<港北公会堂の緞帳>人間国宝・芹沢銈介の姿勢が凝縮、背景や製作過程を解説 | 横浜日吉新聞

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緞帳(どんちょう)の重要性を再認識するイベントとなりました。

港北区民のグループ「芹沢銈介緞帳プロジェクト」は、今月(2025年)11月23日に港北公会堂で「生誕130年・人間国宝~芹沢銈介と緞帳」を開き、同公会堂に設置されている人間国宝・芹沢銈介(けいすけ)作の緞帳について、約120人が作者の歩みや製作過程などを専門家から学びました。

緞帳に何が描かれているのかの解説も行われた(11月23日、港北公会堂)

港北公会堂の緞帳「陽に萌える丘」は、1978(昭和53)年の開館時から舞台に備え付けられているもので、1895(明治28)年生まれの芹沢が83歳だった時に江戸期の「鶴見川流域絵図」をモチーフとして描いた作品です。

緞帳に何が描かれているのか

今回のイベントでは、緞帳のどの部分に何が描かれているのかについて、同会メンバーの阿部知行さんが「下流は鶴見区生麦付近から、上流は第三京浜道路のもう少し向こう、『ららぽーと横浜』がある鴨居(都筑区、対岸は緑区)あたりまでの流れが描かれている」と解説。

4つある緞帳の下絵案も公開された

また、緞帳が完成した際に原画の複製が限られた枚数だけ製作されており、そこには「太くたくましい川の流れは、燦然と降り注ぐ太陽の七色の光に輝き、それを囲む丘には美しい花が咲き乱れている、そんな伸びゆく港北区の明日の姿を表現したものだと書かれていた」と紹介しました。

続いて、2023年12月にケーブルテレビ(CATV)局「YOU(ユー)テレビ」が制作し、全国のCATV局に配信された番組「横浜ミストリー『人間国宝・芹沢銈介が遺した宝物~港北公会堂の緞帳に選ばれたデザインの謎』」を上映。

下田町旧家・田邊(たなべ)家の12代当主だった田邊泰孝(やすたか)さん(1921~2013年)が「日本民藝(芸)協会」に所属していたことが縁で、当時の港北区長から依頼を受けて芹沢に緞帳のデザインを依頼することになった経緯などが番組内に盛り込まれていました。

芹沢はなぜ民芸運動に関わったか

民芸と芹沢の関係については、日本民藝協会が発行する月刊機関誌「民藝」の編集者で日本民藝館(目黒区)の学芸員をつとめる村上豊隆さんが「民藝運動と芹沢銈介」とのテーマで講演。

2021年の第1回イベントに続き登壇した村上さん

かつて大曽根に祖父母の家があったことから何度も大倉山駅で降り、20年以上前から港北公会堂の緞帳の存在を認識していたという村上さんは、「そんな場所で話をする機会をいただき本当に嬉しい」とあいさつしました。

貴族的工芸民衆的工芸との対比から生まれた“民芸”という言葉は、1925年(大正14年)に柳宗悦(やなぎむねよし、思想家、1889~1961年)、濱田庄司(陶芸家、1894~1978年)、河井寛次郎(陶芸家、1890~1966年)の3人によって生み出され、今年で100年を迎えています。

民衆的工芸=民芸の言葉が生まれてから今年で100周年となった

民芸運動のリーダー的な存在だった芹沢師弟関係にあり、「柳は初めて会った時から、収集家としての目を持った芹沢を評価し、民芸運動の仕事に積極的に芹澤を起用していくこととなった」と村上さんは解説します。

最初に刊行した日本民藝協会の機関誌で表紙装丁に芹沢を起用し、現在発行されている“民藝”の文字やマークも芹澤がデザインしたものだといいます。

月刊機関誌「民藝」の文字も芹沢によるものだという

民藝の2025年12月号では芹沢についても触れており、「芹沢の仕事には空想に基づくものがない。その模様にも明確な対象があって、その姿勢は一貫していた。対象を見つめて写生を重ね、下絵に描き、下絵を煮詰めた模様が型紙に昇華する」との掲載内容を紹介。

