【法人サポーター会員による提供記事です】綱島商店街の50年の歴史を継ぐ「若手の会」の歩み、そしてこれからの“未来への想い”を分かち合う一夜になりました。
綱島商店街の若手メンバーからなる「綱島一番会」は、先月(2024年)3月9日(土)夜、「創立50周年記念式典・祝賀会」を横浜ベイホテル東急内(西区みなとみらい)で開催。
会員メンバーやその家族、商店街関係者のほか、綱島地区周辺の金融機関や地域まちづくり関係者約120人が参加し、会の設立当初から現在までの歩みや日々の想い、そしてこれからの「地域まちづくり」に向けた熱き決意を分かち合いました。
「綱島一番会」は商店街の未来を担う二代目、三代目にあたる経営者同士が交流を行うことを目的とし、1973(昭和48)年10月に正式に発足。
設立されてから昨年(2023年)10月で50年を迎えたことを祝し、「創立50周年記念実行委員会」を立ち上げ、記念式典と祝賀会を挙行したものです。
まず、記念式典の開式にあたり、第6代会長を務めた安藤時喜さんが、「(今回の式典には)家族帯同での参加が多いと思いませんか。当会の創設時から掲げられた『三愛主義』、仕事を愛し、家庭を愛し、そしてふるさと(郷土)を愛する、この『家族を愛する』ということを会員は実践していると自負しています」と、「三愛主義」あってこその同会であると語ります。
続いて、第4代会長で、綱島商店街連合会・協同組合会長の中森伸明さんが「創立50周年記念実行委員会」会長としてあいさつ。
「ご存知かもしれませんが、1961(昭和36)年に綱島諏訪神社(綱島東2)が火災で焼失。1973(同48)年に再興するまで10数年間、綱島の街に夏祭りはありませんでした」と、郷土愛を示し夏祭りを再興するためにと同会が発足したという経緯について説明します。
「当時はまだ私も20代。横浜市で創業者の集まりで若手会というものがその頃はたくさんあったのですが、50年経って、今残っているものは数えるくらいしかないと聞いています」と、半世紀以上経った今でも同会が続いてきた“偉業”を称えます。
そして、来賓として招かれた漆原順一港北区長(開催当時)、第5代会長で、綱島地区連合自治会会長・綱島東口商店会会長の佐藤誠三さんも続いてあいさつ。
佐藤さんは、「第5代目の会長職を担いました。中森さんとは創立当初に知り合い、もう(そのつながりが)50周年と、本当に長く続いてきたなぁと思います」と、穏やかな語り口で周囲を和ませます。
20周年記念式典の際に会長を務めたことについて触れ、「当時は120会員くらいが入会しており、いろいろなことを行いました。今は会員数が80会員くらいになっていますが、これからも綱島を盛り上げていきたい」との思いを語っていました。
その後、地域などから招かれた来賓を紹介。
当初予定していた「寄贈品の贈呈」では、能登半島地震の被災地への寄付に変えることとし、一日も早い復興を祈り、式典を終了しました。
「祝賀会」でもそれぞれの“想い”を披露
続いて行われた祝賀会では、綱島西再開発協議会会長の竹生寿夫(たけおひさお)さんがまずは乾杯の音頭のために登壇します。
「綱島西の再開発の初代は私の父がはじめたのですが、大きな再開発はできませんでしたけど、それぞれの地権者の皆さんがそれぞれがんばって、同じルールを守って建て替えていくというかたちで今も進行中のところです」と、新綱島駅を中心とした“綱島東”の再開発に着目が集まる昨今、西の再開発についての歴史を語ります。
竹生さんの父が深く携わったという「ユニー綱島店」(綱島西3、2004年閉店)がオープンした当時の歴史にも触れ、「当時は東急田園都市線の江田駅の方からもお客様が来ていました。高田の交差点から道路が渋滞し30分くらいかかっていた時代も。皆さん、本当にこれからも綱島にお客さまを引っ張るために、頑張っていきたいと思います」との思いも披露します。
続いてあいさつを行った、第11代(現)会長の大屋智久(のりひさ)さんは、「本来これからの50年、100周年と、威勢のいいことをいうのが本来だと思うのですが、若手もここまでベテランになると、50年どころか20年先もみられないメンバーがごろごろいます」とのトークで、参加者の笑顔を誘います。
「開会の言葉にもあった『三愛主義』という理念に基づきながら、一年、一年、一つひとつの行事としっかりと向かいあいながら着実に進める活動を行うことで、(綱島の地域に)元気を与えられればと願っています」と、これからのさらなる活動への支援についても参加者一人ひとりに呼び掛けていました。
そして、新入会員3人の紹介の後、アトラクションとして、港北区ゆかりのシンガーソングライター「Ko-sei」さんの演奏や腹話術、似顔絵エンターティナーによるステージなどの時間を共有。
会員や家族の「誕生日」を祝す時間を過ごします。
最後は、第10代会長(前会長)の猿渡功さんが登壇。
「一番会という名前の由来は、家庭を愛する気持ち一番、何でもダメなところ一番と諸説ありますが、父の猿渡茂(初代会長)がいうには、当時事業拡張で出店した本厚木に『一番街』があったことなども由来の一つと聞いています」と、名前のルーツについての諸説を披露します。
創設当時の会員の名前を読み上げながら、かつて深夜0時をまたぐ時間帯まで夜道を歩き行ったという「歳末夜警」の思い出にも触れ、「尚花愛児園(綱島西2)の前を通ると、当時の園長先生が長テーブルを置いて、あたたかな飲み物とお菓子を持って待っていてくれました。今でも歳末の夜警活動で訪れる綱島上町自治会会館(綱島台)では、消防団の方たちがお菓子を準備して配ってくれます」と話します。
「『一番会』の優しさ、思いやりが街のみなさんに伝わっているのかなと思いますし、そういう部分がすごく好きで、今でも続いているのがやっぱり愛するべき会なのかなと思っています」と、会を継続するにあたり一人ひとりが抱いてきたであろう「優しさ」への感謝の言葉を切々と述べていました。
そして、記念式典の最後のシーンを彩る、「綱島一番会」の愛唱歌「誰が故郷を想わざる」を、一同「輪」になり合唱。
集合写真撮影の後、第9代会長の石井茂利さんが登壇し、「60年、70年、100年この楽しい会が続きますように祈念しまして」と万歳三唱を行い、50周年記念の会を締めくくりました。
「仕事」はもちろん、「家族」を愛し、「郷土」を愛するという同会の理念を継承し、地域まちづくりへの想いを共有できる「綱島一番会」の歴史、その歩みは、さらなる「若きメンバー」に引き継がれ、さらなる綱島地区の発展に寄与することに期待したいものです。
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【参考リンク】
・about TSUNASHIMA – 綱島商店街のご紹介(綱島もるねっと)
(法人サポーター会員:綱島商店街・綱島一番会提供)