<レポート>日本に現れた「世界的リゾート地」、日吉からの移住者を訪ねて | 横浜日吉新聞

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【レポート】「相鉄・東急直通線(東急新横浜線)」の開業期待から人口が増え、土地価格も上昇傾向にある日吉・綱島エリア。そんな状況が小さく見えるほど地価を上げ続けている場所日本に存在しているといいます。同地へ移住した日吉出身者を訪ねるとともに、港北区在住のライター・田山勇一氏が現地をレポートしました。

1年で地価が6割上がった街

世界的なリゾート地となった場所が日本にある

北海道でも特に山深い豪雪地帯にあり、スキーの上級者くらいしか知らないようなエリアが近年、世界中の富裕層から注目を浴びるリゾート地として、地価を上げ続けている

最近、そんな街に日吉から移住した人がいると聞き、現地を訪ねた。

現在40代後半で、小学生の長女と保育園へ通う長男がいる鈴木玲子さん。諸事情あって仮名にさせていただいた。

鈴木さんが移住した先は「北海道ニセコ」。経済系のメディアなどで定期的にその名を聞くエリアは、地価上昇率で4年連続の日本一を記録しており、2019年の基準地価では前年比66%超という上げ幅を記録。1年で土地の価格が6割増しとなる、そんな地域が今の時代の日本にある。

新幹線が開業すれば東京直結

そのニセコへは、新千歳空港からバスで2時間超、北海道の観光名所である小樽からはJRで1時間半ほど、それほど便利とは言えない場所だ。

新幹線は札幌へ向かって伸ばしており、2031年にはニセコの最寄りである「倶知安(くっちゃん)」を通る計画(北海道庁「北海道新幹線のページ」より)

しかし、現在は北海道の玄関口・函館の街外れで止まっている「東北新幹線・北海道新幹線」が220キロほど先の北へ向かって、ニセコ最寄りの「倶知安(くっちゃん)」を通り、小樽を経て札幌駅まで延長するための工事を行っているのだという。

11年後の2031年には、北海道一の大都市である札幌からはもちろん、東京からも新幹線を使ってニセコまでアクセスが可能となる。

このあたり、「相鉄・東急直通線(東急新横浜線)」が開業する期待感から地価が上昇気味な日吉や綱島に似ていなくもないが、新幹線は今から10年以上の時間を要する計画だ。

工事の8割は深い山を貫く難度の高いトンネルを幾つか掘らねばならないため、計画通りに開業するのかは微妙なところではある。

米ニューヨークのような場所

東京駅を6時半過ぎに出る東北新幹線の始発に乗れば11時前には北海道・函館まで行ける。将来的にはニセコへの直行も可能に

早朝に東京駅を出た新幹線で一気に「青函トンネル」を越え、北海道の新函館北斗駅から特急列車と1日に数本しかないローカル線を乗り継ぎ、8時間半かけてニセコ駅までたどり着いた。

将来的には新幹線でこの半分くらいの時間で直行できるようになるはずだが、今は首都圏から新幹線で行くのは少々遠い

日吉から移住した鈴木さんは、「品川」ナンバーの車で深い雪道を走ってやってきた。

ニセコ駅は日本での「カタカナ駅名」の先駆けでもある

「ニセコには私よりもっと面白い人がたくさん移住していますよ」と鈴木さん。いきなり紹介いただいたのが、オーストラリア出身のランド・クリスティアンさんと、札幌出身のランド千佳さん夫妻だった。

夫妻は、海外からの移住者や観光客に向けた英語の無料雑誌「powderlife(パウダーライフ)」を2007年に創刊した。フルカラーで200ページ以上もあり、この無料とは思えない立派な雑誌を出版するための企業をニセコで営んでいるという。

「powderlife(パウダーライフ)」など3冊の英語版雑誌を定期発行している

ニセコはニューヨークみたいな場所でしょうか。ここでビジネスを成功させたい、という人がチャンスを求め、次々とやってきますね」。

ランド千佳さんの言葉にいきなり驚かされる。

現在30代後半のランド千佳さんは、大手航空会社で勤務していた2000年代初頭、オーストラリアから人々が大挙してニセコへやってくるという“異変”にいち早く気付き、「ここなら英語を使った仕事がもっとできるかもしれない」と会社を辞して移住を決断した。ニセコは、祖父母が暮らす地という縁もあった。

ランド・クリスティアンさん(左)とランド千佳さん

そして、知り合ったのがニセコへ大挙して訪れていたオーストラリア人の一人だった、3歳上のランド・クリスティアンさんだ。

「最初は雪質の良いニセコでスノーボードがしたくて、ワーキングホリデー(長期滞在中に観光や就労が可能な制度)で来ていたのですが、いつの間にか働くようになっていました」。

