遺す

横浜日吉新聞
日吉本・綱島本ブックレビュー

【日吉本・綱島本紹介】昭和の“デカダン(退廃的)作家”が今から80年近く前の「綱島温泉」を書き残していました。

日吉本・綱島本ブックレビュー日吉や綱島とその周辺が舞台となっていたり、ゆかりのある人が出ていたりした作品を紹介する「日吉本・綱島本ブックレビュー」。1年ぶりとなった第2回は、綱島が舞台となった文学作品を取り上げます。

田中英光(たなかひでみつ、俗称「たなかえいこう」)の名を知る人は、太宰治のファンか、それとも文学通か、あるいは近年の芥川賞作家・西村賢太の紹介によって認識したか――、有名なのか、そうでないのか、よく分からない大正生まれの作家です。

1943(昭和23)年に発表した「暗黒天使と小悪魔」という作品のなかに登場する綱島温泉の記述から引用していきましょう。

「おい一晩、幾らだい」
「あのね、綱島温泉の上等のホテルでね、泊まり代からボーイのチップまで全部、含めて千円よ」
「よし、ゆこう」

昭和24年の国家公務員の初任給が4200円ほどだったといわれる時代。

イメージ写真(PAKUTASOより)

作者・田中英光の分身を思わせる作家の主人公「坂本享吉」は、敗戦時の混乱で会社を解雇されたことを契機に住み続けている静岡県沼津の海岸沿いにある街とみられる場所から、「本屋の集金旅行」として上京。出版社をめぐって当時のお金で4000~5000円をかき集めます。

苦しい生活が続く地元で待つ妻と3人の幼子らに、金を持って帰って喜ばせよう、と思ってみたのはほんの一瞬。

自分の身体や心を苦しめても、その時は、東京の暗黒天使のひとりと遊びたかった。

門外不出の半年ばかり寝ても覚めても、不潔な東京というと、そこに住む天使たちへの憧れに駆られていた。それは彼にも、彼女らが殆ど白痴で、薄汚れていることは想像できた。或いは、不潔な皮膚病から、悪質の病気まで移される危険があるのを知っていた。だが、そういう女たちの中にこそ、東京への憧れの象徴があったし、真物のベルトがいるかもしれぬ、という期待があった。

言い訳めいた心境を恥じらいもなく縷々(るる)書き連ね、“街の女たちの研究”に繰り出す主人公。

文中にある「真物のベルト」とは、好きな男にそそのかされて娼婦になってしまう「ベルト」という名の女のことで、フランスの作家が1901(明治34)年に発表した作品に登場しています。

田中英光は「暗黒天使と小悪魔」の冒頭で、主人公の口を借りて、次のように心境を吐露しながら説明しています。

シャルル・フイリップの描いた「ビュビュ・ド・モンパルナッス」中のベルトのような、可憐な、真物(ほんもの)の暗黒天使にあいたかった。

綱島温泉で娼婦と過ごした二夜を綴る

「暗黒天使と小悪魔」が収録された「田中英光デカダン作品集」は2017年に講談社文芸文庫から発売された

そんな“真物(ほんもの)の暗黒天使”を追い求めた彷徨(さまよい)の2日間を虚実織り交ぜて記録したのが、今回紹介する「暗黒天使と小悪魔」という作品です。

その1日目。戦後の酒不足が続く時代に、新橋あたりの薬屋の2階に置かれた「或る秘密の飲み屋」を雑誌編集者から案内され、「純アルコールを加工したものとみえる白っぽい酒」で酔った末、「それは勤番侍が、江戸に出ると、すぐ吉原にゆきたくなる心理に共通したものであろう」と、自らに好都合な通説を見付け出し、有楽町の「日劇」(現有楽町マリオン)付近で“暗黒天使”を物色。

そこで出会ったという“婆天使”とのやり取りが、冒頭で紹介した「おい一晩、幾らだい」から始まる一文です。

綱島温泉のホテル代を含めて1000円という価格提示が行われたのですが、渋谷まではタクシー移動をせがまれ、さらに300円の追加出費となった主人公。

それに思えば、三百円という金も、彼の七人家族が、楽に二、三日は食べてゆける金であり、…(略)

