「激動の箕輪町」は現在も変わらず、“日吉の顔”小島さんが歩む挑戦の日々

横浜日吉新聞

日吉・箕輪町周辺エリア「地域まちづくり」に必要なこととは――「人と人」をつなぎ、巻き込む新チャレンジを続けてきた生き方に、“共感”の輪が広がることになりそうです。

日吉地区連合町内会(箕輪町町内会)会長を務める小島清さん。生まれ育った箕輪町や日吉地区全体のためにと日々奔走している(2022年3月15日、箕輪町に新設された日吉地下道の完成披露式典後)

日吉地区連合町内会(箕輪町町内会)会長を務める小島清さん。生まれ育った箕輪町や日吉地区全体のためにと日々奔走している(2022年3月15日、箕輪町に新設された日吉地下道の完成披露式典後)

現在、“日吉の街の顔”日吉地区連合町内会会長としても広く地域で知られ、箕輪町町内会の会長も務める小島清さんは、今年で78歳。

日吉・箕輪町2丁目の再開発エリアに2020年4月に開校した横浜市立箕輪小学校開校準備委員会の会長も経験しました。

そして現在は、学校の運営を地域とともにすすめる「まちとともに歩む学校づくり懇話会」のメンバー(日吉南小学校では会長、日吉台小学校でも参加)としても活動しています。

また港北区内でも、地区センターなどの公共施設の指定管理者として運営をおこなう一般財団法人こうほく区民施設協会(菊名6)の代表理事や、港北区連合町内会の四役(会計担当)の重責も担っています。

ここ数年で「激変」する日吉・箕輪町の再開発や鉄道工事の現状を地域の人々とともに分かち合い、悩みを共有してきた(箕輪町3丁目、3月15日)

ここ数年で「激変」する日吉・箕輪町の再開発や鉄道工事の現状を地域の人々とともに分かち合い、悩みを共有してきた(箕輪町3丁目、3月15日)

また、商業分野でも、箕輪町を中心に商工業者の親睦と情報交換をおこなう「箕輪町商工会」(設立当初は「箕輪町商店会」)の初代会長としても、長く地域で活躍してきました。

今回は、「箕輪町商工会」を設立した経緯や、その前後の状況を紹介するのみでなく、初代会長として地域まちづくりを常に“けん引”してきた小島清さんの“生き方”に着目。

激動・激変する日吉周辺の、これからの「地域まちづくり」にさらに邁進する小島さんのこれまでの歩みを振り返ります。

江戸時代からの歴史も「戦火」で実家は焼失

江戸時代から続く農家の生まれで、「15代は続いてきたと先祖代々の記録が残されています」と語る小島清さん。

東急東横線と新横浜線の線路脇にまだ残る農地。箕輪町はかつて農地と水田ばかりが広がっていた(箕輪町3丁目)

東急東横線と新横浜線の線路脇にまだ残る農地。箕輪町はかつて農地と水田ばかりが広がっていた(箕輪町3丁目)

1900(明治33)年生まれで1912年(大正元)年に日吉台小学校(日吉本町1)を卒業したという父の故・小島信作さん(1997年逝去)は、当時日吉の名産品として知られた「いちじく」について学び、東京都内のデパートや高級青果店などに卸し、皇族などにも献上するほどの品質のものを生み出していたといいます。

しかし、小島清さんが生まれた1944(昭和19)年はまだ第二次世界大戦(太平洋戦争)の真っただ中。

翌1945(同20年)4月15日の「川崎大空襲」では、慶應義塾大学日吉キャンパス(日吉4)や日吉台小学校などとともに、小島さんが育った箕輪町1丁目の当時の自宅も大きな被害を受けています。

自然に育まれた幼少期、仲間との出会いも「宝」に

同年、終戦を迎えた箕輪町。戦後の復興期となる昭和20年代(1945~1954年)について小島清さんは、「現在の日吉自動車学校(日吉6)付近にあった用水路では、ウナギコイも釣れました。ハゼゴカイをえさに釣りをしたのも懐かしいですね」と、“遊ぶところ”がいっぱいだったという当時の光景を懐かしそうに振り返ります。

1973年に刊行された日吉台小学校の「創立100周年記念誌」を手に。亡き父・小島信作さんと清さんは卒業生。120周年では委員会を組織し「同窓会名簿」を5年もの歳月をかけて1999年に完成させた

1973年に刊行された日吉台小学校の「創立100周年記念誌」を手に。亡き父・小島信作さんと清さんは卒業生。120周年では委員会を組織し「同窓会名簿」を5年もの歳月をかけて1999年に完成させた

小島さんが日吉台小学校に通っていた頃は、「どんどん工場が増えてきました」と、町工場があちこちに進出した時期だったとのこと。

今でも地域で活躍する、日吉地区社会福祉協議会会長で前日吉町自治会会長の片野芳昭さんほか、多くの大切な「地域の仲間たち」との出会いもこの時期に。

「日吉台小学校、そして日吉台中学校(日吉本町4)時代に過ごした日々があったからこそ」と、現在の地域まちづくりでも“仲間を大切にする”小島さんらしい源流について笑顔で語ります。

