【歴史まち歩き】春の近隣散策に訪れたい史跡や公園、新羽の魅力 | 横浜日吉新聞

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春の散策に訪れたい史跡や公園を歩きました。区の歴史や文化、現在の見どころを歩く連載「【わがまち港北番外編】こうほく歴史まち歩き」の第11回は新羽駅から北新横浜駅にかけての「新羽町」を巡り、長い歴史と篤い信仰に育まれた古刹を中心に、丘陵部の公園なども紹介します。

今回歩いた新羽駅や北新横浜駅の周辺マップ(港北観光協会による「歩いて魅力発見!港北区ウォーキングマップ~第三弾」より)

港北区内を12の地区に分け、地域の歴史や名所・旧跡、名物や新たな街の動きを紹介するというコンセプトの本連載の執筆は、歴史エッセー『わがまち港北2』(2014年5月)と『わがまち港北3』(2020年11月)の共同執筆者としても知られる林宏美さん(公益財団法人大倉精神文化研究所研究員)が担当。今回は「新羽地区」を巡りました。

)特記のない限り、本連載の写真は筆者・林宏美さんによる2021年12月27日の撮影です
)本連載は「横浜日吉新聞」「新横浜新聞~しんよこ新聞」の共通記事です

「新羽」の地名由来は鶴見川の舟運?

連載の第11回、新年最初に紹介するのは、港北区西部に位置する新羽地区です。

「新羽」の由来は、鶴見川の舟運で荷物を揚げ下ろしした「荷場」=「にば」が「にっぱ」へ転じたとする説、「新」は開墾地、「羽」は端の意で、丘の端に開墾した場所だったとする説などがあります。

新羽町は蛇行する鶴見川に接した位置にある、写真の真正面は旧新羽町の北新横浜エリア(2020年6月、編集部)

地区の歴史・概要については、シリーズわがまち港北第211回「新羽地区~地域の成り立ち、その11」も合わせてご覧下さい。

来年で開業30周年を迎える新羽駅

今回は横浜市営地下鉄ブルーライン・新羽駅から散策を始めます。

新羽駅は“地下鉄”ながら高架駅となっており、駅前のバスロータリーには大倉山駅や新横浜駅などからの市営バスと、綱島駅などからの東急バスが乗り入れている(2021年7月、編集部)

新羽駅は1993(平成5)年3月の「新横浜駅~あざみ野駅」間の開通時で設置された駅で、来年で開業30年を迎えます。

“地下鉄”の駅ですが、新羽駅からセンター北駅までの4駅は地上区間となっています。

花の寺として知られる古刹「西方寺」

新羽駅からまずは「西方寺」を目指します。駅前から県道140号(川崎町田線、通称「港北産業道路」=新羽橋から都筑区大熊町方面への道)を西へ歩いていくと、10分足らずで西方寺に着きました。

新羽駅から比較的近い位置にある「西方寺」の参道(2019年4月、編集部)

本堂・山門・鐘楼は江戸時代の創建で、横浜市指定有形文化財です。本堂の茅葺屋根の美しさは見るたび感動を覚えます。

工事中の今だけ「山門」全体が見える

山門は昨年(2021年)10月末から修復工事が行われており、土台、基礎の工事を含むことから、山門は西側の本堂寄りに曳家で移動しています。

曳家によって移動した西方寺の山門

また、山門は地上から浮いた状態で置かれており、今なら山門全体を隅から隅まで見ることができます。

いつもは山門の先の本堂に目を奪われますが、今は山門が「私を見て」と言わんばかりです。工事は今年(2022年)3月15日までの予定で、その間本堂への参拝には迂回が必要です。

四季折々の花で彩られる西方寺

西方寺は花のお寺として知られ、四季折々様々な花を楽しむことが出来ます。これからの時期は蝋梅(ロウバイ)が有名です。透き通るような黄色い花弁に甘い香りを漂わせた蝋梅と本堂の構図は筆者のお気に入りです。

西方寺の蝋梅と本堂(2021年2月1日撮影)

西方寺はホームぺージや各種SNSでの情報発信も積極的に行っています。お寺の歴史や花の情報など、ホームページに詳しく紹介されていますのでぜひご覧下さい。

新羽郷総鎮守の「杉山神社」へ

西方寺から北へ3分ほど歩くと、新羽郷総鎮守の「杉山神社」があります。

参道の階段を上がると、手水鉢の屋根にワラで造った大蛇が飾られていました。蛇は新羽の中之久保地区(新羽中学校周辺から新羽ポンプ場に至る付近一帯)に、江戸時代から伝わる民俗行事「注連引き百万遍(しめひきひゃくまんべん)」で造られたものです。

杉山神社のワラ蛇

横浜市指定無形民俗文化財でもある「注連引き百万遍」は、厄除け・病除けの願いを込めて行われた行事で、男性がワラ蛇を造り、女性は屋内で数珠を回しながら念仏を唱えます(今は男女の別はありません)。

西方寺での注連引き百万遍の念仏(2014年10月27日、平井誠二氏撮影)

