今年(2017年)3月に日吉5丁目で、来年春には綱島東4丁目のパナソニック工場跡地「Tsunashimaサスティナブル・スマートタウン」(綱島SST)に国際学生寮の新設を予定する慶應義塾大学。日吉・綱島エリアに真新しい寮が次々と生まれるなかで、福沢諭吉が設けた「塾舎」の伝統を受け継ぎ、今も学生が自主独立の精神で運営を続けているのが箕輪町1丁目にある「日吉寄宿舎」です。まもなく創設から80年。歴史を重んじながらも現代の学生寮として進化を続け、この春も新たな学生を迎えようとしています。
寮など共同宿舎の古い呼び名である「寄宿舎」。国内で古参の部類に入る日吉寄宿舎は1937(昭和12)年の創設です。その源流は、慶應義塾創設者の福沢諭吉が塾生と寝食をともにした塾舎までさかのぼるといい、「慶應義塾の寄宿舎は慶應其物(そのもの)」(慶應義塾百年史)とも言われています。
第二次世界大戦中は日本海軍が使い、敗戦後には米軍が接収して将校らの居住場所になるなど、昭和の激動期を経て、2011年には歴史的建造物として創建当時に近い状態に復元。同時に館内の全面リニューアルが行われており、内部は古い学生寮という雰囲気はありません。
日吉や川崎の街が一望でき、天気の良い日は富士山まで望めるほどの眺望の良さは、住宅地なら“超一等地”といえる場所。日吉キャンパスと隣接しているため、10分もあればほとんどの教室にたどり着け、理工学部の矢上キャンパス(日吉3丁目)も歩いて15分ほどの距離です。
「(日吉キャンパスへ通う)1~2年生の頃は便利でよかったなと思います。この近さに慣れると(3年生から通う)三田は遠いと感じます」と振り返るのは、日吉寄宿舎の自治委員会で副委員長をつとめる髙橋亮太さん(商学部3年生)。
特に4年間を日吉で過ごす理工学部生にとっては大きなメリットとなりますが、湘南藤沢キャンパス(SFC)へ通う学生も一定数おり、「少し時間はかかりますが、日吉駅からも近いですし、問題なく通っています」と総合政策学部1年生の熊谷響希さんは話します。
4年間通じて過ごす「安心できる場所」
日吉寄宿舎の特徴は、約35名の男子学生が4年間を通じて共同生活を営むことにあります。学年や学部をこえて1室2~3名で暮らし、運営に関わるすべてのことは、学生が組織する自治委員会が担います。
寄宿舎内の清掃から家賃の集金、備品の管理、親睦イベントの主催まで担う役割は多く、一人暮らしの自由を謳歌したいという学生には窮屈に映りそう。また、かつてほどの厳しさはないとはいえ、学年ごとの上下関係も色濃く残ります。
「共同生活ですので、確かにわずらわしい面があるかもしれません。しかし、1年生の時には上級生の指示に従って活動していたことも、学年が上がるにつれて今度は指示を出す側になり、寄宿舎の運営に責任が伴ってきます。年を経るごとに見える風景がまったく変わってきます」(髙橋さん)といい、寄宿舎での経験は自らの成長につながっているようです。
「最近では、自治委員会の任期を変えたり、会合を減らしたりして、寄宿舎生の負担が少なくなるように効率化は図っています。また上下関係という面では昔に比べると幾分マイルドになったでしょうか」(同)。
運営の仕組みを時代に合わせて変える一方で、人間関係の濃さと結束力の強さは今も不変。「4年間を通じて“兄弟”のような付き合いになるので、カギをかけている部屋はありません。それだけみなが安心できる場所なんです」(同)。
これから春にかけて、4年間を過ごした現在の4年生が寄宿舎を去ります。「追い出しコンパ」では一昼夜かけて思い出を語り合い、去る日には「出陣式」と題して涙で送りだし、新たに1年生を迎えます。
「共同生活が楽しい、と思える新入生にぜひ来ていただきたいと思っています。見学も歓迎です」(同)。
寝食をともにして学び、自主独立の精神を養う――という慶應義塾の源流といえる環境に身を置くことの経験は、将来にわたって貴重な財産になるのは間違いなさそうです。
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