【法人サポーター会員による提供記事です】日吉の老舗を経営する女将(おかみ)が奮闘しています。日吉駅から徒歩1分、普通部通りとバスロータリーの間にある「遊膳(遊ZEN)たつ吉」(有限会社河合商事)をはじめとした「たつ吉グループ」(遊膳たつ吉、そば処たつ吉、中華名菜龍華=いずれも日吉本町1)は、今年(2018年)3月でグループ創業から44年目に突入しました。
「当店の料理は、和食専門の板前が作り、提供しております」と、二代目女将として日々店の切り盛りを行う、同社代表取締役の島名貴子(旧姓:河合)さん。
日吉周辺に根差し“地域随一の老舗”とも言われる同店が、当初は普通部通りで創業したことや、一時期は新横浜駅近くのビルにも出店していたことなどは、多く新住民が増えているこのエリアではあまり知られていません。
日吉・綱島エリアで生まれ育ち、亡き祖父が経営していた「ツナシマパン」の流れをくむ「たつ吉」の歴史と、「老舗和食店」としての道を継承してきた日々について、若き二代目の“女将”で、同グループの経営者としても活躍する島名さんに聞きました。
普通部通りで発祥した「たつ吉」、源流は“ツナシマパン”
「たつ吉」の源流は、島名さんの祖父・故・河合龍三(りゅうぞう)さんが1929(昭和4)年に創業した老舗パン店「綱島製パン」(現在の「ツナシマパン」=綱島西1、「パン工房・洋菓子ロアール」=箕輪町2、アルバ有限会社運営)。
ロアールで勤務していた龍三さんの二男・河合隆雄さん(有限会社河合商事会長)が、同じく同社で勤務していた島名さんの母・河合愛子さんと結婚。愛子さんが、普通部通りにもかつてあったロアール(現在「中華名菜龍華」の場所)の店舗跡地で、「たつ吉本店」を1975年3月にオープンしたといいます。
「当時は、セルフで焼き鳥を楽しめるような、“気軽に立ち寄れるお店”として繁盛したようです」と島名さん。
お店が好評を博し、1978(昭和53)年に現在地に新本店を拡張オープン。1983(昭和58)年には新本店の4階建てビルを新築。同年に、2号店として存続していた旧本店の場所(普通部通り)で「そば処たつ吉」を開店。
1993(平成5)年には、「そば処たつ吉」が現在地(現在の本店の隣)に拡張移転し、創業の地には新たに「中華名菜龍華」がオープン。
「バブル景気などの時代の流れもあり、お店も活況を呈していたんです」と、幼少時、そして青春時代と、「たつ吉グループ」各店の発展を、「経営者の娘」として見届けてきた島名さんは、これまでの記憶をたどりながら、懐かしい当時を振り返ります。
日吉・綱島エリアで育った島名さん、入店後は新横浜でも奮闘
「快活に育ちました」と自身の半生を振り返る島名さんは、日吉・綱島エリアで幼少時を過ごし、また青春時代も謳歌(おうか)します。
「母は夜遅かったので、在学していた日吉台小学校(日吉本町1)まで時間ギリギリで通学していました」と、懐かしい小学生時代について思い起こします。
また、1977年(昭和52)年にオープンしたばかりだった、旧サンテラス日吉敷地内の当時のマクドナルド(箕輪町2)で、「母にせかされながら、きょうだいでそろってハンバーガーを食したりもしました」といった“経営者の娘”らしい想い出も。
「進学した玉川学園高等部(町田市)や、玉川学園女子短期大学(現玉川大学、同)で、ようやく大人しくなりました」と、活発だったという幼少時からそして青春時代の自分について、恥ずかしそうに語る島名さん。
東京都心での大手電機メーカーでのOL経験などを経て、1997年に実家で急きょ働くことになった島名さんは、1987(昭和62)年にすでにオープンしていた新横浜店(新横浜駅篠原口側の「新横浜ビルディング内:2003年に閉店)でも約3年間勤務したとのこと。
新横浜店は、当時サッカーの日韓ワールドカップ(2002年)の開催も控え、昇り調子の時代。取り扱っていたビールの銘柄での売り上げが神奈川県で2位を達成するほどの忙しさだったといいます。
また、数少ない日本酒の銘柄だった「白鹿(はくしか)」でも、関東地方エリアで1位の売り上げになったという快挙も。
「今の日吉の本店ビル上に“白鹿”の大きなモニュメントも作ってもらったんです」と、目が回るほどの忙しさだったという時代もあったという新横浜店ですが、2001年の“豪華な”店舗改装を機に来客が激減、2003年に新横浜から撤退を余儀なくされてしまうのです。
「日吉とは全く違う、“新幹線に乗る”ために急ぐ客層にも対応した経験が今も生きています。食べ放題や、ジャズ・コンサートなど、今のお店では考えられないような企画もたくさん打ち立てたりもしたんですよ。この失敗を経て、お客様との“距離感”がより一層大切と感じられるようになりました」と、島名さんは新横浜での“失敗”をも経営に活かしていきたいと感じるようになったといいます。
突然の“代替わり”、東日本大震災の苦境を乗り越えて
島名さんが新横浜から戻った2004年に、創業者で女将の島名さんの母は店を突然引退。「新横浜で学んだ私たちと母との運営方針との違いもあったのでしょうか」と、母が店からいなくなったことにより、女将としての重責を担うことになり、強いプレッシャーを感じたという島名さん。
また、東日本大震災(2011年3月)でも大きな試練が。「出会いと別れの季節、それまで入っていた宴会予約が、全てキャンセルになってしまったんです」と、女将になってからの最大の苦境に晒(さら)されたといいます。
