【歴史まち歩き】しだれ桜の古刹と今は無き「愛国寺」「菖蒲園」、樽町を歩く

横浜日吉新聞

工場地帯から新しい街へと移り変わりつつある樽町の史跡を巡ります――。区の歴史や文化、現在の見どころを歩く連載「【わがまち港北番外編】こうほく歴史まち歩き」の第10回は大倉山駅と綱島駅の間に位置する「樽町」を歩き、今はその跡さえ見つけることが難しい戦前に存在した“幻の施設”とともに、さまざまな史跡やスポットをご紹介します。

樽町は綱島駅が近い2丁目や大倉山駅が最寄りの1丁目、師岡町に接した4丁目、鶴見区に接した3丁目など横に長い。主要道路の「川崎町田線」と「綱島街道」が通り、自動車交通の高い利便性もあって工場立地が進んだが、現在は住宅化が加速して人口が増加。主要学区となる「師岡小学校」は児童数が1000人を超えるマンモス校に(「港北区ガイドマップ」から一部抜粋)

港北区内を12の地区に分け、地域の歴史や名所・旧跡、名物や新たな街の動きを紹介するというコンセプトの本連載の執筆は、歴史エッセー『わがまち港北2』(2014年5月)と『わがまち港北3』(2020年11月)の共同執筆者としても知られる林宏美さん(公益財団法人大倉精神文化研究所研究員)が担当。10回目となる今回は筆者がかつて住んでいたという樽町地区の歴史散策です。

)特記のない限り、本連載の写真は筆者・林宏美さんによる2021年11月25日の撮影です
)本連載は「横浜日吉新聞」と「新横浜新聞~しんよこ新聞」の共通記事です

連載第10回目は樽町地区です。前回書いたとおり、樽町は筆者がかつて住んでいた思い出深い愛着のある場所です。引っ越しの時は悲しさのあまり涙したほどです。

とは言え、当時は徒歩通勤で電車の時間に左右されない環境でしたので、朝から晩まで研究所に入り浸りで、買い物以外で家の周りを歩くことはさほどなかったのも事実です。そんな訳で、連載節目の回に思い出の地・樽町をあらためて散策出来るのを嬉しく思います。

「樽町」の地名由来は3つの説

樽町地域ケアプラザ(樽町1)は「樽」を使った独自キャラクターを制作している(編集部)

「樽町」の地名は、(1)師岡熊野神社に御神酒を入れた樽を奉納していたから、(2)鶴見川が氾濫すると樽に水を張ったように、ずっと水が退かないから、(3)南側の丘陵が切り立っており、そこから流れる湧き水が滝のようだったので、「たる」(=「水が垂れる」に由来)に樽の字を当てた、と今回もその由来には諸説あります。

その他、樽町地区の歴史・概要は、シリーズわがまち港北第205回「樽町地区~地域の成り立ち、その9」もご一読下さい。

樽町神明社と今は無き「愛国寺」

大倉山駅と綱島駅の間にある樽町、今回は大倉山駅から散策を始めます。駅から東の綱島街道に出て交差点を左折し、大倉山記念病院前の信号を右に曲がります。

大倉山駅から徒歩約8分の樽町1丁目にある大倉山記念病院、2010年に当時の「三菱重工大倉山病院」から経営母体と名称が変わり、綱島街道の交差点名も「三菱病院前」から「大倉山記念病院前」に変更された(編集部)

その先の坂道を進んでいくと、「樽町神明社」があります。鳥居や社殿は2003(平成15)年に再建され、玉砂利を敷かれた境内は広くはありませんが、すっきりと整えられています。

樽町神明社

その樽町神明社の近くに戦前、「愛国寺」(現在の1丁目)という場所があったことをご存じでしょうか。宅地化が進んだため、その形跡は何も残っていませんが、横浜市がホームページで公開している「横浜市三千分一地形図(昭和初期)」の獅子ヶ谷の部分(1941[昭和16]年製版=要ダウンロード)には、愛国寺が記載されています。

愛国寺栗原勇(いさむ)という人物が、人々の愛国心を養い、精神を鍛えるために造ろうとしていた修養道場です。

栗原勇といってもピンと来ないかと思いますが、この人物は「二・二六事件」の首謀者の一人である栗原安秀(1908~1936年)の父親です。筆者は二・二六事件が卒業論文のテーマでしたので、愛国寺の話を知った時、港北区と事件とを結ぶ意外なつながりに驚きました。

栗原勇編『武蔵戦記』(1935年)には、「尊王山愛國寺案内」が掲載されており、「東京と横濱の間、景勝にして交通至便の地、切に御参詣を願ふ」「西北面は遥かに富士の霊峰を眺め、箱根秩父の連山武蔵野の丘陵、綱島温泉地帯の桃源一眸(いちぼう)の間にあり、展望絶佳」などと紹介している

