93年の歴史に幕、綱島・日吉の老舗パン店が2月閉店で「惜しむ声」

横浜日吉新聞

綱島・日吉で親しまれた老舗パン店「新型コロナ禍」の影響を受け閉店することになりました。

2月5日(土)限りでの閉店を公表した「ツナシマパン」。綱島製パン時代からの歴史は93年。閉店を惜しむ声が各方面からあがっている

2月5日(土)限りでの閉店を公表した「ツナシマパン」。綱島製パン時代からの歴史は93年。閉店を惜しむ声が各方面からあがっている

1929(昭和4)年に創業し、今年で93年の歴史を刻む老舗パン店「ツナシマパン」(綱島西1)が来月(2022年)2月5日(土)に、同経営の「パン工房・洋菓子ロアール」本店(箕輪町2)が同6日(日)に閉店することをそれぞれ店頭に掲示。

閉店を惜しむ客が、少しずつ両店を訪れているといいます。

新型コロナによる売り上げの減少があり、断腸の思いで閉店を決断するに至りました」と語るのは、三代目となるアルバ有限会社(箕輪町2)の河合和彦社長

箕輪町2丁目の綱島街道沿いにある「パン工房・洋菓子ロアール」本店でパンを製造してきた。本店は2月6日(日)に閉店となる

箕輪町2丁目の綱島街道沿いにある「パン工房・洋菓子ロアール」本店でパンを製造してきた。本店は2月6日(日)に閉店となる

受託製造などの法人需要が7割店頭での販売が3割ほどだったという同社のパン・洋菓子製造・販売事業ですが、両店舗ともに新型コロナウイルスの感染拡大による大きな打撃を受けての閉店だと説明します。

一昨年(2020年)春(4・5月)の初の緊急事態宣言発出時には「ステイホームにより多くの来客がありました」と、コロナ禍においても、店頭での売り上げが活況を呈した時期もあったとのこと。

しかし長引くコロナ禍の影響で駅前店舗の主な利用者だった通勤客も減少。売り上げの回復が難しかったといい、「箕輪町にある自社工場の施設や機械などの老朽化の問題もありました。パン事業は一旦終了となりますが、他の事業は継続していく予定です」と、パン事業を「休止」した以降の計画はまだ決まっていないと河合社長は語ります。

綱島に移転した理由、最盛期には多店舗展開も

「昭和四年創業」の美味しいパンをアピールしてきた。フランスのロアール川を語源とする店名にちなんだキャラクターの「ロアール君」は河合社長の時代に誕生した

「昭和四年創業」の美味しいパンをアピールしてきた。フランスのロアール川を語源とする店名にちなんだキャラクターの「ロアール君」は河合社長の時代に誕生した

代々「綱島パン」の経営を行ってきた「河合家」の先祖のルーツは、江戸時代の愛知県三河地方

「パン店の創業前は、酒屋をしていた時代がありました。鶴見区矢向に先祖の足跡を確認できるのですが、三河から横浜の鶴見に移り、幕末の生麦事件などがあった影響で、今の中区関内・関外エリア、野毛にも近い花咲町付近でも酒を販売していたようです」と、初代経営者の故・河合龍三(りゅうぞう)さんの跡を継いだ二代目の故・河合和夫さんらから聞いたという“源流”を説明。

箕輪町の「ロアール」本店は綱島SST(Tsunashimaサスティナブル・スマートタウン)に近い立地ということもあり英語での閉店告知もおこなわれていた

箕輪町の「ロアール」本店は綱島SST(Tsunashimaサスティナブル・スマートタウン)に近い立地ということもあり英語での閉店告知もおこなわれていた

パン事業を創業した地・新太田駅(東急東横線の反町駅と東白楽駅の間にかつてあった駅)付近、現在の神奈川区広台太田町(ひろだいおおたまち)から1943(昭和18)年に綱島に移ってきた経緯について、「実は軍需工場が鶴見川沿いにあったことも移転の理由だと聞いています」と、激しい市中心部の戦禍を逃れつつも、綱島にあった“需要”を求めてやってきたという歴史にも言及します。

当初は「綱島製パン」として地域に根差した卸売りや受託生産なども手広く手掛け、創業の地の子母口綱島線(バス通り)沿い日吉駅前南日吉商店街鶴見駅綱島駅ビル内イトーヨーカドー綱島店イオン駒岡店、工場機能を持つ現在の箕輪町の本店などを展開。