今更ながらの後悔も垣間見せながら、有楽町からタクシーでたどり着いた渋谷駅

「あんた、綱島まで買うのはもったいないから、代官山まで一円のを買ったよ。これで四円ばかり儲かった」こう自慢そうにいう女の横顔を眺め、一夜に千金を稼ぐ娼婦の癖に、なんて、けちくさい女かと、享吉は再三、イヤな気持ちに襲われたのだ。

娼婦へ支払う1000円やタクシー代の300円、東横線の初乗り運賃である1円までが同じ物語内に記されており、金銭感覚を麻痺させられながら、物語は東横線で綱島駅へと進みます。

渋谷駅イメージ写真(横浜駅記憶の散歩道「沿線の記憶」の展示より)

途中、東横線の電車内が停電したことや、作品発表時の終戦直後には、“温泉”の名が取れていたのに「綱島温泉駅」と記載し、「その寂しい駅のホーム」と書かれていることなど、作中には興味深い点も。

田中英光は戦前、横浜護謨(ゴム)に勤務し、鶴見にあった社員寮に入っていた経緯があり、近所の“綱島温泉駅”という名が頭にこびりついていた影響なのかもしれません。

アパート風だった綱島温泉「ホテル」

その「綱島温泉」での貴重な記述部分を以下に紹介していきます。

やっと着いたホテルは、アパートと呼んでもよさそうな、二列上下に部屋があり、真ん中の廊下に赤い薄い絨毯(じゅうたん)のしかれただけの、細長い建物だった。

女は、迎えに出た顔馴染みらしいチョビ髭のマスターに、「まあ、ずいぶん、お立派になったわねえ」とか取ってつけたようなお世辞をいい、マスターから部屋の番号をきくと、その二階の片端の部屋に、享吉を、ずんずん勝手に案内した。その部屋は座敷の二方が開いており、このホテルの中では、一番上等に近い部屋のようだったが、大男で、夏中ずっと泳ぎ暮らしてきた享吉には、むやみに狭く暑苦しい感じで、…(略)

綱島温泉といえば、畳敷きの和室の大広間や、広い庭に置かれた離れ部屋というイメージが浮かぶのですが、2階建ての“アパートのようなホテル”は、戦争直前の温泉街が労働者らの宿舎として使われたという歴史があったためなのか、それとも娼婦らの御用達宿として、一定数存在していたのかは分かりません。

イメージ写真(Pixabayより)

作品中には、この宿の宿泊費として支払ったのは500円で、うち10円が「女中へのチップ」で、残りが宿泊費とコップ酒3杯、ビフテキ代を合わせて490円だったとの記載も見られます。

物語に戻ると、主人公の享吉は約束の1000円を女に支払い、さらに500円を渡して「それで飲めるだけ飲ましてくれ」と頼むのですが、“ケチな婆天使”はその500円で宿屋の支払いとチップ、飲食費をすべて賄ってしまいます。

その後も女の遠慮ない行動の数々にすっかり色欲を失った享吉は、翌朝、女が寝ているうちに、宿でコップ酒を2~3杯ひっかけたうえで綱島を退散。懲りずに再び都内へ戻り、真物(ほんもの)の暗黒天使探しを続けるのです。

都心で飲めぬ酒も、綱島では飲めた

2日目の昼間は上野周辺で怪しげな雑誌を買ったり、床屋へ行ったり、強烈なインフレに対応できていない原稿料の安さを嘆いたり、歴史的には価値がありそうなものの、文学的にはどうだかは分からない記述が縷々続きます。

昨晩飲んだ新橋付近の“秘密の酒場”を見つけ出し、「坂口安吾」らしき作家と語り合って気分が良くなり、ヤミ酒を相当にあおった主人公は、再び昨夜と同じ有楽町の日劇前へ出動。

「綱島にゆこう。いいホテルがあるんだ。風呂がいつも沸いていて」と享吉は、そこにゆけば、酒がまた飲めるし、上野くんだりまで走り回って、汗と埃り塗(まみ)れになっているのも洗い落とせると思ってこういうと、女は「でも、あたい、新宿のホテルに部屋がとってあるんだヨ」、「そこ、お酒あるかい」、「ない」とにべもない返事だった。

最初に声をかけた女には見事に逃げられ、次に出会ったのが、昨夜の“けちくさい婆天使”の知り合いで、昨晩、綱島駅へ降り立った時に偶然出会っていた「上海リル」という名の女