栗原勇1933(昭和8)年、樽町に愛国寺の一部として愛国観音教会所を建立し、その後は宿泊所や武道場などの各種施設を充実させていく考えでした。しかしその計画は息子である安秀の事件への参加によって頓挫します。

栗原勇は佐賀県神埼の出身で、大倉精神文化研究所創立者の大倉邦彦と同郷でした。その誼(よしみ)か大倉は栗原勇をたびたび支援していますが、樽町との縁は大倉とは別のところにあったようです。

二・二六事件までの栗原勇は、愛国寺の他にもさまざまな事業を行っていました。詳細は、シリーズわがまち港北で4回にわたって紹介(第86回第87回第88回第89回)していますので、ぜひご覧ください。

大倉山トンネルで新幹線を眺める

次は本長寺へ向かう予定ですが、この近くには東海道新幹線「大倉山トンネル」の樽町側出入口があり、新幹線のビューポイントとなっています。

「大倉山トンネル」の真上にある樽町1丁目の住宅街から東海道新幹線が一望できる

高速で大倉山トンネルに入っていく東海道新幹線

ここは、せっかくなので寄っておきましょう。間近でトンネルを通過していく新幹線は迫力満点です。

)樽町1丁目にある「新幹線のビューポイント」の場所はこちら(グーグルマップ)

港北区内に入った新幹線は、慶應大学矢上キャンパス下の「矢上トンネル」「日吉トンネル」を通り、続いて綱島東6丁目と樽町3丁目にかかる「鶴見川橋りょう」(写真)を渡り終えると、すぐに全長630メートルの「大倉山トンネル」へ入る。大倉山トンネルは今から半世紀以上前、建設中だった1963(昭和38)年6月17日に5人が生き埋めとなる落盤事故が発生し、東海道新幹線の工事史上で最大級と言われる惨事が起こった場所でもある(編集部、2021年11月)

しだれ桜のお寺、日蓮宗「本長寺」

新幹線のスピード感を楽しんだ後は「本長寺」へ向かいます。「しだれ桜のお寺」として知られる日蓮宗寺院の長命山本長寺は、約450年の歴史を持つ古刹(こさつ)です。

山門は明治時代の建造で、門扉に施された彫刻、日蓮聖人の伝説を題材とした「日蓮聖人山伏問答」「星下り絵図」は、門から飛び出してきそうな迫力があります。

本長寺山門の彫刻「星下り絵図」

山門をくぐると、身延山から賜った樹齢70年というしだれ桜がありました。実は本長寺は家の近くだったのですが、今回改めてその枝ぶりを目にして、住んでいる間に花を見に行かなかったことが大いに悔やまれました。

本長寺のしだれ桜(2021年11月29日)

しだれ桜の先には釈迦如来立像や長寿観音像、山門から南西の位置には1850(嘉永3)年の創建という本堂があり、その前ではかわいらしい「こぞうくん」が迎えてくれます。

本長寺本堂前にはマスクを着けたこぞうくん(2021年11月29日)

区内に多数「杉山神社」は樽町にも

本長寺の次は、「樽町杉山神社」へ行きます。本長寺の東へ樽町中学校の前を通り、神社へと向かう道は、筆者がトレッサ横浜へ買い物に行く時によく歩いていた道で懐かしいです。

杉山神社はその多くが鶴見川流域に鎮座している神社で、港北区内には8つ(合祀によって改称された神社も含む)あります。杉山神社に関しては、書籍『わがまち港北3』に詳細資料を掲載していますので、そちらをご覧ください。

樽町杉山神社の参道入口には、神社の沿革と「神社の豆知識」と題する詳しい説明書きがあり、つい読み入ってしまいます。社殿の方へ進んでいくと、鳥居の後ろに横浜市指定名木の大イチョウ2本が、美しい黄金色の衣を纏って立っていました。

樽町杉山神社の鳥居と横浜市指定名木の大イチョウ

樽町杉山神社は、2002(平成14)年から2005(平成17)年にかけて社殿や参道、境内社を含む敷地全体の整備が行われており、見た目には新しさがありますが、1411(応永18)年以前の創建とされ、少なくとも600年以上の歴史を持つ、樽村総鎮守の由緒ある神社です。

社殿右奥には、熊野神社市民の森に続く階段がありますが、こちらは師岡地区を散策する際に改めて行ってみましょう。

「菖蒲園前」の由来は戦前の施設

今度は鶴見川方面へ向かい、「樽町しょうぶ公園」に行きます。公園は遊具が多く、走り回れる広い空間もあり、通りに面していてバス停は目の前、地域の公園として人気が高いのも頷けます。筆者が訪れた平日昼過ぎの園内もとても賑わっていました。