しかし、この苦しい局面を支えてくれたのは、「板前はじめ、調理場の職人、お店の接客スタッフだったんです。自主的に出勤してきてくれたばかりでなく、食材も調達が難しい中、店にある材料で、なんと“お弁当”を作り、外で皆で販売してくれたんです」と、店を支えてきたスタッフが同店を“見捨てる”ことなく、一人ひとりが店を盛り立ててくれたこと。
そして、震災被害に伴う電力不足から行われた「計画停電」の中、「お客様が、わずかな灯りの中、“急いで”食べに来てくださったんです。ご近所のお客様の姿に、心から救われました」と、最も苦しかった時期を、日吉周辺の来店客が救ってくれたこと。
「これらが、一番印象に残る出来事でした。“この店を守ろう”“続けよう”と、お店の仲間、また大切なお客様がいらっしゃるからこそ、今、このお店があるんです」と、母去りし後に女将として奮闘したこれまでの日々を振り返り、常連客はじめ、店を支えてくれた全ての人に感謝したいとの想いを打ち明けます。
店名由来は「祖父の名」と「日吉」、“読み違い”から今の読み仮名に
「たつ吉」という店名については、「あまり知られていないんですが、綱島製パンの創業者の祖父の名“龍三”の“たつ”と、“日吉”の“よし”、また縁起が良い「吉」という言葉から、<たつよし>と名付けられたんです」と島名さんは笑顔で説明します。
しかしながら、「予約時などに鳴る電話では、『たつ吉』を<たつきち>と読む方々ばかり。<たつよし>と読む方があまりにおらず、しびれを切らして<たつきち>という読みに1年くらいで変更しました」と、<たつきち>という読み方を決めたのは、実は「日吉周辺のお客様」だったとのこと。
さらには、「和陶器の老舗企業として知られる『たち吉』(京都市)さんとよく間違われますが、こちらも全く関係がないんですよ。全国的な有名企業と勘違いしていただけることは、ある意味大変光栄です」と微笑む島名さん。
「お客様が、お皿の銘柄を確認しようと、よく器をひっくり返してご覧になっているのが、いつも申し訳なくなってしまうんです」と、老舗らしい歴史を刻む同店ならではのエピソードにも、つい癒(いや)される瞬間もあるのだといいます。
女将支える“戦友”夫の正人さんは、一流ホテルで修業したエキスパート
そんな二代目女将を最も強く支えているのは、夫で同社専務取締役の島名正人(まさと)さん。東京都大田区出身の正人さんは、調理師として東京・千代田区のホテル・ニューオータニで修業。「フレンチをやっていたのですが、やはり日本人として“和食を学びたい”と、たつ吉に入店したんです」とたつ吉グループへ。
当初は板前・調理人として、また今ではメニュー開発・作成や、店舗運営の一切を任された統括マネージャーとして、同グループ店の運営の重責を担い、「苦しい時も、辛い時も、いつも“戦友のように”妻とは支えあってきました」と、日々日吉を訪れる同店利用客に満足いただける店のクオリティ維持やサービスの向上に、島名さんと時にはぶつかりながら努めてきたといいます。
「職人気質」のプロ目線で、大好きだという和食メニューを考案したいと語る正人さんは、一般社団法人日本さかな検定協会(千代田区)による「日本さかな検定1級」や、神奈川県知事が交付するふぐ包丁師免許、日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会(東京都文京区)による「焼酎アドバイザー」の認定資格も取得。
島名さん自身も、“日本酒のソムリエ”ともいわれる「唎酒師」(ききさけし)の認定資格も取得するなど、「和食に合うお酒についても学び、お客様満足度を高めていきたい」と、日々夫婦共に高めあいながら、店の切り盛りを行っているとのことです。
慶應関係者や著名人にも愛された店、「老舗」の風情をより気軽に
2006年に最後の大規模リニューアルを行ったという「遊膳たつ吉」本店は、創業時以来、多く慶應義塾関係者や、日吉を訪れる著名人らに愛されてきました。
また、2階と3階に計8部屋ある個室や、最大で着席の場合は70席、立食では100名での利用も可能な宴会スペースも、多く地域周辺の人々に利用されてきたとのこと。
「個室は、実は4名様からご利用いただけます」と島名さん。別途個室料10%の料金はかかるものの、子連れやプライベートを重視したい会合にも人気だといい「より気軽に個室や宴会プランも活用してもらえたら」と説明します。
季節感あふれる“老舗”らしい料理と部屋の風情でも、「日吉周辺、そして日吉にいらっしゃる皆さんをおもてなしさせてもらえたら」と、地域に寄り添う“女将”としての決意、そして意気込みを語る島名さん。
“大衆的でより気軽に”利用できる「そば処たつ吉」、北京ダックから小龍包、チャーハンや中華丼まで、高級中華から家庭的なメニューまで、個室でも楽しめる「中国名菜龍華」、そして、創業時からの日吉の「老舗」の歴史を継ぐ「遊膳たつ吉」本店。
3つの店を、より日吉エリアに開き、また親しまれ、愛される店に。
街が激動・変貌していく日吉周辺での新しい動き、時代の流れに翻弄(ほんろう)されながらも、新しい「老舗の歴史」を継いでいく島名さんたちの“日々の挑戦”は、これからも、ここ日吉の街で続いていきます。
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・綱島に根差したツナシマパンの創業は昭和4年、「パン作り」一筋の人気の秘密とは(2016年8月13日)※現在は、島名さんのいとこ・河合和彦さんが経営
【参考リンク】
・たつ吉グループ~遊ZENたつ吉・そば処たつ吉・中国名菜龍華~の公式サイト
(法人サポーター会員:たつ吉グループ~有限会社河合商事提供)