東急バスが「30周年記念誌」をネット公開、日吉・綱島周辺での動きも記録 | 横浜日吉新聞

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今年百周年を迎える東急グループで、重要な30年間の軌跡が凝縮されています。東急バスは昨年(2021年)5月に会社発足から30周年を迎えたことを記念し、今年(2022年)3月末に「30周年記念誌~東急バス 東急トランセの歩み」を制作するとともに、過去に刊行した記念誌も含めて全5冊を電子書籍の形で無料公開しました。

3月末に刊行したばかりの「東急バス30周年記念誌」は電子版を先行公開している

東急バスが電子版で公開したのは、先月3月31日に発行した30周年記念誌のほか、2011(平成25)年10月発行の「東急バス20周年記念誌~東急バス 東急トランセ これまでの歩み」、2002(平成14)年3月に発行した「東急バス10周年記念誌~東急バス10年の歩み」の3冊に加え、1998(平成10)年に発足した子会社の東急トランセが5周年と10周年時に独自刊行した記念誌の計5冊。

同社によると、「これまでの感謝を込め、広くご覧いただきたいとの思いから電子化した」といい、先月発行したばかりの30周年記念誌はまだ製本を行っておらず、現時点では電子版のみを公開している状態だといいます。

1991年に電鉄から“分離独立”

もとは東急電鉄(東京急行電鉄)の直営路線バスとして昭和初期に誕生した“東急バス”でしたが、昭和40年代をピークにバスの乗客が減少に転じ、自動車部門の赤字が続いていたといいます。

「10周年記念誌」には会社発足の経緯が載っており、東急電鉄時代の歴史も詳しい

平成に入って間もない1991(平成3)年5月21日、電鉄の自動車部門を分離させる形で、従業員数2262人、資本金72億5000万円の企業として独立。大手私鉄のなかでバス部門を分社化したのは東急が最初だったといわれています。

5冊の記念誌には、路線の新設や撤退、高速バス事業の断念と復活、綱島から始まった外食事業への進出など細かな歩みが記録されています。

バス事業は基本的に地域密着型なのです。地域の人々と共に生きるという基本的な姿勢が必要です。これは東急グループ全体の仕事と全く同じで、最も身近な交通を分担するのが私共です」(10周年記念誌、取締役会長・井原國芳氏に聞く)との言葉を初代社長が残しているように、記念誌内にも日吉や綱島など地域における事業記録も目立ちます。

日吉営業所や綱島のラーメン店

1993年に廃止された「日吉営業所」や新設間もない「東山田営業所」、リニューアルした「新羽営業所」など貴重な写真も掲載(「10周年記念誌」より)

10年ごとの記念誌からは、慶應義塾大学から用地を譲り受けて1962(昭和37)年に新設した「日吉営業所」(現バス回転所)の廃止(1993年)や「東山田営業所」(都筑区東山田)の新設(同)、1966(昭和41)年に延伸した田園都市線への対応や港北区での需要増から設けた「新羽営業所」(新羽町)の現在まで続く重要性など、平成期の興味深い動きを追うことができます。

また、東急バスが関連事業として外食産業へ進出したのは、綱島駅近くの子母口綱島線沿いにあった社有地を使って1993(平成5)年に始めた「さっぽろラーメン横丁・満龍 綱島店」(2008年に東急グループの別会社へ移管後「綱哲」に変更、2018年7月閉店=現東急ストア用地)が第1号だったことなど、今では知る人が少なくなった関連事業についても掲載。

2018年7月に閉店したラーメン店「綱哲」は東急バスの象徴的な店舗だった

そして、目まぐるしく行われたバス路線の再編も細かに記録されており、特に2008(平成20)年3月の地下鉄グリーンライン開業前後に実施された計3回の大きな改変や、高収益事業として期待されながらも5年弱で撤退となったリムジンバス「日吉羽田空港線」(2004年~2009年)などは、当時を知る人にはもう懐かしくなってしまった動きかもしれません。

2003(平成15)年にミニバスを使って参入した「さくらが丘線」(日吉駅~井田病院正門前~さくらが丘)や、2005(平成17)年の「新吉田線」(綱島駅~グリーンサラウンドシティ~新羽駅)の新設は、現在まで断続的に続く日吉・綱島周辺における大型再開発の一断面を表しているといえます。

また、2002(平成14)年に始まった東山田営業所での日吉台西中学校など周辺中学校からの職場体験受け入れといった地域貢献に関する記録も見逃せないところです。

これまでのバス車両と改善の軌跡も

「20周年記念誌」では東日本大震災時の記録にもページが割かれている

このほか記念誌では、鉄道が早々に運行を取り止めるなか明け方近くまで運行した2011(平成23)年の東日本大震災や、2020年3月に始まった新型コロナウイルス禍といった大型災害への対応については、重要な記録として数ページが割かれています。

バスの車両についてもこれまでに導入した車種やデザインの経緯などを写真付きで紹介しているほか、車両改善面では、2011(平成23)年以降は車両の重量が軽くなったことから、車内に2つ目の換気扇を取り付け始めていたという記録は、コロナ禍の現在では興味深い内容です。

“失われた20年”といわれた経済縮小の平成期に独立しながらも何とか乗り越え、令和の現在は新型コロナ禍という未曾有の災害に見舞われるなかで迎えた東急バスの30周年。次の40年記念誌には、地域とともに危機を乗り越えた記録が刻まれていることを願うばかりです。

【関連記事】

目黒線に「100周年トレイン」、東急の1世紀を振り返る第一弾企画(2022年4月11日、今年は東急グループが100周年)リンク追記

たまらなく懐かしい「昭和の団地」、篠原町など県住宅公社の物件や生活を記録(新横浜新聞~しんよこ新聞、2022年3月28日、こちらは70年間の記念誌を公開、中原区や南加瀬と一部日吉の物件も紹介)

【参考リンク】

東急バス・東急トランセ「社史(記念誌)」のページ(電子書籍で公開)

2022年に百周年を迎える東急株式会社の歩み「THE HISTORY」(東急における宅地開発の歴史)


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