「少年じみた顔」「目鼻立のきつい顔」は主人公の好みだったようで、

享吉は、昨夜、興味を感じた、この娘に、再会できた嬉しさに、ニコニコして、…(略)

「ねエ、昨夜のホテルにゆこう。どうせ、君のいつも行くところと同じだろう。それでも地下鉄でいってくれよ。昨夜の婆さん、タクシーだなんて、三百円も取られちゃった」

昨夜の女に千円やり、可愛いリルに八百円というのは、享吉の気が済まなくなり、…(略)

浮ついた気持ちで綱島駅に降り立ち、昨夜と同じホテルに向かった主人公と上海リル。

「母親時代の貞淑な女の雰囲気」さえ見出し、すっかり気に入った主人公は“寝物語”として聞いたであろうリルの身の上などを延々と書き連ね、綱島に関する描写は出てこなくなります。

“一夜妻”と別れる綱島駅の描写に注目

2泊目の綱島温泉で、唯一といえる注目点は、当時の大浴場がまだ混浴だったのではないか、とみられる部分です。

翌朝、享吉は、少年じみた肉体のリルと風呂に入った後、彼が湯殿の中で、宿から借りた剃刀で髭を剃っていると、着衣場に、享吉と同じような一組が入ってきたらしく、…(略)

享吉が湯殿をでるのと入れ違いに、色白で、肉付きのよい、背の低い、フランス人形じみた、顔の可愛い女が、色の蒼黒く、痩せて、背の高い、神経質な顔をした、彼女の客とみえる男と、入ってきた。

宿の性質からして、現在でいう「カップル風呂」という可能性はありますが、着衣場が共有されていたことが記されており、混浴の文化は1943(昭和23)年ごろの時点で、不思議なことではなかったとみられます。

イメージ写真(Photo ACより)

作者の田中英光が師と仰ぐ太宰治は、1939(昭和14)年に発表した作品「美少女」で、混浴であった当時の公衆浴場の様子を細かに描写しています。それから6~7年が経ち、戦争が終わっても、混浴の風習はまだ残っていた可能性があります。

物語は、師である「太宰治」(文中では津島修)の具合が少し悪いので見舞いに行くという主人公と、横浜へ出るというリルが別れる綱島駅のシーンに移ります。

朝の綱島駅での描写は、この脈絡なき物語の一つの見どころです。

改札口を入ると、桜木町行きの電車がホームに着く様子で、横浜に出るリルが階段を三段宛、飛び上がって、駆けていった。そのリルの青いズボンのお尻がひょいひょい揺れてゆくのを眺めながら、享吉は、「左様なら」もいわずに別れてしまった、その一夜妻を哀れと思い、もはや、再び、リルに逢うこともなかろうと思った。

太宰のごとく、金を失えば死を思う

綱島駅で“一夜妻”を見送った主人公は、リルの同業者で、後輩でもある美少女の百合子渋谷まで送り届けることになります。綱島のホテルの浴場で見かけた「背の低い、フランス人形じみた、顔の可愛い女」がこの百合子です。

渋谷駅前の中華店などで身の上を“取材”しながら、街を二人で巡り、「残った金を全部使う積りで」宮益の途中にあるという洒落た喫茶店へ入ります。

店の電気蓄音機が、「夢去りぬ」という、レコードを掛けている。享吉も百合子も、暫く不意の沈黙に襲われ、その音楽を聞くともなく聞いていた。享吉は、かつて、若い自分にとって、こうした喫茶店に入り、こんな美少女と、恋に似たことを囁くのが、どれほど、憧れであったかを思い出した。けれども今は、一種の苦々しさがあって、それ程、愉しくもない。

散々遊んだ挙句、「それ程、愉しくもない」のは、大事であるはずの金を失ったためか、“祭りのあと”の虚しさゆえか分かりませんが、こうした言い草を平気でするあたりが、文学者らしいといえる部分か。

百合子が、そのうち、リルに隠れて、今日みたいに、ふたりで遊ばないか、などといったが、享吉は苦笑して首を振った。夢去りぬさ。享吉は自分の身体の中でも、なにものかが音立てて崩れてゆくのを感じた。死んでしまえば、なにもかにも同じことなのだ。生きていることは、どうにか愉しい。

