3人の「プロ」が街と人をつなぐ、20周年迎えたケアプラザの新たな挑戦 | 横浜日吉新聞

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下田、そして日吉の地域とともに歩み20年。2000(平成12)年8月オープン、下田小学校(下田町4)や「駒が橋」バス停にも近い下田地域ケアプラザ(下田町4、社会福祉法人横浜共生会)は、今月(2020年8月)1日で開設20周年を迎えました。

港北区内では4番目、日吉エリアでは初めて開設された下田地域ケアプラザは今年(2020年)8月1日で20周年を迎えた(8月4日)

港北区内では4番目、日吉エリアでは初めて開設された下田地域ケアプラザは今年(2020年)8月1日で20周年を迎えた(8月4日)

高齢者、子ども、障害のある人など、誰もが地域で安心して暮らせるよう、身近な福祉・保健の拠点としてさまざまな取り組みを行う横浜市独自の施設として、市内で64番目に開設(磯子地域ケアプラザと同日オープン)。港北区内では、全9館中4番目、日吉エリアでは初めて開設された地域ケアプラザとして、日吉そして下田周辺地区の人々にも長く親しまれてきました。

市からの委託を受けて行う福祉保健の相談窓口(地域包括支援センター)としての役割や、地域活動交流(貸館)事業、介護保険サービスであるケアプラン作成(居宅介護支援・介護予防支援)通所介護(デイサービス)といった事業も行い、介護や介護予防、子育て支援や障がい者支援といった誰もが利用できる施設として、その役割を果たしてきた同ケアプラザ。

新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、今年(2020年)3月からは貸館やイベントの開催を行えない状況が続いていましたが、4月15日からは、インターネットのSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)ツイッター(Twitter)での情報発信を新たにスタート。

下田地域ケアプラザを支える星野所長(左)、地域活動交流コーディネーターの井上さん(中央)、生活支援コーディネーターの前田さんに話を聞いた

下田地域ケアプラザを支える星野所長(左)、地域活動交流コーディネーターの井上さん(中央)、生活支援コーディネーターの前田さんに話を聞いた

緊急事態宣言の解除を受け、6月から利用時間を短縮しての貸館も再開するとともに、シニアの活動支援の一環として、6月18日からは下田町四丁目公園で、毎月第3木曜日恒例(10時から約10分間)の「ラジオ体操」を新たに企画開催する試みにもチャレンジしています。

専門の相談員(社会福祉士・看護師・主任ケアマネジャー)が実施している相談業務も、「外出自粛が解除されてからは、少しずつ件数が増えてきています」と、同ケアプラザ所長の星野昌昭さん

新型コロナウイルスの影響を受けながらも、毎月1日に発行している広報誌の発行も継続して行うなど、地域と人とをつなぐ活動拠点としての存在感を発揮しています。

元サラリーマンの星野所長、「現場に寄り添う」心で日々従事

2018(平成30)年4月から、3代目所長として着任した星野さんは、同じ横浜共生会(新吉田町、村松紀美枝理事長)が運営を担う樽町地域ケアプラザ(樽町1)に2002(平成14)年12月に入職。地域活動交流コーディネーターとして、また2016(同28)年4月に新設された第1号の生活支援コーディネーターとして勤務。

2017(同29)年からはデイサービス事業にも従事した後、現在の下田ケアプラザへの着任に至ったといいます。

3代目となる星野所長は前任地の樽町地域ケアプラザで約15年間勤務していた。2000年8月に発行された「下田地域ケアプラザからのお知らせ」創刊号(第1号)を手に

3代目となる星野所長は前任地の樽町地域ケアプラザで約15年間勤務していた。2000年8月に発行された「下田地域ケアプラザからのお知らせ」創刊号(第1号)を手に

福祉用具メーカーの営業職として、東京都内を拠点に社会人生活を送っていたという市内出身の星野さん。仕事の中で高齢者と接していく中、「現場に寄り添い、地域の身近なところでお年寄りのお手伝いができたらと感じたんです。母が介護を一人きりで行っていたのを見ていたことも、この世界に入る後押しになったのかもしれません」と、この業界、また地元での業務を選んだ理由について説明します。

