伝統の銀杏並木に調和した、慶應日吉らしい景観を――慶應、そして日吉の街のシンボル・日吉記念館がいよいよ復活、新たな装いで完成しました。
日吉駅東口一帯に広がる慶應義塾大学(日吉4)は、2017(平成29)年11月に旧・日吉記念館の解体工事、翌2018(平成30)年4月から新記念館の本体工事に着手。2年間にわたる工事期間を経て、当初から計画していたスケジュール通りに、今回の竣工に至ったといいます。
1858(安政5)年に福澤諭吉が「蘭学塾」を江戸の地に“開塾”して後、1958(昭和33)年に、慶應義塾の創立100周年記念事業として建てられたという旧記念館。
入学式や卒業式、年1回の卒業生らの祭典「連合三田会」など、数千人規模を誇る一大イベントで活用されてきた日吉キャンパスの「顔」としての歴史を継ぐ新記念館が完成したことで、2年間、日吉地区で開催できなかった大型イベントの再開や、東京2020オリンピックでの英国(イギリス)チームのキャンプ地としての活用も視野に入れることができそうです。
先週3月13日、新型コロナウイルスの感染防止の観点から、本来計画していた地域まちづくり関係者を招いての大掛かりな竣工式は中止となり、建築・施工関係者への感謝状の贈呈式と、メディア向けの披露のみを実施。
日吉記念館は、2009(平成21)年にも、創立150年記念事業として建て替え計画が持ち上がったものの、リーマン・ショックなどの経済情勢を受けて延期になっていたこともあり、建設に携わった関係者からは、無事に完成に至ったことへの喜びと安堵(あんど)の表情が広がっていました。
新「記念館」はスケールの大きさと景観配慮の「白」が特徴
新しい「日吉記念館」は、地上4階、地下2階建て。約5618平方メートルの建築面積に、延床面積約1万2500平方メートルものスペースを確保しています。
主な使用目的となる「体育館」として使用できる幅60メートルの「アリーナ」は、旧記念館より奥行きを6メートルもプラス、40メートルものスペースに拡張しています。
また、座席数も、固定座席をこれまでの倍以上となる4560席も設置、さらに移動可能な座席を合わせて“1万人”規模のイベント開催が可能に。
さらに「式典利用のための祝祭空間をつくる」という目的から、ステージと観客席が正対する構成を採用、60メートル幅の巨大「ワイドステージ」を設置するなど、その迫力はまさに“壮観”といった体を成しています。
最も「気を配った」と感じられるのが、景観。「伝統を継承したキャンパスの新しい顔をつくる」という“至上命題”のもと、日吉キャンパスが開設された翌年の1935(昭和10)年に植えられたという「銀杏並木の軸線を取り込むシンメトリー(左右対称)な構成」を意識。
また、1934(昭和9)のキャンパス開校時に竣工した第1校舎(現:慶應義塾高校)、1936(昭和11)年に竣工した第2校舎と調和した「列柱」を設置し、色合いも、向かい合って立ち並ぶ両校舎を意識した、光の反射が眩(まばゆ)さすら感じるほどの鮮やかな「白」を採用しています。
新たな日吉のシンボルとして復活、塾生には「愛される」存在に
地下2階にはライフル射撃場や100人以上着席可能な机・椅子を収容できる控室、地下1階には授業でも使えるスタジオやトレーニングルーム、重量挙げ部の練習場とアリーナ、2階には、日吉駅方面の銀杏並木や第1校舎・第2校舎を左右に見渡せるホワイエ、3・4階には観覧席を配置。
施設や設備を(オリンピックの)英国代表にも使用してもらえることを想定するなど、より国際的なスポーツ環境にも配慮した施設としての役割を担っていくとのこと。
日吉の街に住まう、また来訪する人にとっては「銀杏並木と白い建物の景観をシンボルとして」、慶應義塾の学生にとっては「今後(この記念館を)スポーツやイベントなどで活用し、愛される場所として」(同塾の担当者)、新たな歴史をスタートした新・日吉記念館。
一人ひとりの「心」に残る景観、そして思い出が、きっと、「未来」のこの場所に。
新しさの中にも、「慶應義塾」と「日吉の街」の歴史、そして景観が詰まった貴重な名所スポットとしての役割を、さらなる半世紀先をも見据え、日々担っていくことが期待されそうです。
【関連記事】
・慶應日吉キャンパスの「日吉記念館」は11月7日に閉鎖、2020年3月まで建替工事(2017年7月15日)
・<慶應>築60年の大型ホール「日吉記念館」建替計画を実行へ、11月にも解体(2017年3月2日)
【参考リンク】
・新しい「日吉記念館」が2020年3月に竣工予定(慶應義塾公式サイト)
・日吉記念館建て替え工事地鎮祭(同)
・日吉記念館が竣工 白を基調にキャンパスに合うデザイン(SFC CLIP)