綱島温泉で最古の旅館跡「入船亭」が解体、新綱島駅の再開発準備が本格化 | 横浜日吉新聞

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綱島温泉で最古の旅館と言われる「入船亭(入船旅館)」の建物跡で解体工事が始まりました。創業から100年超、閉館してからも四半世紀以上にわたって温泉街時代の雰囲気を伝えていた同旅館跡は、綱島駅東口の新たな象徴となる再開発ビルの敷地として活用されることになります。

すでに一部の建物で解体が始まっている(10月22日)

解体工事は今月(2018年10月)中旬に着手しており、綱島街道側では工事のシートに覆われ、敷地内が見えない状態。すでに一部の建物を壊し始めており、年内には一連の跡地が更地化される予定です。

同旅館は、綱島温泉が発見される前の1913(大正2)年に割烹旅館として創業したとされ、その後に温泉旅館化し、昭和50年代後半に閉館。旅館の営業を終えた当時から綱島駅東口周辺では再開発議論が進んでいたことから、長い間、新たな土地活用や解体に踏み出せなかったといいます。

旅館の創業者から数えて三代目にあたり、少年期まで同旅館内に住んでいたことがある「いけたに歯科」(綱島西5丁目)の院長・池谷完治さんは、「旅館では祖父が『大旦那(だんな)』で、父が『若旦那』、私は『豆旦那』なんて呼ばれていました。有名人の方が泊まりに来ると、サインをもらえたことがとても嬉しかったですね」と思い出を語ります。

“離れ”が多かったという綱島温泉の特徴を伝えていた「入船亭」跡、右手奥はマンション「モナーク綱島」(9月28日)

昭和30年代初頭に生まれた池谷さんの幼少期は、東海道新幹線の開業前で綱島温泉がもっとも賑わっていた時代。「温泉街の芸者さんに顔を知られていたので、小さい頃は歩いているとよく声をかけられ、同級生に驚かれました」と当時を振り返ります。

池谷さんの父である“若旦那”は、医学の道を志していたものの、それを断念して家業である旅館を継いだ経緯があったといい、三代目の池谷さんがその夢を継ぐ形に。「私が歯科医になったためか、父は旅館のことを話してくれず、古いことはほどんど分からないんです」と明かしました。

一方で、旅館跡を解体するにあたっては、着手前に研究者らに建物内を公開し、資料収集に協力するなど、綱島温泉の歴史を語り継ぐための支援も行っています。

綱島を象徴する「桃」が彫られた門扉も残されていた(10月9日)

旅館閉館から30年以上の時間をかけて、新たな街づくりへ一歩を踏み出せたことになり、池谷さんは「ようやく解体に着手できました」とほっとしたように話しました

なお、新綱島駅の周辺では、昨年2月に閉店した「綱島ピーチゴルフセンター」が解体されてトンネル掘削施設になったことを皮切りに、綱島交差点で今年4月末に閉店した中華店「東海嘉宴(かえん)」と、旧旅館跡地の駐車場「新水パーキングセンター」が相次いで解体されており、今後は再開発エリア内に建つマンション「モナーク綱島」の閉鎖時期が焦点となりそうです。

【関連記事】

綱島交差点の旧「割烹旅館」敷地にコインパーキング、再開発までの期間限定か(2017年5月19日)

綱島温泉の名残を求め歴史散策、開港資料館のツアーに定員の4倍が応募(2018年4月9日、入船亭付近も散策)

<開港資料館>綱島温泉を発見したのは誰か、戦前までを振り返る研究を発表(2018年3月19日、入船亭旅館の歴史についても)

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【参考リンク】

綱島温泉の痕跡~ラヂウム霊泉湧出記念碑(横浜開港資料館、入船亭の開業時期についても)

第8回誌上座談会~わが東横沿線を語る(昭和62年7月20日)(とうよこ沿線、ページ下部に大正11年ごろの入船旅館とみられる写真も)


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