そして、こんな一文によって締めくくられた「暗黒天使と小悪魔」。

散財で金を失うと、死んでしまえばいい、という発想になるのは、師である太宰治の作品にも似た傾向が見られます。

作風や後世の評価はまったく違えど、田中英光と太宰が師弟関係にあった理由が、どこか理解できそうです。

埋もれていた一連の「私小説群」に光

「暗黒天使と小悪魔」が発表された1947(昭和22)年頃は、作者の田中英光にとって、まさに暗黒といえる時代でした。翌年6月には、長年にわたって師と仰いでいた太宰治が愛人と入水心中し、38歳で自死。

イメージ写真(Pixabayより)

心の支えだった師を失う喪失感のなかで、英光は実生活でも“真物(ほんもの)の暗黒天使”を求め続け、沼津に妻子を放置したまま、一人の女との未来なき暮らしを続けます。

酒だけでは飽き足らなくなった英光の身体と精神は、カルモチンやアドルムといった鎮静催眠薬への依存を高め、薬物中毒や精神病院への強制入院、さらに女との度重なる暴力沙汰など、狂気のような生活の姿を題材とした作品を幾つも発表。

世間を騒がせることで何とか生き延び、書き続けてはいましたが、「暗黒天使と小悪魔」を世に発表してから1年ほど後の1949(昭和24)年11月3日、東京・三鷹にある太宰治の墓前で、アドルム300錠を酒であおって飲んで手首を切るという行動に出て、36年の人生に幕を下ろしました。太宰の死から約1年5カ月後、師の墓石を目にしながら、追うように命を絶ってしまいます。

早稲田大学時代にはボート競技でロサンゼルスオリンピックに出場し、移動時の船中で女性選手に抱いた恋心を綴ったデビュー作「オリンポスの果実」(1940=昭和15年)が名作とされ、太宰治も後押しした“健全な作品”の作者として、光を当てられることが多い田中英光。

芥川賞作家・西村賢太氏の手によって2015年に刊行された「田中英光傑作選」(角川文庫)にはデビュー作「オリンポスの果実」や、著名作の「さようなら」、太宰治への思いや別れを描いた「生命の果実」などを収録

一方で、綱島が登場する「暗黒天使と小悪魔」をはじめ、桜木町駅近くに戦前まであった娼婦街を舞台にした「曙町」(1943=昭和23年)など、女と酒をひたすら求め、些細な内容までレポートのごとく書き連ねた戦後の私小説群は、これまで世に出ることが極めて少なく、埋もれたままでした。

そんななか、田中英光に傾倒する私小説作家・西村賢太氏が2011(平成23)年に芥川賞を受賞してから、状況が変化。

同氏が選者となって、角川文庫から「田中英光傑作選」が2015年11月に発売され、それに触発されるかのように講談社文芸文庫は「田中英光デカダン作品集」を2017年7月に刊行。今回紹介の「暗黒天使と小悪魔」も収録されました。

偶然なのか、これは、綱島温泉の灯が消えようとしていた頃とも重なっています。

好悪が激しい作品ではあるものの、文学に親しみが少なくても、「暗黒天使と小悪魔」に触れられるようになったことで、地域の貴重な史料としても活用できるのは、喜ばしいこと

何より、田中英光のような荒れ果てた私生活を題材とした作風が好きな層には、ある意味で期待を裏切らない内容となっており、そんな作家が綱島を作品の舞台としていたことに、歓喜の声をあげたくなるはずです。

)本文中の引用はすべて「空吹く風/暗黒天使と小悪魔/愛と憎しみの傷に~田中英光デカダン作品集」(講談社)に拠りました

【関連記事】

<開港資料館>綱島温泉を発見したのは誰か、戦前までを振り返る研究を発表(2018年3月19日、戦前までの綱島温泉の歴史、「連れ込み宿」としての一面も)

<日吉本・綱島本紹介>慶應時代に日吉で過ごした“裕次郎”を描いた石原慎太郎作品(2018年6月25日、本不定期連載の第1回)

【参考リンク】

「空吹く風/暗黒天使と小悪魔/愛と憎しみの傷に~田中英光デカダン作品集」の案内ページ(講談社)

青空文庫「作家別作品リスト:田中英光」(プロフィールとともに、デビュー作「オリンポスの果実」など4作品をテキストで公開)


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