オーストラリア生まれのランド・クリスティアンさんだが、外交官だった父親の転勤で幼少時代は東京・六本木で暮らしていたことがあり、外交官から転じた父親は現在、北海道内でサラブレッドの輸出入を手掛けているという。日本や北海道とは何かとつながりもあった。

「powderlife」は雑誌版だけでなく、Webサイトでも読めるようになっている

「ニセコの宿泊施設で働いていた頃、来日客から日々色々な質問を英語で受けていて、英語の情報誌があれば便利なのに、と考えたのがきっかけで雑誌を創刊しました。もともと、オーストラリアでは記者の仕事をしていたので、ニセコでもいつか新聞を作りたい思いはありました」。

そうして夫妻が創刊した雑誌powderlifeは、英語での誘客ツールとして英語圏を中心とした海外へ輸出されるだけでなく、現在ではニセコの高級ホテルや飲食店へ行けば必ず見かけるまでの存在となった。無料刊行を維持する広告も海外富裕層向けのものが大半だ。

美しい写真に目を奪われてしまう

私(筆者)のように英語読解力が乏しくても、各ページを彩る美しい写真に思わず目を奪われてしまう雑誌で、そんな日本人からの「読みたい」という要望に応えるため、現在は日本語化への対応も進めている最中だという。

ニセコを訪ねる際は、ぜひ日本人も一読しておきたい雑誌だ。

なぜ日吉から移住したのか?

ニセコ駅

ビジネスチャンスを察知して移住したランドさん夫妻のような背景とは、まったく異なる思いでニセコへ移り住んだのが、日吉からの鈴木さんだった。

「馬と暮らしたかった」

冗談のようにも聴こえてしまうが、その思いは幼少時からの筋金入りで、困惑した両親から告げられた「北海道だったらできるよ」との言葉を胸に秘め、40年以上の時間をかけて計画を実行に移した。

2人の子とともに移住した(鈴木さん提供)

ニセコの自宅では、今はまだ馬と暮らすまでには至っていないが、近所ですぐに馬に会いに行ける環境が得られ、家の周りにも広大な空地が広がっている。素人目で見ても馬の1頭や2頭は飼えそうな雰囲気はある。

実は鈴木さん、今回のニセコへの移住を本人と2人の子どものみで決行していた。

父が息子と娘を引き連れて北海道の富良野へ移住することから始まるテレビドラマ「北の国から」の母親バージョンともいえる構図で、鈴木さんの夫は、妻からの命のもと、日吉に残って“単身赴任生活”を余儀なくされているという。

幼少期からの夢とはいえ、二人の子供を抱え、見ず知らずの土地での新生活に不安はなかったのだろうか。

今年の冬は暖冬だったが、ニセコ周辺は北海道内でも有数の豪雪地帯として知られている

「そもそも、夫とは北海道へ移住する前提で結婚したので、時期を見てこちらで一緒に暮らしたいと思っています」と話す一方、「ただ、夫のリードで北海道への移住を待っていても、永遠に実現しないなと、このままでは“契約不履行”になるのは目に見えていたので、私が動いたまでです」と笑顔で切り出す鈴木さん。

二人の子どもも母親の夢を後押しすることになった。小学生の長女は日吉の大規模校から全児童十数人の小さな小学校へ移ったが、運動会や発表会など、行事での出番が多いこと以外に違和感はない様子。「こっちへ来てからママがあまり怒らなくなった」とこっそり教えてくれた。

「日吉に住んでいた時から、夫は常に仕事で全国を飛び回っているので、家にいないことに違和感はないですね。特に今はスカイプ(Skype)やフェイスタイム(FaceTime)といったITサービスを使えば、タイムリーに顔を見ながら通話ができるので、子供たちも平日はパパがいなくても特に気にはしていないようです」と鈴木さん。

「ただ、週末でしょうね、パパがいなくて寂しいと思うのは……。なので、日々、皆でパパに『早く北海道で仕事を見つけて!』とプレッシャーをかけているところです」と話す。

大自然と英語、良好な子育て環境

身近な場所で自然体験できる機会は多い(鈴木さん提供)

鈴木さんは、子育てする環境としてもニセコは最高だと言う。「以前は子どもが小学校で何かできないことがあると、『親の責任』という感じになって焦ることもありましたが、こちらでは先生が『私の指導力不足です』と言って、親身になって対応してくれる」と感心する。

「しかも!」と熱くなる鈴木さん。「ニセコは小学校や中学校はもちろん、高校にまで給食があるんですよ横浜では考えられませんよね。横浜市の中学校給食はその後どうなりました?」。