そのうえで、晩年の作品である緞帳の「陽に萌える丘」について村上さんは、「江戸時代に描かれた鶴見川流域絵図をもとに写生を重ねた。芹沢の仕事への姿勢が表れている。そんな緞帳を今後も大切に守って、見つめ続けていただければ」と講演を締めくくりました。

ミズキーホールの緞帳も担った老舗

港北公会堂の緞帳に加え、2024年3月に開館した港北区民文化センター「ミズキーホール」(綱島東1)の緞帳「ゆめの花を咲かせて」の製作も担当したのが京都市左京区の川島織物セルコンです。

企業博物館の「川島織物文化館」で館長をつとめる有賀さん

同社の企業博物館「川島織物文化館」で館長をつとめる有賀友紀さんが登壇し、緞帳の製作過程を詳しく解説しました。

有賀さんは、「緞帳を作ってる会社ですと申し上げると、最近は若い方を中心に『緞帳って何ですか』という質問が出てしまう状況があり、“緞帳プロジェクト”と名付けて緞帳を受け継いでいこうという皆さんに感謝しています」とあいさつ。

緞帳の歴史についても紹介され、江戸時代の三座(3つの歌舞伎劇場)以外は左右に開閉する引き幕の使用が認められなかったため、芝居小屋などで上下に開閉する簡素な幕を使われていたのが源流だとみられるという

1843(天保14)年に創業した同社が初めて緞帳を製作したのは、1893(明治26)年に平安神宮での勧進歌舞伎用に納めた“刺繍引幕”だったといい、織物(おりもの)で絵を表現したのは1951(昭和26)年に開館した大阪・中之島の「朝日会館」(フェスティバルホールの前身)の緞帳が最初でした。

つづれ織(お)り(綴織)と呼ばれる技法による緞帳ではトップシェアを持っているという同社。「絵画のような表現ができるつづれ織りは、緞帳に適している。織り物は縦糸と横糸でできているが、縦糸が見えないという特徴があり、色を何色でも使える」と解説。

緞帳が製作される工程についても詳しく解説された

緞帳の製作工程について、「原画の緞帳サイズへの調整」や「原寸大図案の作成」を経て配色指示の決定をしたうえで、糸を準備して織り工程に入り、仕立て加工を行って出荷にいたるという流れを説明

つづれ織りの技術的な工夫としては、グラデーション立体的な表現が可能である点を挙げ、これらは糸の色彩や太さなどで調整しているといいます。「立体感をつけないと『絵の方がいいじゃないか』ということにもなる。やはり織物は、少し立体表現ができたり、“織り感”があったりというのが一番の魅力」と解説しました。

つづれ織りの特徴的な部分を「陽に萌える丘」を例に説明

そのうえで、2年前の創業180年時に今後の方向性として従業員が打ち出した「記憶に残る織りと美」というフレーズを紹介し、「今回の緞帳をご覧になって思い出が残っていたならば、それは我々として非常に嬉しいことで、これからも皆さんの記憶に残る織りを残し続けていかなければならない」と力を込めました。

緞帳の50周年までは活動したい

芹沢銈介緞帳プロジェクト代表の大野さん

今回のイベントを主催した芹沢銈介緞帳プロジェクトで代表をつとめる大野玲子さんは、「緞帳の寿命は50年程度だというふうに伺っており、この陽に萌える丘は今年で47年目を迎えました。今日の機会に緞帳や芹沢圭介に親しみ、関心を持っていただければ」とあいさつ。

少なくとも緞帳の完成から半世紀を迎える頃までは活動していきたいと話していました。

【関連記事】

4年ぶり大型イベント、人間国宝が残した港北公会堂の「緞帳」を題材に(2025年11月18日)

・【前回のレポート】43年前の熱き思いを再び、人間国宝が残した港北公会堂「緞帳」の価値とは(横浜日吉新聞、2021年12月14日)

【参考リンク】

芹沢銈介緞帳プロジェクトの公式サイト(活動状況など)

「芹沢銈介『知られざる港北の宝』~公会堂の緞帳をデザインした人間国宝」(港北映像ライブラリ、29分の作品)


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