私も一度念仏に参加させて頂いたことがありますが、地域の方々と車座になり、大数珠を手早く回しながら声を合わせて念仏を唱えたのは、貴重な体験として今も深く心に残っています。

大きなワラ蛇と神社に悪疫退散を願い、先へ進みます。注連引き百万遍については、シリーズわがまち港北第22回「道切りの大蛇」、第23回「大蛇はよみがえる~注連引百万遍」、第96回「3メートルの大蛇と格闘!」に詳しく書かれていますので、ご覧ください。

鳥山町・三会寺ゆかりの「光明寺」

杉山神社から北西に歩いていくと「光明寺」があります。遍照山(へんじょうざん)光明寺は1496(明応5)年に創建された真言宗寺院で、鳥山町にある三会寺(さんねじ)の末寺にあたります。

光明寺の参道(2019年4月、編集部)

光明寺は酉(とり)年に御開帳がある「武相不動尊霊場」の第26番札所、先述の西方寺は9番札所です。

光明寺付近を走行する横浜市営地下鉄ブルーライン

参拝後、本堂の裏山を地下鉄ブルーラインが行き来していましたので、通過のタイミングで思わず写真を撮ってしまいました。

南新羽と並立した「北新羽杉山神社」

光明寺から北北西へ進むと「北新羽地蔵堂」があり、そこから西へ行くと「北新羽杉山神社」の入口が見えてきました。

1718(享保3)年開山の北新羽地蔵堂は、都筑橘樹(つづきたちばな)酉歳地蔵菩薩霊場の第6番札所

北新羽杉山神社の入口

新羽杉山神社は1394(応永2)年の創建で、明治初年と1976(昭和51)年の二度火災に見舞われるも再建を成したこと、1908(明治41)年の一村一社合併令に際しても、新羽の杉山神社との並立を果たしたことが、由緒沿革の碑に刻まれていました。

北新羽杉山神社の由緒沿革が刻まれた碑

氏子の方々の神社への尊崇の念に胸を打たれます。

蓮華寺、善教寺を経て新羽丘陵公園へ

さて、北新羽杉山神社の後は、南東方面へ一気に移動し、「新羽丘陵公園」を目指します。

その途次には、寅年に御開帳を行う「都筑橘樹(つづきたちばな)十二薬師霊場」の第1番札所である「蓮華寺(れんげじ)」や、浄土真宗本願寺派寺院の「善教寺」があります。

蓮華寺の参道と道祖神(左側)(2019年4月、編集部)

この2カ寺については、シリーズわがまち港北第136回「12年に一度の霊場巡り~その5」(都筑橘樹十二薬師霊場について)、第168回「港北区内の名僧・学僧~その2、平等通照」(三会寺と善教寺について)、第169回「新羽の岡倉天心」をご覧ください。

新羽丘陵公園は、その名の通り新羽の丘の上にある公園です。港北区子育て応援マップ「ココマップ」によると、設置されている遊具から通称は“トルネード公園”だとか。

新羽丘陵公園、「トルネード公園」の通称は手前の遊具から?

遊具は決して多くありませんが、陽気のいい日は芝生の広場がピクニックにちょうど良さそうです。

新羽丘陵公園の出入口は丘の上(新羽中学校近く)にある。今後は丘の下の横浜生田線沿いからも出入りできるようにする計画(2020年2月、編集部)

現在、新羽丘陵公園では今年(2022年)度末までの予定で拡張整備工事が行われています。この工事で公園東側の園路が整備され、横浜生田線側(県道13号の「中井下」バス停=東急「綱72系統」=付近)から直接公園へ行くことが可能となります。

工事が進む横浜生田線から新羽丘陵公園への通路予定地

高台にある大きな公園へのアクセス向上は、レジャー利用のしやすさだけでなく、防災拠点としての機能も高めるもので、その活用にさらなる期待がされます。

子の健康を願うワラ蛇と新羽小の土俵

新羽丘陵公園から南へ下ると、「新羽中学校」「新羽小学校」があります。

丘の上に並んで建つ新羽中学校(写真真ん中の左側)と新羽小学校(同右側、工事中の校舎側)、丘の中腹には「専念寺」も見える。奥の大型フェンスは西方寺近くの大竹エリアにあるゴルフ練習場(2021年8月、編集部)

両校の校門には杉山神社と同じワラ蛇が掲げられていますが、その姿には新型コロナウイルスとの必死の戦いが窺えます。

新羽中学校校門の「ワラ蛇」は、かなり傷みが進んでいる

そして新羽小学校といえば、筆者は「土俵」に触れない訳にいきません。港北区内には綱島・大倉山・新羽の3ヶ所に土俵があり、新羽小学校にある現在の土俵は2006(平成18)年の建造です。

新羽小学校の土俵、屋根付きで俵を使用している本格的なもの(2019年9月8日撮影)