このページは全国で読まれるかもしれないので、筆者が代わりに質問に答えておくと、横浜市は今も公立中学校で給食を実施していない全国でも稀有な自治体のままだ。かつては「子どもの弁当作りは親の愛情」といった価値観を醸成することでしのいでいたが、近年は鈴木さんのように働く親からの不満や不安が噴出

市は「中学校昼食」や「ハマ弁」といった横浜独特の言葉とシステムを作り出し、統一弁当を安価販売することで急場をしのぐ。「中学校食」は無くても、「中学校食」の有料提供は実施しています、というのが市の言い分といえる。

空いている時期にスキーが楽しめるのも居住者ならでは(鈴木さん提供)

ニセコでは、給食の心配は無用の環境であるだけでなく、地元小学校では、英語圏から移住してきた児童とも一緒に学ぶことになるため、子どもがいつの間にか英語に関心を持つようになる効用もあったという。

現在は地元の建設会社で勤める鈴木さんは、つい最近まで夫と同じ職場で、英語が必須といえる企業で働いていた。「これからの時代は特に英語が必要」と強く感じているといい、子どもが自然と英語が身に付けられる環境であることにも期待しているようだった。

最近、ニセコへは日本全国から我が子を“語学留学”させるケースがあるというのもうなずける。

1つの街だけでも1万人以上が住んでいる日吉と比べ、人口わずか5000人ほどの街へ移住することになったため、「田舎は不便なのでは?」と、北海道外の知人や元同僚に度々尋ねられるという鈴木さん。

自宅付近からの眺め(鈴木さん提供)

実はその不便さが良いのだといい、「物やお店の選択肢が少ないということは、迷わなくて済みます。選ぶ必要が無いから、その分ストレスも無い」と話します。

「日吉に住んでいる時は、選択肢の多いことが便利と思っていましたが、これは『選ぶ作業』が多いということで、日々かなりの神経を使っているのではないでしょうか。こちらへ来て、選ぶ作業自体がストレスになっていたことに気づかされました」。

今の生活は本当にストレスに思ったり、感じたりすることが少ないという。

「もちろん、イライラすることはあるのですが、そういう時でも、ちょっと窓の外に目を向け、羊蹄山(ようていざん)を見ると、その雄大さに、ま、いっか、という気になるんです。自然と一緒に生活することの偉大さを改めて実感しています」。

鈴木さんは、自らの夢を実現させるだけでなく、子どもの教育と自らの生活環境を変えることにも成功したようだ。

中心地に東急のホテルとスキー場

海外から熱い注目を浴びるウィンターリゾート地は倶知安町の中心部から離れた「ヒラフ」と呼ばれるエリアにあり、日本の住所では「虻田郡(あぶたぐん)倶知安町字(あざ)山田」となる

話を聞いた鈴木さんや、無料雑誌を発行するランドさん夫妻が暮らすのは、一般的に“ニセコ”と呼ばれるエリアのなかでも、「ニセコ町」という人口5000人ほどの静かな街で、ここは日本からの移住者が比較的目立つ。

一方、海外の富裕層から熱い視線を浴びているのは、となりの「倶知安(くっちゃん)町」にある“ヒラフ”と呼ばれる地域だ。

ニセコ町の中心部からも、倶知安町の駅前からも車で20~30分の距離にあり、日本語では「比羅夫」という字が当てられている。

大型スキー場「ニセコグランヒラフ」は東急系の運営

このヒラフエリアのど真ん中と言える場所で、ランドマークとなっているのが、東急グループが運営する老舗リゾートホテル「ニセコアルペン」と、大型スキー場の「グラン・ヒラフ」だ。

訪れたのは冬のスキーシーズン真っ最中だったため、宿泊予約はクレジットカードでの前払いのみ。インターネット上で「決済ボタン」を押すのが少々ためらわれるほどの額だったが、日本人が“普通の感覚”で泊まれる場所は、昔からあるこうした「日系ホテル」以外には、あまり見つからなかった。

