半世紀ぶり制作中の「東急100年史」、2004年分まで社史を先行公開

横浜日吉新聞

苦難から復活への半世紀を刻んだ「東急グループ」の社史がまとまりつつあります。

東急株式会社は1973(昭和48)年4月に発行した「東京急行電鉄50年史」以来となる社史「東急100年史」の制作を進めており、先週(2023年)1月5日には全9章のうち第7章までをインターネット上に公開しました。

東急グループ100年の歩み」と題したページの下部に社史「東急100年史(WEB版)」へのバナーが掲載されている

1970年台から80年代にかけてのリゾート開発や航空事業への参入といった“全国制覇”と世界進出を目指す動きを経て、バブル経済破綻という苦境に陥った90年代以降、東横線における混雑対策生活サービス産業の拡充など“沿線深化”へと舵を切っていく同グループの記録は、首都圏の沿線史として見逃せない内容となっています。

東急では前身の「目黒蒲田電鉄」が誕生してから100年の節目となる昨年(2022年)を“100周年イヤー”に設定してさまざまな記念行事を展開しており、社史制作もその一環。

1973(昭和48)年に刊行された社史「東京急行電鉄50年史」の表紙(左)と口絵、こちらもPDF化のうえ新たに公開された(同PDFより)

同社グループ内では、東急バスや東急ストア、東急建設、東急不動産など多くの傘下企業が個別に社史や記念誌を刊行し、東急電鉄も「多摩田園都市 開発35年の記録」といった大型プロジェクトごとの記念誌を発行していましたが、グループ全体を俯瞰した社史は「50年史」の刊行以降は制作されていません。

50年ぶりの刊行が予定される「東急100年史」は、「多くの方の目に触れることで、記載の誤りなども見つけていただける」(同社)として、完成した章からインターネット上に先行公開する形をとっており、昨年5月時点で4章分が閲覧できるようになっていました。

その後も順次公開が続けられ、1月5日時点では2004(平成16)年までを記録した第7章が完成している状態です。

「東急100年史(WEB版)」は現在7章まで公開されており、春には全9章が出そろい、その後は書籍化も行われる予定だという(同ページより)

このなかには、日吉や綱島など東急電鉄の沿線住民に深く関係する「東横線の複々線化(目黒線の日吉延伸)」や、日吉駅と綱島駅・大倉山駅と菊名駅間の高架化など交通インフラの刷新をはじめ、東急百貨店東急ストア、ケーブルテレビ「イッツコム(iTSCOM)」ほか生活関連企業の動きも細かく記録。

高架化される以前の元住吉駅、目黒線の乗り入れを構想しての高架化では当初、踏切を解消する関係で目黒線にはホームを置かず、武蔵小杉と日吉間を直通させる計画があったという(2004年2月)

また、東急グループの航空会社「日本エアシステム(JAS)」(旧「東亜国内航空」、現「日本航空」)や東急観光(現「東武トップツアーズ」)といった日本の航空・観光業界を支えた著名企業の動向や、渋谷の激変田園都市線沿線の歩みなど1980年代以降の文化に影響を与えた街の動きも興味深いところです。

10年前の東急渋谷駅は“カマボコ屋根”の地上駅で、まだ高いビルはセルリアンタワー(左奥)と渋谷マークシティ(右奥)、渋谷ヒカリエ(本写真の撮影場所)くらいしかなかった。両ビル建設の経緯も100年史に詳しく記されている(2013年3月)

一方、JASや東急観光を失ってしまったように、バブル経済の破綻を挟んだ1990年代から2000年代にかけて東急グループを揺さぶった危機も包み隠さず記録しているのは、企業の「正史」として位置付けられる社史ならではといえます。

東急グループだった「日本エアシステム(JAS)」はJALに吸収される形で今は消えてしまった、100年史で詳しい歩みを振り返ることができる(2002年9月、羽田空港)

資料の収集など準備段階を含めると10年近くかけて制作されているという「東急100年史」は、容易に一読できるような分量ではありませんが、興味のある章から読むだけでも、数十年間にわたる沿線での生活の歩みを思い出させてくれるはずです。

日吉・綱島の周辺に関係した内容を取り上げたページをトピックごとに紹介します。

東横線の複々線化(目黒線の日吉延伸)

田園都市線の全通後に取り組んだのが「東横線」の混雑対策。それが当時の「目蒲線」を分割し、目黒線として東横線と一部並走(複々線化)させたうえで目黒経由で都心まで乗り入れるという気が遠くなるほど巨大なプロジェクトでした。日吉駅の大改良や元住吉駅での計画の困難さなどは貴重な記録です。(第5章2節第6章2節第7章2節

日吉~綱島・大倉山~菊名間の高架化

今では当たり前となった高架橋の風景ですが、日吉や綱島の踏切を解消するまでの記録は見どころ。一夜にして地上から高架へと風景を変えてしまう東急開発の工事技術にも注目。(第6章3節1-1・1-2)

ケーブルテレビ事業の将来性と決断

将来を見越して1972(昭和47)年には実験放送を行っていたという東急のケーブルテレビ事業(現「イッツコム(iTSCOM)」)。インフラ整備に240億円を投資しても10年間は黒字化が難しいと言われるなか、「240億円か、地下鉄1キロ分だな」と言って参入を決断した五島昇社長のエピソードがユニーク。(第5章5節2-4・2-5)

東急百貨店と東急ストアはどう動いたか

日吉東急百貨店(現「日吉東急アベニュー」)がオープンした1995(平成7)年当時、バブル経済崩壊もあって消費が低迷し、日吉駅のリニューアルなど自社の事業に関連する場所以外は新規出店を抑制していたという東急百貨店。一方、地域密着の東急ストアは比較的安定していたといいます。似た構図は新型コロナウイルス禍初期にも見られました。(第6章9節第7章1節2-4と2-9)

樽町でも展開、東急のガソリンスタンド

今では覚えている人が少ないかもしれない東急グループのガソリンスタンド事業(2001年3月撤退)ですが、1970年代の洗車無料サービスは話題を集めたといいます。1961(昭和36)年に樽町2丁目で「綱島SS」(現「セブンイレブン横浜樽町2丁目店」の場所)を出店し、東急バス新羽営業所近くの「新羽SS」は1971(昭和46)年のオープン以来、今も別の会社に引き継がれて営業中です。(第5章10節2-3)

【関連記事】

東急が「100年の歩み」特設ページ、日吉や綱島などの貴重な沿線史(2022年5月30日)

東急バスが「30周年記念誌」をネット公開、日吉・綱島周辺での動きも記録(2022年4月8日、東急バスも独自に社史を制作)

【参考リンク】

東急100年史(2023年1月時点で全9章のうち第7章まで公開)

東京急行電鉄50年史(1973年4月発行)(前回刊行の「社史」もPDFで公開中)


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