2019年には、ここで港北区民相撲大会が開催されました。土俵上の熱戦も然ることながら、開会式で披露された土俵入りも印象に残っています。

間違い多発で駅名を変えた「北新横浜」

新羽小学校から南下して「専念寺」を参拝し、次いで南東方面の「北新横浜駅」へと向かいます。

高田駅方面から続く幹線道路「宮内新横浜線」の真ん中に駅舎が置かれている北新横浜駅、列車は地下を走る(2020年12月撮影、編集部)

市営地下鉄ブルーラインの北新横浜駅は、開業当初「新横浜北駅」でした。しかし、あざみ野方面からの乗客が新横浜駅と間違えて下車してしまう事態が多発し、開業から6年後の1999(平成11)年、現在の北新横浜駅へと改称したのは有名な話です。

また、開業当時の周辺住所は新羽町でしたが、2005(平成17)年には北新横浜1、2丁目となりました。

新羽車両基地の屋上にはスポーツ施設

北新横浜駅から5分ほど歩くと、横浜市交通局の「新羽車両基地」があります。

制服に身を包んだ交通局職員の方や、方向幕に「教習車」と表示した交通局のバスが車両基地にある教習場や周辺道路を頻繁に走っているのを見て、乗り物好きの筆者は心が躍ります。

北新横浜では市営バスの教習車をよく見かける。写真奥の新羽車両基地内にも教習コースがある(2019年1月撮影、編集部)

新羽車両基地の屋上スペースには、2019(平成31)年2月、「あおばスポーツパーク」がオープンしました。

新羽車両基地、2019年2月に屋上でオープンした「あおばスポーツパーク」の各種施設の看板も

フットサルコートテニスコートバッティングセンターなどを兼ね備えたスポーツ施設で、この日もフットサルの試合が行われており、選手たちにコーチの熱い指示が飛んでいました。施設の詳細は「新横浜新聞」の記事をご覧ください。

新吉田へ続く「新田緑道」と工場地帯

最後は北新横浜から新羽を通り、新吉田まで続く「新田(にった)緑道」へ。車両基地の近くに緑道の入口がありますので、ここから新吉田方面へと歩いていきます。

北新横浜駅の近くにある新田緑道への出入口(2021年5月撮影、編集部)

1986(昭和61)年に開設された新田緑道は、水路を埋め立てて整備されました。区間ごとに様々なテーマを設定しており、新羽周辺は高度経済成長期以降、工場地帯として発展した歴史が表現されています。

ギアやネジをモチーフとした造形、地域の工場から寄贈された古い廃材や機械を使用したオブジェは、新田緑道の大きな特色となっています。

新田緑道に設置された機械のオブジェ、土台はギアの形をしている

新田緑道は開設から35年が経ち、舗装の劣化や遊具やベンチといった施設の老朽化、植栽の成長から、利用時の安全確保などに問題が生じてきたため、2021年度から5~6年の計画で再整備が進められています。こちらも「新横浜新聞」に記事がありますので、ご一読下さい。

鶴見川の土手からは大倉山記念館が僅かに見える

緑道は新吉田まで続きますが、新吉田町と新羽町の境で東に曲がり、鶴見川の土手に出ました。川沿いを南へ歩き、港北産業道路に出て西へ進むと新羽駅です。これで今回の散策を終えます

おわりに:春のレジャーに絶好スポット

鶴見川の亀甲(亀の子)橋近くの新羽町内には首都高速「横浜北線」の「新横浜出入口」が2017年3月に開業し、新羽での自動車交通の利便性が高まった。写真左奥は都筑区折本町の大型家具店「IKEA(イケア)港北」、青と白の煙突はごみを焼却する市資源循環局の都筑工場と都筑区にも接している(2021年8月撮影、編集部)

新羽地区の散策は、鶴見川周辺から丘陵部までの高低差と、古刹の多さが印象的でした。

今回行けなかった所、簡単な紹介に留めた所もありますが、その多さは新羽が長い歴史と篤い信仰を持つ地域であることを物語ります。

また、工事を終えた西方寺や新羽丘陵公園春のレジャーには絶好の場所でしょう。春には目下急拡大しているコロナ感染が落ち着いていることを願って筆をおきます。次回は「新吉田・新吉田あすなろ地区」を歩きます。

<執筆者>
林宏美(はやしひろみ):1982年4月神奈川県小田原市生まれ。中央大学大学院博士前期課程修了。2009年4月大倉精神文化研究所非常勤職員、2011年7月常勤。2014年4月同研究所研究員、2021年4月から図書館運営部長(研究員兼任)。勤務する研究所の創立者・大倉邦彦氏と誕生日がピッタリ100年違いという奇跡の巡りあわせにより、仕事に運命を感じている。小田原市在住(2011年から2014年まで大倉山に在住)。趣味はカラオケとまち歩き。一児の母。子育ての合間にSNSで地域情報をチェックするのが日々の楽しみ。冬の澄んだ青空の下で見る大倉山記念館と梅の時期の大倉山の賑わいが好き。

【関連記事】

【歴史まち歩き】白亜の殿堂そびえる大倉山、90年を迎える駅と史跡を巡る(2021年11月10日)

【参考リンク】

書籍『わがまち港北』公式サイト(『わがまち港北』出版グループ)


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