生産者の「顔が見える」お米を届けたい、日吉の米店がつなぐ産地との“絆” | 横浜日吉新聞

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法人サポーター会員による提供記事です】港北区で唯一の水田、箕輪町で収穫したお米も取り扱います。

今年(2019年)も港北区では数少ない箕輪町3丁目の水田で稲刈りが行われた。収穫後お米を取り扱う角屋商事株式会社の飯山清志社長(9月21日)

今年(2019年)も港北区では数少ない箕輪町3丁目の水田で稲刈りが行われた。収穫後お米を取り扱う角屋商事株式会社の飯山清志社長(9月21日)

箕輪町で1888(明治21)年に屋号「角屋」として創業し130年超の歴史を持つ角屋商事株式会社(箕輪町3)では、生産者の「顔が見える」米の販売にこだわる取り組みを続けています。

箕輪町の「街のお米屋さん」として、5キログラムから米の配達も行い、地域に親しまれる存在として知られている同店。

直接産地にも出向き、生産者とのコミュニケーションも深めることで、「より美味しいお米を、日吉周辺の皆さんにお届けしたいと現地を訪問しているんです」と語るのは、同店の4代目店主(代表取締役)で、箕輪町商工会(事務局:同社内)会長の飯山清志さん

箕輪町3丁目、日吉の丘公園の上り口にも近い住宅街の狭い路地に「ヨコハマライスセンター・角屋」はある

箕輪町3丁目、日吉の丘公園の上り口にも近い住宅街の狭い路地に「ヨコハマライスセンター・角屋」はある

茨城県土浦市(旧新治村)、秋田県大潟村から直送する特別栽培米について、「世代交代も進めていて、長く付き合える稲作農家さんとして、これからもより美味しいお米を提供してくれると思います」と、日本の米農家が抱える担い手不足という問題にも立ち向かい、次世代に事業を継承するための努力を惜しまない両農家に感謝し、両農家が産み出す米の美味しさもよりリアルに伝えていきたいと意気込みます。

折しも、5代目にあたる飯山洋平さんが、取締役として昨年(2018年)4月からここ箕輪町に戻り、新たに業務に就いたばかり。

箕輪町の新米「小嶋さんのはるみ」(5kg1880円・税込)が今年も入荷。写真右は取締役として昨年(2018年)4月からここ箕輪町に戻った5代目の飯山洋平さん

箕輪町の新米「小嶋さんのはるみ」(5kg1880円・税込)が今年も入荷。写真右は取締役として昨年(2018年)4月からここ箕輪町に戻った5代目の飯山洋平さん

これまでもあった箕輪町の「田んぼの風景」を守ることができたら、と社長の清志さんも感じているように、農業、さらには稲作を“地域で守っていく”ことの難しさ、そして大切さも伝えたい――。

そんな「地域への想い」を抱く清志さん、洋平さんたちが、これからの箕輪町、そして日吉周辺の街の人々に伝えていきたい想いとは。

今回は、清志さん、洋平さん、そして清志さんの実弟で、常務取締役の貴志さんら、同店の歴史を継ぐ人々の“想い”に着目し、明治時代からの歴史を継ぐ数少ない日吉近郊での「老舗企業」としての取り組みについて、詳しく話を聞きました。

一面の畑作・稲作エリア内で「地域の店」として創業

清志さんの曽祖父・初代飯山林次郎さんが1888年に創業した当初は、肥料・雑貨の販売を主に行っていたという同店。

飯山清志さんは早稲田大学教育学部卒業。地元・箕輪町商工会の会長、「剣道同好会 摂心館」館長としても広く知られている

飯山清志さんは早稲田大学教育学部卒業。地元・箕輪町商工会の会長、「剣道同好会 摂心館」館長としても広く知られている

林次郎さんの子(清志さんの祖父)で二代目・飯山繁太郎さんが1928(昭和3)年から米穀販売を始めたものの、1945(昭和20)年の第二次世界大戦の空襲で工場を消失。その後も、戦後の混乱の中、木工品の製造販売を行い、1958(昭和33)年からは燃料灯油の販売も開始するなど、「常に地域のニーズに合わせ、地域とともに歩み」(清志さん)店を営んできたといいます。

この頃、箕輪町の地に誕生した清志さん。「当時は、一面水田や畑だらけ。お店というものは、ほとんどこの地域にはない時代でした」と、箕輪町1丁目の現伊藤忠独身寮(旧日吉台学生ハイツ)の地にあった「箕輪池」や、当たり前のように眼前に広がっていた“稲作地帯”の光景を、懐かしくも振り返ります。