現在の「サンヴァリエ日吉」(下田町4)の前身となる「下田団地」や、現在の日吉1丁目から下田町2丁目付近にかかる高台の住宅地・常盤台、そして現在、コンフォールと名を冠した「南日吉団地」(日吉本町4)なども、次々とおこなわれる都市開発により誕生したといいます。

東京から引っ越してくる人も多く、 “日吉の農家のせがれ” (自分)とは着るものが違うと感じました」と、今の日吉・綱島の状況よりもさらにドラスティックに変化していく街の景色に目を見張ったと、変わりゆく故郷への不思議な想いに包まれていたという当時の光景を思い起こします。

「中華レストラン」は新スタイルで経営

農家を営んでいた父・小島信作さんが「食堂梅ヶ枝」(のちの中華レストラン「梅ケ枝」)を創業したのは1957(昭和32)年

1957年創業、小島清さんが60歳になるまで半世紀近く営業していた「中華レストラン梅ヶ枝」の2代目となる現在の建物。店名は実家があった箕輪町1丁目の旧地名から命名した(2004年ころ、株式会社KF企画=旧・有限会社梅ヶ枝提供)

1957年創業、小島清さんが60歳になるまで半世紀近く営業していた「中華レストラン梅ヶ枝」の2代目となる現在の建物。店名は実家があった箕輪町1丁目の旧地名から命名した。なお、店舗跡地は現在「ながふち整形外科」が入っている(2004年ころ、株式会社KF企画=旧・有限会社梅ヶ枝提供)

店名の「梅ヶ枝」は、当時の箕輪町1丁目の実家があったあたりの「梅ヶ枝谷戸」と呼ばれた旧地名(小字=こあざ)から名付けたといいます。

「学生時代に店の手伝いはしていましたし、食べものも好きでした」語る小島さんは、社会人になり麻布十番(東京都港区)で3年ほど修業した後、1967(昭和42)年から同店に入店。

38歳の時に2代目として店を継いだ後、1984年(昭和59)年には、当時はまだ日吉近郊では珍しかったという、都内では最先端と持てはやされた「白亜(はくあ)のビル」建て替えを完了したといいます。

「中華レストラン梅ヶ枝」を切り盛りしていた妻の故・小島フミ江さん(2019年逝去、右)。近郊の中華料理店には当時みられなかったという「コーヒーを飲めてパフェも食べられる店」を目指していたという(2004年9月、株式会社KF企画=旧・有限会社梅ヶ枝提供)

「中華レストラン梅ヶ枝」を切り盛りしていた妻の故・小島フミ江さん(2019年逝去、右)。近郊の中華料理店には当時みられなかったという「コーヒーを飲めてパフェも食べられる店」を目指していたという(2004年9月、株式会社KF企画=旧・有限会社梅ヶ枝提供)

中華料理店のイメージを覆(くつがえ)すそれまでになかった地域の“中華レストラン”としての経営をおこないました。ラーメンを頼むと同時に、コーヒーを飲めて、チョコレートパフェも食べられるようなレストランを目指していたのですよ」と小島さん。

1990年代初頭までのバブル景気にも乗り、「こんなに繁盛してもいいのかな、と思った時期もありました」と、スカウトしたという腕利きの中国人コックが腕を振るい、“日本人に合う”味を目指したところ、最盛期には100人以上の従業員を抱えた時代もあったと、仕事でも多く人々とかかわりながら事業をおこなった日々を振り返ります。

大型店舗の出店時は「ピンチをチャンス」に

2015年に歴史の幕を閉じたユニー日吉店(アピタ日吉店・サンテラス日吉)も、1977年の出店当時は地域の商店などから恐れられる存在だった(2015年9月)

2015年に歴史の幕を閉じたユニー日吉店(アピタ日吉店・サンテラス日吉)も、1977年の出店当時は地域の商店などから恐れられる存在だった(2015年9月)

折しも、当時は「大型スーパー」の進出が、地域の中小企業にも不安をもたらす時代。

現在、プラウドシティ日吉(箕輪町2)が建つ再開発エリアに1977(昭和52)年にオープンした「サンテラス日吉」(ユニー日吉店、閉店時はアピタ日吉店)の進出を機に、「地元・箕輪町の若手経営者たちが、“なんとかしないと”という機運が高まりました」と小島さん。

1986(昭和61)年に箕輪町商店会(1992年から「箕輪町商工会」に改称)を、地域に住まい通う40代から50代の経営者10人で立ち上げたいきさつを力強く語ります。

箕輪町の経営者らと立ち上げた「箕輪町商工会」は、会員どうしの懇親を深め「学び合う」ことを大切にしている。コロナ禍以前からIT化にも着手し、Zoomでの会議やイベントもおこなっている(2020年9月の定例会)