1986(昭和61)年からある東急系の「ホテルアルペン」は日本人のスキーヤー向けだったが、今では世界的なリゾート地・ニセコの中心に

日本人スキー客向けの安価なロッジもあるにはあるが、年々数が少なくなっており、シーズン中はほとんど埋まっている。

英語で案内している外資系のホテルは、日本円換算で1泊2万円くらいかと思ってよく見たら20万円……。

そんな笑えないことが度々あり、宿を探すうち、主に日本人向けである東急のリゾートホテルが格安に感じるほどになってきた。国内旅行の金銭感覚がマヒしてしまいそうだ。

日本語はほとんど聴こえてこない

ヒラフエリアでは海外富裕層向けのコンドミニアムやホテルの建設が止まらない

高台にある東急のホテルとスキー場へ続く目抜き通りは、左右に真新しいホテルが立ち並び、今もコンドミニアムの建設が相次いでいる

ゲレンデでスキーやスノーボードを滑っていたり、通りを歩いていたりするのは、ほとんどが英語圏の海外訪日客で、日本語はほとんど聴こえてこない。

飲食店に入っても英語のメニューが当たり前の環境で、高級ホテルのレストランやカフェでは日本語のメニュー自体が存在していなかった。

コンビニの品揃えも独特だった

ローソンやセイコーマートといったコンビニは、さすがに日本と変わらない(そもそもここは日本だが)商品を揃えるが、利用者の8割以上が海外客に見える。どこのコンビニでも見たことがないほどワインのラインナップは豊富で、1本数万円という価格の商品も置いてあった。

このエリアのどこからも見えるシンボルが「蝦夷(えぞ)富士」と呼ばれ、富士山のように形の整った標高1900メートル弱の羊蹄山(ようていざん)。先ほどの鈴木さんの話にも出てきたが、この山の眺めは、海外リゾート客の満足度を高めることに一役買っている。

“別荘エリア”も海外客向けの物件が大半

山を一望できるエリアは、真新しい家々が並ぶ別荘地となっていて、なかには世界的なIT長者が所有する豪邸もあると言われる。このエリアでも日本人の姿はほとんど見かけない。

日本国内であるはずなのに、ここは英語が公用語の“外国”と言われても違和感はない。

日本人観光客には「優しくない街」

日本にいるはずだが、国内という気がしなくなってくる

夜、ホテルを抜け出し、できるだけ古そうな居酒屋へ入ってみたが、ここも英語のメニューしかなく、客は筆者以外全員が海外から訪日した人たち。

そして、他の店と同じように働いているのは大半が英語のできる日本人だった。

山林ばかりだった頃からニセコに住んでいたという若い日本人店員いわく、「ここは日本人観光客の方にとって、あまり優しくない街になってしまったのかもしれません」。

日本人を意識した飲食店はあまりない

日本経済新聞によると、世界のリゾート地で見た場合、ニセコの住宅価格は世界31位のレベルで、トップの仏クーシュベル(アルプスのリゾート地)と比べると6割以上も安く、海外の富裕層にとって“お買い得感”があるのだという。

ホテル内に併設する不動産店で、掲示されていた英語の物件情報を見ると、都心のタワーマンション並みかそれ以上の価格帯のコンドミニアム物件が目立つ。1室1億円超の物件もめずらしくはない。

ニセコの良質な雪を求めて冬は世界中から人がやってくる

ヒラフエリアで建設中のホテルやコンドミニアム、別荘の建築を知らせる看板は、ほとんどに外国人らしき名が記されている。世界のリゾート地に躍り出たニセコは、今のところ世界からの投資は活発で、ビジネスチャンスが多くなることは間違いないようだ。

一方、ニセコでは冬のスキーシーズン以外に宿泊価格が“暴落”してしまうという現状もある。雪のない時期に、軽井沢のような避暑地にはなれておらず、スキーやスノーボードを目的とした海外観光客以外の呼び込みには、課題を残す。

また、世界的なリゾート地であるがゆえに、日本国外の影響をより受けやすく、2008年に起こった金融危機「リーマン・ショック」の際には、海外からの投資が停滞。先ほど話を聞いたランドさん夫妻も、同時期に一度はニセコ撤退を余儀なくされ、オーストラリアから“遠隔”で雑誌を発行し続けたこともあったという。

倶知安町は人口1万5000人ほど、リゾートエリア以外は日本中どこでも見かける中小都市の様相

これから先、日本人観光客とって「あまり優しくない」リゾート地ではなく、日本人も“共生”できる観光地に戻ることはあるのだろうか。今のように海外からの投資と雪だけに頼る地であり続けるのは、最良の選択のように思えない。

ニセコは、夏の首都圏から避暑客を誘致するうえでも、ホテルなどのインフラが整っており最適だ。さらに子供の“英語留学”も兼ねられるという、他の国内リゾート地にはない強みもある。

2031年とされる新幹線の開業がニセコの転機となってくれれば、日本人にも、もっと楽しい観光地に変わるはずだ。

レポート・田山勇一(たやまゆういち):港北区在住のライター。全国の街歩き旅とスポーツ観戦が趣味。2019年秋には日産スタジアム(横浜国際総合競技場)で行われた「ラグビーワールドカップ」の全試合と、岩手県釜石市や埼玉県熊谷市での試合を新横浜新聞~しんよこ新聞でレポートした
(主要参考文献)2019年12月11日号・日本経済新聞「安いニッポン(中)暴騰ニセコ、それでも世界31位」/2019年12月14日号・週刊東洋経済「ニセコ熱狂リゾートの実像」

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