市や介護保険に関する施設代表としてのパイプ役を担っている星野さん。管理者としての責任を担うにあたり、これまで地域活動交流、そして生活支援コーディネーターとして現場で業務に当たってきた経験も大いに役立っているといいます。

コーディネーター2人の活躍が大いに励みになっています。コロナ禍だからできない、ではなく、できることを考えながら、地域の皆様にとってより良いケアプラザ運営を行っていきたい」と、“理解力”が高いという、日吉や下田エリアの地域住民にとってより魅力ある施設運営を心掛けていきたいとの想いを熱く語ります。

2025年問題に備える前田さんは「生活支援コーディネーター」

所長の星野さんと同様に、元サラリーマンとしての経歴を持っているという前田和隆さんは、2002(平成14)年6月から同ケアプラザで勤務し、地域活動交流コーディネーターとして活躍。

2016(同28)年4月からは、生活支援コーディネーターとしての新たな責務を果たしています。

下田地域ケアプラザで18年以上の勤務となった生活支援コーディネーターの前田さん。第1号からの広報誌ファイルに同ケアプラザと下田・日吉の街の歴史の重みが詰まっている

下田地域ケアプラザで18年以上の勤務となった生活支援コーディネーターの前田さん。第1号からの広報誌ファイルに同ケアプラザと下田・日吉の街の歴史の重みが詰まっている

京都本社の着物の会社で営業職をしていました。高額な着物商品を個宅まで出向き販売していたのですが、高齢者が“話し相手”を求めていることを感じ、(販売をすることに)負い目を感じるようになったのです」と、一旦、会社を退職してから専門学校に通い社会福祉士資格を取得。晴れてこの業界の扉を叩いたと語ります。

特に前田さんが入職したころは、「ケアプラザの建物も建てられたばかりということもあり、とてもきれいで、“地域の支え合い”を実践するべく、それぞれの地域まちづくり関係の皆さんも熱い想いを持って土台を作り上げていた時期でした」と、ひときわ活気にあふれていたという当時を振り返ります。

生活支援コーディネーターは、超少子高齢化が進展するなか、戦後すぐに生まれた第一次ベビーブーム(1947年~1949年)世代が後期高齢者(75歳以上)となり、その人数も急増する2025年以降に向け、介護など生活支援の必要が迫られる人が増える一方、その担い手の生産年齢人口が少ないことが大きな問題となっていることを受け、新たに誕生した職種となっています。

「2025年問題」と言われるその時期がいよいよ間近に迫るなか、「介護サービスの負担増を回避すべく、“介護が必要でない状態”、すなわち介護の手を必要としない地域での支え合いのしくみやしかけを作っていくことが大きな使命となっています」と、その使命や役割を大きな社会情勢の中で実現するべく、日々の仕事に邁進していると説明します。

地域活動交流コーディネーターの井上さんは「地域とのパイプ役」

地域活動交流コーディネーターの井上さんは、「港北つなぎ塾」(リンクは同イベントサイト)といった港北区内のまちづくりイベントなどにも積極的に参加している

地域活動交流コーディネーターの井上さんは、「港北つなぎ塾」(リンクは同イベントサイト)といった港北区内のまちづくりイベントなどにも積極的に参加している

同ケアプラザでのキャリア18年超の前田さんが生活支援コーディネーターに就任したことにともない、新たに地域活動交流コーディネーターとして入職・着任したのが、元医療事務の仕事をしていたという井上駿さん

精神科の終末期医療を担当していたものの、訪問診療という業界のルールの中、「どうしても限られた診療時間の範囲内でのみでしか患者さんやそのご家族と接することができない現場で、少しでもより地域で過ごす人々にかかわれる仕事がしたいと思い、この仕事に応募しました」と、まさに“挑戦したかった”というコーディネーター業務に従事することになったきっかけについて説明します。

