<港北地域学>東急東横線の「車両と沿線」を熱く語った講座映像を公開

横浜日吉新聞

いつも通勤や通学で使っている東横線や目黒線の電車と沿線の知識が豊富になるはずです。昨年(2021年)11月に港北区役所で開かれた「港北地域学講座」(港北区主催、大倉精神文化研究所/港北ボランティアガイドの会協力)の第1回「東急東横線の変遷(へんせん)」の映像がこのほど公開されました。

港北地域学講座の第1回「東急東横線の変遷」で講師をつとめた辻村功さん(港北映像ライブラリの同講座映像より)

区の文化や歴史をテーマに毎年秋から翌春にかけて開かれている港北地域学講座は、前回(2020年度)の開催時から「港北ふるさとテレビ局」が講座の様子を映像に収録しています。

このほどインターネット上の「港北映像ライブラリ」で公開された2021年度の第1回講座「東急東横線の変遷」は、現在も国内外で活動する鉄道車両技術者で、長年にわたって日吉に住む辻村功さんが講師を担当。辻村さんは「鉄道メカニズム探究」(2012年、JTBパブリッシング)などの著書も執筆しています。

かつて東急が採用していた車体カラーを伝えるため、辻村さんが学生時代に手作りしたという精巧な模型も公開された(同)

講演映像では、東急東横線や目黒線を走る半世紀にわたる車両の移り変わりを概観するとともに、今から40年以上前に自ら考案した東横線の「東急鉄道唱歌」や沿線の見どころ解説も交えた90分間となっています。

新型の“ステンレス電車”に衝撃

講演で辻村さんは、1966(昭和41)年ごろに東横線で走っていた緑色の「初代5000系(通称:青ガエル)」など、自身が小・中学生だった頃に撮影した写真を使いながら東急の歴代車両を紹介。

自ら撮影した写真で1960年代から東急の車両を紹介(同)

東急の車両は、1958(昭和33)年に日本で初となるステンレス製の「5200系」を導入するなど、古くから“ステンレス電車”が多いという特徴がありました。

なかでも1969(昭和44)年に登場した「8000系」について辻村さんは、「東急の車両はこれまで“端正な顔立ち”をしていたが、これはカマボコや食パンの断面みたいで、なんと格好の悪い電車か、というのが第一印象だった」と中学生時代に元住吉車庫で初めて見て受けた衝撃を振り返ります。

1969(昭和44)年に登場した「8000系」から車体の長さが山手線などと同じ20メートルに伸びた(目黒線「東急100周年トレイン」の車内展示より)

ステンレスは硬くて加工がしづらく、ひずみを取るのが難しい。太陽光だと目立たないが、夜の電灯に当たると表面は“ベコベコ”になっている」と、当時の技術ではステンレス車体ならではの難しさもあったといいます。

一方、1980(昭和55)年に登場した「8090系」では、それまで技術提携していた米国企業の力を借りずに東急が独自で開発。

1980(昭和55)年に登場した「8090系」(右上)は「歴史的な電車」だという(港北映像ライブラリの同講座映像より)

「この車両はコンピュータ解析でとにかく軽くすることに注力しており、これで日本のステンレスカーのレベルが一躍上がった。東急が技術を公開し、当時の国鉄(現JR)が採用して全国に広まった歴史的な電車だ」と紹介しました。

目黒線でもっとも新しい「3020系」(写真左)は新横浜線(相鉄・東急直通線)の開業後は8両編成化されて相鉄線方面へも乗り入れる予定。なお、目黒線では4月から一部8両編成での運行も始まっている(2022年3月、元住吉車庫)

最近の車両では最新となる目黒線の「3020系」を挙げ、「2014年2月の大雪時に元住吉駅で起こった列車の追突事故を受けてブレーキシステムを改良している」と注目ポイントを挙げています。

「チッキ」を扱っていた日吉駅

東横線で思い出深かった出来事として辻村さんは、日吉駅で「チッキ」と呼ばれた手荷物を預けたことと、大倉山駅と菊名駅間の高架化事業を紹介。

かつて東横線を走っていた「荷物電車」(写真真中)と日吉駅で購入した「チッキ」の切符(港北映像ライブラリの同講座映像より)

かつて東急では東横線などで荷物電車を走らせており、「東急線内の手荷物取扱駅で集めた荷物は田園調布駅に集め、日通(日本通運)のトラックに積んで汐留駅や隅田川駅といった国鉄(現JR)の貨物駅に運んでいた」といいます。

かつて日吉駅も手荷物の取扱駅となっており、日吉にある辻村さん宅を訪れた親類の荷物を日吉駅まで持っていき、下関まで別送した思い出を語りました。

大倉山~菊名間の高架化前(右上)と高架化後(右下)、わずか24時間で変わっている。写真左側は、高架化で解消した菊名駅の踏切、8両編成の列車が来て急行待ちをすると、ホームからはみ出して踏切をふさぐため、しばらく閉じたままになっていた(同)

