綱島温泉の名残を求め歴史散策、開港資料館のツアーに定員の4倍が応募 | 横浜日吉新聞

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綱島温泉の名残を求めて歩く「横浜開港資料館」による史跡散策ツアー「京浜の『奥座敷』~綱島温泉を歩く」が先週(2018年4月)6日に行われ、約60人の応募者のなかから当選した15人が大倉山駅から綱島駅周辺にかけて散策を行いました。

樽町エリアに残る数少ない旧温泉旅館の建物を眺める参加者ら

1916(大正5)年ごろに最初の温泉旅館が誕生し、昭和10年から12年ごろにかけて大きく発展したと言われる綱島温泉。第二次世界大戦中の休業期を経て、戦後の高度成長期には二度目の繁栄を迎えたものの、2015年5月に日帰り施設「東京園」が無期限休業となったことにより、現在は温泉地としての歩みを止めています。

そんな歴史ある温泉街でしたが、当時の痕跡はほとんど残っておらず、数少ない当時の建物も今後数年で消えてしまうことが予想されているだけに、今回の散策は人気を集め、定員の4倍となる約60人からの応募があったといいます。

当日は綱島温泉の研究を進めている横浜開港資料館の調査研究員・吉田律人さんの案内で、大倉山駅から綱島駅周辺まで2時間をかけて歩きました。また、これまで綱島温泉など港北区内の歴史を多数掘り起こしてきた大倉精神文化研究所所長の平井誠二さんも参加者の一人として、「話を聞きながら実際に現地を眺めてみると新たな発見があった」と熱心にメモを取りながら歩いていました。

散策の模様を写真でお伝えします。写真をクリックすると拡大します。

大倉山駅から綱島街道で大曽根方面へ。東急東横線(東京横浜電鉄)が開通する1926(大正15)年以前は「下末吉台地」の丘を苦労して越えて温泉旅館へ行かなければならなかったという歴史があり、一行は往時をしのびながら歩きました。なお、現在の綱島街道ができたのが昭和10年代だといいます

綱島街道の原型(旧道)である「大曽根商店街」を通り抜け、樽町の温泉旅館街へ向かいます

大曽根商店街にある銭湯「太平館」は、天然ラジウムを含んだ黒湯が自慢で、「ここは綱島温泉と同じお湯を今も体験できる貴重な銭湯の一つです」と吉田さん。綱島エリアの黒湯は火山性の温泉ではなく、古代が海だったことによる堆積物から噴出しているもので、当時から現在まで“沸かし湯”として使われています

綱島温泉の源流である温泉旅館街が形作られていた樽町へ向かいますが、その痕跡はほとんど残っていないため、当時と温泉街マップを片手に位置関係を確認

散策に使った綱島温泉街マップは昭和10年ごろにつくられたとみられるイラストマップで、大綱橋や道路の位置などが若干デフォルメされている可能性があるといいます

樽町が温泉街であった痕跡の一つとして、当時の東急(東京横浜電鉄)が観光目的として1934 (昭和9)年に設けた「綱島菖蒲(しょうぶ)園」(昭和13年の大水害により閉園したとされる)があり、現在は交差点名の「菖蒲園前」に残っています。なお、菖蒲園があった位置は、写真にうつる三菱自動車販売綱島店の場所であり、「樽町しょうぶ公園」ではないとのことです

数少ない資料をもとに現在と当時の位置関係を検証する場面も

樽町エリアには昭和10年代で13の温泉旅館があったものの、その跡を見つけ出すのは非常に難しい状況。認可保育所「小学館アカデミーつなしま保育園」の付近には、温泉旅館のなかでも特に古い「琵琶圃(びわはた)」が置かれていたとみられます。なお、この付近は樽村の琵琶圃と呼ばれていた地域だといいます

綱島温泉の歴史を残す唯一の“史跡”が樽町2丁目にある「ラヂウム霊泉(温泉)湧出記念碑」(昭和8年建立)。1914(大正3)年に温泉を発見した飯田助大夫快三(すけだゆうかいぞう)氏と加藤順三氏の名などが刻まれている重要な石碑(※文面は「わがまち港北」参照)。当時温泉が湧出した井戸は現在の綱島街道の下に埋もれているといいます。なお、向かいにある「創価学会港北文化会館」の付近には、綱島での温泉旅館の元祖と言われる「永明館」が建っていたとのことです

鶴見川の土手から、樽町の温泉旅館街で現在も残る唯一の建物とみられる旧「長楽」(ファミリーマート樽町二丁目店隣の建物)を眺めました

大綱橋を渡り綱島東へ。綱島温泉で最古級の旅館であり、今も建物の一部が残る「入船亭(割烹旅館入船)」(綱島東1丁目)の周辺を散策し、綱島温泉の特徴である“離れ”の多さを眺めました

「入船亭(割烹旅館入船)」の出入口の一つだったとみられる木の扉には、綱島の特産品である「桃」が彫られており、温泉と桃で栄えた古き綱島を今も感じることができる貴重な史跡といえそう。後方に見えるのはマンション「リビオ綱島」

次は綱島の温泉街では最大規模を誇った西口(綱島西2、ヨーカドー付近)へ。ここでは旧温泉旅館の敷地がそのままマンションなどに変わっていることが多いといいます。なお、西口商店街の地図には温泉宿泊施設で最後まで残った「浜京」(横浜市立学校教職員互助会の保養施設で2008年廃止、現在はコインパーキング三井のリパーク綱島西2丁目)の表示が今も残ります

1995年に建てられた9階建てのマンション「レジデンス水明」は、綱島温泉の二大旅館と言われたうちの一つ「水明楼」の跡地

1982年に建てられた10階建てのマンション「梅島ニックハイム綱島第7」(1階にTSUTAYA綱島店など)は二大旅館のもう一つである「梅島館」の跡地です

1階に喫茶店「カルディ」などの店舗も入る1980年建設の大型マンション「ニックハイム綱島第1」付近は、戦後の綱島温泉を牽引した大型レジャー温泉施設「行楽園」(1952<昭和27>年開業、1973<昭和48>年閉館)の跡地でした

散策ツアーは、西口温泉街の中心部だったパデュ広場(ヨーカドー前)で解散となりました。今後は温泉の痕跡がさらに少なくなることが予想されるだけに、綱島東口や西口にも歴史を伝える石碑などの何かが欲しいところです。なにより、旧温泉地エリアで新たな温泉施設の復活が望まれます

【関連記事】

<開港資料館>綱島温泉を発見したのは誰か、戦前までを振り返る研究を発表(2018年3月19日、綱島温泉の誕生から戦前までの歴史詳細)

綱島温泉の歴史に光、開港資料館の企画展「銭湯と横浜」で繁栄振り返る展示や講演も(2018年1月24日、今回のツアーも同企画展の一環)

【参考リンク】

横浜開港資料館の企画展「銭湯と横浜-“ゆ”をめぐる人びと」(4月22日まで開催中、旧温泉旅館「梅島館」の資料なども展示。4月14日(土)13時30分から展示物の解説あり、月曜日は休館)


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