「ロアール」ブランドを確立した最盛期のバブル経済期の1990(平成2)年前後には、綱島・日吉の周辺エリアで6店舗まで事業を拡大した時代もあったといいます。

想い出深いパン製造の歴史、惜しむ声

「ロアール」本店にも閉店告知以降多くの来店客があるという

「ロアール」本店にも閉店告知以降多くの来店客があるという

東京・板橋のパン店で修業した後、20歳の頃から同店で勤務していたという河合和彦社長

「自身、この店で勤務して40年となりました」とその歴史、日々の想い出をしみじみと振り返ります。

一番思い入れが深いパンについて、「入社したての20歳のころ開発した『ドヌーブ』パンです。フランス発祥のパンドミー(フランス発祥のパン)で、まだ当時は珍しいジャンルの製品であったことから、はじめは売れにくかったのですが、少しずつ売れ始めたことが大変嬉しかったことを覚えています」と、“もちもち、まわりはパリッとした食感”だというパンを自ら開発したエピソードを思い起こします。

昭和レトロを感じる老舗らしい「シベリア」には、「閉店までに1度は召し上がってください」との店舗スタッフの手書きコメントも

昭和レトロを感じる老舗らしい「シベリア」には、「閉店までに1度は召し上がってください」との店舗スタッフの手書きコメントも

深く地域に根差した両店の閉店を嘆く声は多く、綱島商店街連合会の中森伸明会長は、「小学生の頃、綱島バス通り沿いに店舗があった時代に、当時最先端といわれたドーナツを揚げる機械を導入していたのをガラス越しに眺めたのが懐かしいですね」と、イトーヨーカドー出店時にも“商店会仲間”として活動した店舗の閉店を惜しみます。

創業者・河合龍三さんの孫で、幼少期を箕輪町の工場敷地内で過ごしたという島名貴子さん(たつ吉グループ=有限会社河合商事社長)は、龍三さんの妻で祖母の故・河合エイさんに可愛がられて育ったといい、「たつ吉創業前に父(河合隆雄さん)と母(河合愛子さん)が勤務していて、パンの配達に一緒にいったことをよく覚えています」と、地域に親しまれた店舗を家族ぐるみで作り上げた時代があったことを懐かしみつつ、閉店のショックを隠せない様子でした。

最後まで勤務の職人・スタッフに感謝

現在の建物が経つ前の時代、駐車場も含む敷地いっぱいに工場や社員寮などが置かれていた

現在の建物が経つ前の時代、駐車場も含む敷地いっぱいに工場や社員寮などが置かれていた

河合和彦社長の弟で、かつて洋菓子店でパティシエとして勤務したこともある河合俊和統括マネージャーも、閉店を悲しみつつ、「最後まで美味しいパンを焼いていきたい」と、閉店の日まで“想いを込めて”パン製造にあたるといいます。

約8年間、本店で勤務した日吉在住の店舗スタッフも、「とても家庭的でアットホームな店でした」と閉店を悲しみます。

河合社長にとって想い出深い「ドヌーブ」パン。入社したての20歳の頃に自ら開発した

河合社長にとって想い出深い「ドヌーブ」パン。入社したての20歳の頃に自ら開発した

河合社長は、「職人、そしてスタッフは、“閉店するまで最後まで勤務します”といってくれるなど、閉店をすることで、ほんとうに素晴らしい人々との出会いがあったのだと感じています」と、これまでの日々、勤務してくれたスタッフや仕事でかかわった人々にも、心から感謝したいとのこと。

たくさん、パンを作りたいと思っているものの、(お好きなパンやお菓子などが)売り切れてしまったら、すみません」と河合社長。

「懐かしい」風景を目に焼き付けておきたい

「懐かしい」風景を目に焼き付けておきたい

「最後まで、美味しいパンを提供したい」という想いを抱きながらも、それが叶(かな)わぬほどの来客数があるかもしれないということにも“感謝の想い”を抱きながら、閉店の日までの日々を歩んでいくとのことです。

【関連記事】

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閉館まで残り20日を切った「綱島駅ビル」、老舗パン店ロアールも終了(2015年12月21日)

【参考リンク】

ツナシマパン パンのロアール(綱島もるねっと~綱島商店街)

ロアール 本店(食べログ)

たつ吉グループの歴史(有限会社河合商事)※「綱島製パン」が源流の歴史も


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