また、1991(平成3)年10月19日から20日にかけて行われた大倉山駅と菊名駅間の高架化では、同じ構図で撮った24時間違いの写真を並べて紹介。

現在走っている線路の上に高架をつくり、終電後から始発までのわずか数時間で線路の構造を変えてしまったことに「その後、みなとみらい線や副都心線への乗り入れ時もこの工法で行っており、まさに東急の“お家芸”だ」と工事技術の高さを驚きをもって伝えます。

沿線を凝縮した「東急鉄道唱歌」

東海道本線などの沿線を歌った「鉄道唱歌」に強い影響を受けた辻村さんは、1980年にその“東急版”を独自に考案した(同)

明治時代の1900(明治33)年に登場した「鉄道唱歌」の歌詞に感銘を受けたという辻村さんは、今から40年以上前の24歳時に鉄道唱歌の“東急版”として、「東急鉄道唱歌」を独自に考案。

それから四半世紀たった2005(平成17)年には、現状に合わせた形で歌詞を一部改訂したといいます。

「東急鉄道唱歌」は50番まであり、沿線の駅や風景が細かに盛り込まれている(同)

そんな「東急鉄道唱歌」は、東横線や目黒線など東急全線の見どころや特徴を全50番に盛り込んでおり、一例を挙げると以下のような歌詞です。

日吉の丘に聳(そび)ゆるは
慶応義塾の大校舎
陸の王者が執る筆の
しるしの誉(ほまれ)世に布(し)かん

綱島温泉あとにして
渡る流れは鶴見川
大倉山の梅林に
うぐいす鳴きて春近し

車掌に駅名尋ぬれば
菊名と答えて妙蓮寺
弁財天は港北の
七福神のひとつなり

辻村さんは、これらの歌詞について「日吉の歌詞はさまざまな校歌や応援歌から“本歌取り(有名な歌詞を自作に取り入れること)”をしている」といい、慶應の塾歌(校歌)にある“執る筆”や“しるしの誉(ほまれ)世に布(し)かん”を取り入れたと明かします。

「東急鉄道唱歌」をもとに紙芝居もつくられている(同)

また、「車掌に駅名尋ぬれば 菊名と答えて妙蓮寺」の歌詞は、「“菊名=聞くな”の洒落はもともと、JR横浜線で隣の大口駅とセットにして『大口菊名(大口聞くな)』になる」と解説していました。

すでに相鉄と東急はつながっている?

港北区内の鉄道にも触れ、番外編として現在も箕輪町や日吉本町、下田町、日吉6丁目などに鉄塔が建つ「鉄道省送電線」も取り上げられた。今はJR東日本の送電線(高圧線)として武蔵境(東京都小金井市)と新鶴見(鶴見区矢向)の両変電所を結んでいるという(同)

このほか、講演では箕輪町や日吉本町、下田町などに鉄塔が建つJRの送電線は大正時代に設けられた「鉄道省送電線」であったことや、「相鉄・東急直通線」の開業前ながら相鉄の車両が東急線内で試運転を行っていて、これはどのようにして車両を運んできたかなど、最近のトピックも交えて港北区内の鉄道を解説。

東急の「元住吉車庫」に現れた相鉄の車両(右端)、相鉄線から東急線へどうやって運んだのか?(2022年3月)

相鉄線の車両が東横線へ運ばれ、試運転を行うまでの経路については、「相鉄線と線路がつながっているJR厚木駅から相模線で茅ヶ崎駅へ出て、その先の相模貨物駅で編成の向きを変え、川崎貨物駅まで持って行って、もう一度向きを変え、新鶴見操車場(新川崎駅近く)を通って、武蔵野貨物線、南武線、中央線を通って八王子駅へ。八王子でさらに向きを変え、東急田園都市線とつながるJR横浜線長津田駅に持ってくると編成の向きが元通りになる」と、相鉄線から東急線まで、編成の向きを変えないための長く複雑な経路を解き明かし、参加者を驚かせていました。

JR線経由で貨物で運ばれる相鉄の車両の様子(左下)も(港北映像ライブラリの同講座映像より)

来年3月には相鉄・東急直通線が開業する予定となっていることから、辻村さんは「東横線の状況も変わってくるので、『東急鉄道唱歌』の改訂版を作らなければ」と意欲を見せていました。

【関連記事】

区の文化や歴史を学ぶ「港北地域学」、全4回の貴重な講座映像を公開(新横浜新聞~しんよこ新聞、2022年4月18日)

目黒線に「100周年トレイン」、東急の1世紀を振り返る第一弾企画(2022年4月11日、過去の車両写真が展示されている)

【参考リンク】

【映像】港北地域学講座「第1回 東急東横線の変遷」(講師:辻村功氏、2021年11月8日開催)の講演映像(港北映像ライブラリ)

初代「東横鉄道唱歌(東急鉄道唱歌)」についての紹介記事(1983年のタウン誌「とうよこ沿線」再録)


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