樽町しょうぶ公園

樽町しょうぶ公園の前には「菖蒲園(しょうぶえん)前」というバス停があり、公園の少し先にある綱島街道の交差点は「菖蒲園前」の名が付されています。

樽町しょうぶ公園近くにある「菖蒲園前」(東急・臨港)のバス停

「菖蒲園前」のプレートがついた信号、ローマ字表記は「Shobuen」

これらは1933(昭和8)年に、東急電鉄が乗客誘致を目的として樽町に開設した「綱島菖蒲園」を由来としています。なお、樽町しょうぶ公園はその跡地ではなく、実際はその向かい側(宮川製作所や三菱自動車の側)にあったようです。

横浜市営バスの「菖蒲園前」バス停だけは綱島街道沿いの交差点付近に位置。戦前の菖蒲園は写真右手奥に写る“三菱マーク”の自動車販売店あたりにあったとみられる(2019年、編集部)

綱島菖蒲園は1938(昭和13)年の鶴見川の大水害で閉園を余儀なくされ、その歴史はわずか5年ほどでした。しかし、菖蒲は樽町中学校の校章のモチーフや、樽町地区のキャラクターにも使用されており、今でも樽町を象徴する存在となっています。

樽町と菖蒲にまつわる話は、シリーズわがまち港北第205回の「樽町地区」や、大好き!大倉山第31回の「樽は綱島~不思議な菖蒲園」(書籍『わがまち港北3』252頁)でも紹介しています。

綱島温泉の発祥記念碑は樽町

最後は大綱橋の袂(たもと)にある「ラヂウム霊泉湧出記念碑」へ向かいましょう。

綱島駅は元々「綱島温泉駅」として開業し、綱島も温泉旅館街として発展したことは有名です。しかし、温泉として使用される赤い水の発見は1914(大正3)年のことで、場所は樽町(当時は樽村)でした。

現在の「ラヂウム霊泉湧出記念碑」

温泉街としての発展も樽町側から始まり、1926(大正15)年の東横線の開通以降、綱島側の開発が進んでいきます。

現在、ファミリマート樽町二丁目店横の国有地に設置されている記念碑は1933(昭和8)年の建造で、90年近くの長きにわたって地域の歴史を伝えてきました。しかし2018(平成30)年、この大切な記念碑が失われる可能性があったこと、間一髪のところで碑が守られたことは触れておかなければなりません。

「ラヂウム霊泉湧出記念碑」は2018年12月まで、現在地より樽町寄り、記念碑を建立した加藤順三氏の菓子店「杵屋」跡地にあった(2015年4月7日)

事の顛末は、私がここで説明するよりも、『横浜日吉新聞』の関連記事をお読み頂きたいと思います。もし日吉新聞の橋本さんが処分寸前の碑の前を通らなかったら……、最悪の事態があったかも知れません。地域に関わる方々の思いがつながって守られた記念碑、その救出劇の詳細は『横浜日吉新聞』でご確認ください。

また、港北ふるさとテレビ局制作の「続・綱島温泉物語」では、関係者の証言も交えて、記念碑と綱島温泉の歴史について紹介しています。現在、「港北映像ライブラリ」で期間限定公開しているこちらの映像も必見です。

街の宝を大事にしていた樽町

地域の歴史は地域にしかない宝です。散策を通して、樽町がその宝をとても大事にしていることを感じました。

また、樽町のほぼ中央を東海道新幹線の高架が通っているためか、新幹線の行き来が自然と気になり、その運行の多さを改めて認識しました。

昨年来のコロナ禍に揺れた2021(令和3)年も終わりが近づいています。次回は新羽地区です。「新」たな年に「羽」ばたく、何だか縁起のよい散策になりそうです。

<執筆者>
林宏美(はやしひろみ):1982年4月神奈川県小田原市生まれ。中央大学大学院博士前期課程修了。2009年4月大倉精神文化研究所非常勤職員、2011年7月常勤。2014年4月同研究所研究員、2021年4月から図書館運営部長(研究員兼任)。勤務する研究所の創立者・大倉邦彦氏と誕生日がピッタリ100年違いという奇跡の巡りあわせにより、仕事に運命を感じている。小田原市在住(2011年から2014年まで大倉山に在住)。趣味はカラオケとまち歩き。一児の母。子育ての合間にSNSで地域情報をチェックするのが日々の楽しみ。冬の澄んだ青空の下で見る大倉山記念館と梅の時期の大倉山の賑わいが好き。

【関連記事】

【歴史まち歩き】白亜の殿堂そびえる大倉山、90年を迎える駅と史跡を巡る(2021年11月10日)

【歴史まち歩き】東京園から新綱島駅、桃と諏訪神社の力石…「綱島東」の魅力(前編)(2021年6月10日)

【参考リンク】

書籍『わがまち港北』公式サイト(『わがまち港北』出版グループ)


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