<わがまち港北歴史探訪>慶應と日吉住民が90年近く続ける“微妙な関係” | 横浜日吉新聞

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【わがまち港北歴史探訪(北部編)第1回】1999(平成11)年から20年超にわたって港北区内の歴史を掘り起こし、このほど全3巻の刊行が完結した書籍『わがまち港北』(平井誠二、林宏美著)。本連載では同書に収録されたエピソードを各地域ごとに紹介していきます。第1回は日吉の街。慶應義塾大学の関係について同書から探ります。

『わがまち港北』では、慶應義塾大学の日吉キャンパスについて、

第1巻では、

  • 第20話:日吉台地下壕~終戦秘話その2(初出2000年8月)
  • 第55話:日吉の宅地化と慶應義塾キャンパス(初出2003年7月)
  • 第56話:慶應義塾と大倉山(初出2003年8月)

第3巻には、

  • 第188話:日吉台地下壕の現在・過去・未来~終戦秘話その17(初出2014年8月)
  • 第189話:日誌が語る日吉の連合艦隊司令部~終戦秘話その18(初出2014年9月)
  • 第196話:球春到来!!~港北区と野球の関係・その1(初出2015年4月)

など複数回にわたって取り上げられています。

第55話「日吉の宅地化と慶應義塾キャンパス」が収録されている『わがまち港北』の第1巻

戦争史跡として著名な「日吉台地下壕(ごう)」に関する内容が目立ちますが、なぜ日吉の地に慶應大学のキャンパスがあるのか、という素朴な疑問に対しては第55話「日吉の宅地化と慶應義塾キャンパス」で詳しく説明されています。

1926(大正15)年2月14日の東京横浜電鉄(東急電鉄の前身)の神奈川線(丸子多摩川~神奈川)が開通したことを機に農村地帯の宅地化に舵が切られた日吉。

東京横浜電鉄は、渋沢栄一らが立ち上げた田園都市会社(東急や東急不動産の母体となった企業)とともに、日吉台の土地7万9600平方メートル(東京ドームの約1.7倍=現在の日吉駅前周辺)を分譲したものの、当初は思うように売れなかったといいます。

事態を打開するために東京横浜電鉄などが目を付けたのは、大学の誘致でした。

慶應大学日吉キャンパス(2020年)

都心のキャンパスが手狭になった慶應義塾大学が神奈川県内で諸施設の移転先を探し始めたことに着目。日吉台の土地23万7600平方メートルを無償で寄付したうえ、さらに日吉台の土地10万5600平方メートルの買収をあっせんするという破格の条件を提示。

他の鉄道会社も参戦していたとされる誘致合戦に勝利し、1934(昭和9)年に慶應義塾大学のキャンパスが日吉に開校しました。

当時の年間運賃収入が「51万円」だった鉄道会社が「約72万円」相当の土地を無償で寄付するという思い切った“投資”が功を奏し、日吉台の分譲地は慶應義塾大学の移転前と比べて地価が2.5倍に高騰。それでも急激に販売が進んだということが『わがまち港北』に紹介されています。

こうした慶應義塾大学の誘致経緯については、比較的よく知られた話ですが、特に日吉の在住者には、あらためて日吉の原点とも言える過去の歴史を振り返ってみたいところです。

日吉駅前に広がる慶應大学日吉キャンパス

どこにでもありそうな農村に過ぎなかった日吉は、鉄道会社による開発と大学の進出によって、住民は“学園都市”や“文教の街”といったブランドを享受することになりました。

一方で、慶應義塾は土地の寄付など大歓迎される形で迎えられましたが、住民は高騰した土地を購入して移住してきたというがあったわけです。

そして、現在まで日吉に居住する大半の住民は、慶應義塾の進出後に住み始めているという事実もあわせて考えてみると、90年近くにわたって言語化が困難で、どこかもやもやした感が漂っている慶應と日吉住民の“微妙な関係”をひも解くヒントとなるかもしれません。

また、日吉キャンパスで太平洋戦争時に日本海軍によって強行された地下壕の掘削や、多くの校舎が焼かれた米軍の空襲、戦後には米軍による接収など、その後の苦難の歩みもあわせて読むことで、慶應にとっての日吉と、日吉にとっての慶應を考えるきっかけとなるはずです。

書籍『わがまち港北』について:港北区役所が発行する区民向け月刊情報紙「楽遊学(らくゆうがく)」で、1999(平成11)年1月から2018(平成30)年4月まで連載された歴史エッセー「シリーズわがまち港北」を中心に、2020年までの書き下ろし作品や資料を含め全3冊の書籍としてまとめたもの。2人の筆者は大倉山の「大倉精神文化研究所」に所属。2020年11月の第3巻刊行を機に全3冊の全国発売と電子書籍化を実施。くわしくは書籍『わがまち港北』の公式ホームページ

)わがまち港北歴史探訪の「南部編」は新横浜新聞~しんよこ新聞に掲載中

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