箕輪町の経営者らと立ち上げた「箕輪町商工会」は、会員どうしの懇親を深め「学び合う」ことを大切にしている。コロナ禍以前からIT化にも着手し、Zoomでの会議やイベントもおこなっている(2020年9月の定例会)

会員相互の親睦と情報交換を計ることを目的とし、事業として地域行事にも参加。地域の情報交換および勉強会を行うことを定め、初代会長には小島さんが就任しました。

設立5年後の1991(平成3)年度には、会員数30人を突破するばかりでなく、商店会のイラストマップ作成(1987年)や「箕輪町商工フェア―」(1998年~2014年)といった地域貢献、講演会や経営セミナー、コンサートの開催といった「学びあい」「価値観の共有」機会も重ねながら、商工会を創り上げてきた歴史を振り返ります。

当初、緊張感ある関係性だったという「ユニー日吉店」も、「商工会に入会してくれるなど、“共鳴しあう”関係となりました」と、商工フェアーをユニー(アピタ)の駐車場を借りて開催するといった“地域ぐるみ”のイベントに育てあげたことも、小島さんらしい「巻き込む力」を発揮した一つの事例だったといえるのかもしれません。

さらに高まる存在感、「人と地域をつなぐ」役割も

「まちとともに歩む学校づくり懇話会」では日吉南小の会長として活躍。日吉台小と箕輪小でもメンバーとして参加。「見守り活動」も積極的におこなっている

「まちとともに歩む学校づくり懇話会」では日吉南小の会長として活躍。日吉台小と箕輪小でもメンバーとして参加。「見守り活動」も積極的におこなっている

小島清さんは、箕輪町商店会(現在の「箕輪町商工会」)を立ち上げた40代の前半ころ、それまで参加したことがなかったという箕輪町町内会の活動にも初参加。

「梅ヶ枝」の経営のかたわら、2000(平成12)年には、保護司法で定められた犯罪をした人の改善や更生を助ける「保護司」に就任(2019年度まで)。

60歳となり「梅ヶ枝」を閉店した後は、箕輪町商工会での活動もおこないながら、「現役時代に、皆様にお世話になった箕輪町で、何かの形で地域に恩返しをしなければと思いました」と、町内会活動にも邁進してきたといいます。

日吉駅側の綱島街道沿いからみた箕輪町の再開発エリア「プラウドシティ日吉」(最奥)は今月(2022年)3月末にも完成予定(右端が東急線)

日吉駅側の綱島街道沿いからみた箕輪町の再開発エリア「プラウドシティ日吉」(最奥)は今月(2022年)3月末にも完成予定(右端が東急線)

会計、副会長などの役職を経て、2008(平成20)年に会長に就任した小島さんは、2016(平成28)年4月からは、日吉地区の14自治会・町内会の代表となる日吉地区連合町内会長となり、以降、現在に至るまで「日吉地区の顔」としての重要な役割を担っています。

今年(2022年)3月末にも完成する「プラウドシティ日吉」の敷地内にある、昨年度(2020年度)に開校した箕輪小学校の見守り活動を毎日続けている小島さんが感じるのは、一人ひとりが感じることができる「地域とのつながり」の大切さ。

日吉台中(写真)では来年度(2022年4月)から新しいプレハブ校舎が運用開始となる。箕輪小も数年先には児童数が1千人に迫る予測だという

日吉台中(写真)では来年度(2022年4月)から新しいプレハブ校舎が運用開始となる。箕輪小も数年先には児童数が1千人に迫る予測だという

「転居してきた方の多くは30代から40代の前半のように見受けられますが、これまで“地域での活動”をおこなったことがない人が多いのではないかと感じます」と、“事業者”が主体で進めてきた地域まちづくりにおける、人と人との交流、そして街の在り方についても、箕輪町商工会を立ち上げた自身の経験にも重ね、積極的に提言していきたいとの思いも抱いているといいます。

これまで、工事の進捗により町内で多くの「労苦」を払ってきた、相鉄・東急直通線(東急新横浜線・相鉄新横浜線)の開業(2023年3月予定)で、さらに多くの人々が集まる日吉地区。

これからも「変わりゆく」日吉地区を見守り、その責務を果たしていく(3月15日、箕輪町1丁目側の日吉地下道前)

これからも「変わりゆく」日吉地区を見守り、その責務を果たしていく(3月15日、箕輪町1丁目側の日吉地下道前)

来年度(2022年度)は下田小学校(下田町4)が60周年、その翌年度(2023年度)は日吉台小学校の150周年、駒林小学校(日吉本町3)と矢上小学校(日吉3)がそれぞれ50周年という節目の年を迎えます。

新たな「日吉地区」の未来をいかに描くかという点においても、小島さんの日々の地域まちづくりにおける存在感は、ますます高まることになりそうです。

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【参考リンク】

箕輪町商工会公式サイト

日吉地区連合町内会の紹介(港北区連合町内会のサイト)

法人サポーター会員:箕輪町商工会 提供)


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