実弟で常務取締役の飯山貴志さん(右)とともに、「美味しいお米を届けたい」との思いで地域を奔走してきた

実弟で常務取締役の飯山貴志さん(右)とともに、「美味しいお米を届けたい」との思いで地域を奔走してきた

早稲田大学卒業後、海外などで「剣道修行」などの経験を経て、実家である角屋商事に入社した清志さん。

米穀販売を主たる事業としながら、米穀の加工販売も手掛け、一時期は弁当店なども幅広く展開するなど、最盛期には区内を中心に10店舗まで拡大。

社長に就任した翌年の1995(平成7)年には工場・事務所を高田町に大型精米プラントを完成させ、本社も移転(現在は箕輪町)するなど、順調に事業も拡大していましたが、米穀販売の自由化、インターネット販売などの台頭もあり、事業規模を大幅に縮小。

現在は箕輪町の本社店舗で、地域に密着するスタイルでの「米穀販売」を主たる事業として行っています。

稀少な水田での稲刈り風景、角屋で精米し「箕輪の米」販売

時は2019年、まだ「秋」というには早い夏の名残の天候が続く、9月下旬のお昼前。

江戸時代からの稲作の歴史を継ぐ箕輪町の小嶋喜久夫さんと

江戸時代からの稲作の歴史を継ぐ箕輪町の小嶋喜久夫さんと

「明日は雨が降ってしまうかもしれないので、今日のうちに稲刈りを行うと聞きました」と飯山清志さん。

港北区内でも数少ないこの「田んぼ」は、箕輪町の鎮守・諏訪神社前の約2700平方メートルのエリアに広がる、街の「宝」であり、「歴史的資産」としても貴重な存在。

この水田を「継いで」いるのは、同町在住の小嶋喜久夫さん。江戸時代から数百年以上もの間、祖父の八郎さん、父の久和さん(故人)から、今となっては大変貴重な稲作の歴史をつないできました。

茨城県筑波山麓で有機栽培米を育てる来田雅彦さん、諒さんと(2019年9月、角屋商事株式会社提供)

茨城県筑波山麓で有機栽培米を育てる来田雅彦さん、諒さんと(2019年9月、角屋商事株式会社提供)

「昔は新幹線の線路も走っておらず、鶴見川から矢上川に囲まれたエリアにはたくさん水田がありました」と、物心ついた頃からの故郷・箕輪町や日吉の風景を懐かしく思い出す喜久夫さん。

生産しているのは、2015(平成27)年2月に神奈川県の奨励品種となった品種「はるみ」

春・5月に田植えを行い、栽培し、夏の期間を経て、この日に“晴れて”稲刈りの日を迎えたのです。

小嶋さんの水田も、最盛期の5分の1くらいの大きさになってしまったとのことですが、「おおむね1反(約1000平方メートル)から8~9俵(ひょう)のお米が採れます。うち、6~8俵は、脱穀したのち、角屋商事さんに卸しているのですよ」と、まさに産地直送「箕輪の米」を、地元の米店で精米し、販売しているというのです。

美味しいお米を消費者に、「生産者」の想い伝える取り組み

秋田県大潟村で稲作を継いだ村上直樹さんと家族(2019年9月、角屋商事株式会社提供)

秋田県大潟村で稲作を継いだ村上直樹さんと家族(2019年9月、角屋商事株式会社提供)

箕輪町のみならず、より美味しいお米を消費者に届けたいとの想いから、茨城県土浦市(旧新治村)の来田諶二(のぶつぐ)さん、雅彦さん、そして諒さんと、3世代でつなぐ稲作農家や、秋田県大潟村で稲作を継いだ村上直樹さんといった、「次世代に稲作をつなぐ」取り組みを支援したいと飯山清志さん。

ふるさと・箕輪町に戻ってきた息子の飯山洋平さんは、明治大学で農業経済学を専門に学んだ経歴の持ち主。

「まずは精米や配達から業務に取り組んでいます。筑波山麓に広がる、来田さんのところへは直接車を走らせ、新米を店頭にいち早く並べているんですよ」と、より地域の顧客に寄り添ったサービスを展開できればと意気込みます。

キャッシュレス対応は全て飯山洋平さんが担当し準備。10月1日には導入できましたとほっと一息。「若い方にもどんどん来店いただければ」と洋平さん

キャッシュレス対応は全て飯山洋平さんが担当し準備。10月1日には導入できましたとほっと一息。「若い方にもどんどん来店いただければ」と洋平さん

同店では、顧客対応についても次世代を見込み、キャッシュレス決済にも対応可能だといい、「少子高齢化、そしてより安心・安全な食文化を創造するための、この地域での取り組みをより深め、お米の魅力を発信していく予定です。ぜひまずはお気軽にお立ち寄りください」と、より多くの来店を呼び掛けています。

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【参考リンク】

角屋商事について(Googleサイト)

箕輪の米屋 角屋商事のめしこ日記「箕輪町のお米やさん角屋商事です。」(Amebaブログ)

小嶋さんの稲作(横浜市港北区箕輪町HP委員会)

法人サポーター会員箕輪町商工会 提供)


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