新たに下田地域ケアプラザによるラジオ体操会場となった「下田町四丁目公園」

新たに下田地域ケアプラザによるラジオ体操会場となった「下田町四丁目公園」

区内に9カ所ある地域ケアプラザでも、入職同期のコーディネーター仲間が多く活躍していることも励みになっているという井上さんは、「コロナ禍で、これまで“面と向かって”行っていた事業の多くを実施できなくなり、人とのかかわりを築くことが大変難しくなってきていると感じます」と、新たに直面することになった新型コロナウイルス感染症という「大きな敵」に、どのように立ち向かうべきかを模索しています。

建物内での「三密」を回避する目的から、6月以降の「ラジオ体操」の企画実現にも井上さんはチャレンジ。6月18日の初日の開催には、口コミで8人が来場したといい、「外出禁止の余波もあり、人と接する機会が減っている高齢者が増えています。筋力も落ち、認知機能が低下してしまうケースも増えているのではと懸念しています」と、これまでになかった「新しい生活様式」の中、孤立化にも追い込まれかねない地域の人々への働きかけをどのように行うべきかについても「地域とのパイプ役」として思案する日々だと語ります。

地域とつながる「はじめの入口」としての役割を果たすプロとして

今回話を聞いた「ボランティアルーム」でも、椅子を減らす、換気を行う、飲食を控えるよう呼び掛けるといった対応を行っている

今回話を聞いた「ボランティアルーム」でも、椅子を減らす、換気を行う、飲食を控えるよう呼び掛けるといった対応を行っている

下田地域ケアプラザの運営の中核を担う所長の星野さん、生活支援コーディネーターの前田さん、そして地域活動交流コーディネーターの井上さんの3人は、いずれも自身の社会人人生のキャリアを磨く中、地域の人々との接点を模索し、この世界に飛び込んだ経歴の持ち主。

それぞれに共通しているのは、「地域とのつながり」、そしてそこに生きる「人々とのかかわり」を大切にし、生きてきたということ。

多目的ホールでの1コマ。ソーシャルディスタンスの確保など、イベント再開における距離感などを確認しているという

多目的ホールでの1コマ。ソーシャルディスタンスの確保など、イベント再開における距離感などを確認しているという

「丘、そして坂がある街だからこそ、この日吉・下田周辺エリアでは、“元気な方が多い”という印象。千代田坂(日吉本町6丁目)を上がって来られる方も多いと感じます。しかし、肝心なのは、“それが苦しい”、そして足や膝(ひざ)、腰などの痛みなどでそれが簡単に“できなくなった”時に、誰かがそれを見守り、助け合える地域社会が本当に出来上がっていくのか、ということ」と前田さんは、20年近い同ケアプラザでの勤務を重ねてきた中、迫り来る「2025年問題」への対応を、まずはお困り事から相談してもらいたいという、地域の「はじめの入口」としての役割を強化したいと語ります。

貸館業務やイベントも再開するなど、ケアプラザにも少しずつ活気が戻りつつある。3人の「プロフェッショナル」の地域社会への想いは熱い

貸館業務やイベントも再開するなど、ケアプラザにも少しずつ活気が戻りつつある。3人の「プロフェッショナル」の地域社会への想いは熱い

「地域交流の担当として、社会的な距離はとりつつも、“心の距離”を詰めていきたい」と語る井上さん。

地域ケアプラザが、地域に住まう一人ひとりの人生に寄り添い、またその自立を支え、本当に「困った」時に手助けし合える場所、そのハブ(結節点)としての存在となれるように、それぞれキャリアを積んだ3人の「プロフェッショナル」の挑戦が、20周年を迎えた地域ケアプラザを核として、この街でも新たに繰り広げられる日々となりそうです。

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【参考リンク】

下田地域ケアプラザの公式サイト

下田地域ケアプラザのTwitter

地域ケアプラザ紹介:地域の身近な交流・相談の場~地域ケアプラザ~(横浜市健康福祉局地域支援課)


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