日吉で生まれた横綱「武蔵山」と昭和初期の大相撲を味わう、大倉山で拡充の資料展 | 横浜日吉新聞

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日吉生まれの横綱・武蔵山が活躍した時代の大相撲の世界感を味わえます。

大倉精神文化研究所は今月(2025年)8月2日から大倉山記念館(大倉山2、大倉山駅徒歩7分=急坂道あり)で資料展「港北区から誕生した昭和初期の横綱・武蔵山」(8月30日まで開催)の公開を始めました。

8月2日に大倉山記念館で始まった資料展「港北区から誕生した 昭和初期の横綱・武蔵山」は8月30日(土)まで開催中(8月2日)

武蔵山は戦前に活躍した大相撲力士で、1935(昭和10)年に25歳で第33代横綱に昇進しており、現在まで神奈川県出身者ではただ一人の横綱です。

1909(明治42)年に当時の日吉村字(あざ)駒林の金蔵寺(日吉本町2)近くで父・横山仁平、母・すゞ(ず)の長男(本名横山武)として生まれ、尋常駒林小学校(現日吉台小学校)へ通っていた頃から身体が大きく「大人」などというあだ名で呼ばれていたと伝わります。

これまで公開されていないものも含め44枚のパネルで武蔵山の歩みを伝えている

今回の資料展では、大正期に日吉や綱島周辺で“草相撲”をして過ごした武蔵山の少年時代から相撲界での活躍、横綱に昇進後の悲運と引退後の姿まで、約130点の資料をまとめた44枚のパネルで振り返る内容となっています。

同研究所では2019(平成31)年3月の港北図書館を皮切りとして、横浜アリーナでの大相撲巡業時など過去10回にわたって武蔵山に関する大小さまざまな資料展を行っていますが、今回は会場となる大倉山記念館2階ギャラリーのスペースに余裕があることから、これまで展示できなかった資料も公開しているのが特徴。

武蔵山の活躍を通じ、昭和初期の相撲界や世相を知ることができる内容となっている

武蔵山の相撲人生に大きな影響を与えた1932(昭和7)年1月の「春秋園(しゅんじゅうえん)事件」と呼ばれる力士のストライキと独立騒動に関する資料を増やし、相撲界に与えた衝撃の大きさを渦中に発行された番付表や当時の新聞記事などで伝えます。

新大関に昇進していた武蔵山は当初、この動きに賛同して参加したものの、短期間で脱落して批判を浴びることになり、相撲界から去ることも考えていたと言われます。

加えて、当時は本場所以外に行われていた関西場所や天覧相撲などでの武蔵山の成績が分かる資料も公開され、当時の相撲界の様子を感じ取ることができそう。

今回、ナレーションをあらたに吹き込んだ映像作品も会場で公開する

今回の資料展にあわせ、今年5月に公開した映像作品横綱武蔵山の生涯~日吉が生んだ横綱の生涯」(約14分30秒)と「横綱武蔵山と地元横浜~唯一の神奈川県出身横綱が与えた影響とは?」(約21分)にナレーションを加えた最新版を資料展の会場で公開しています。

同研究所では港北区内の個人から1000点以上の武蔵山に関する資料類の寄贈を受けるなど、継続して資料の分析や研究を続けており、今回の資料展にはその成果も盛り込まれました。

加えて、最新の研究成果については、同研究所が今年3月に刊行した研究紀要「大倉山論集」(第71輯=集)に「第三十三代横綱・武蔵山の足跡をたどる(一)」のタイトルでパネルの内容を解説するとともに、これまでに判明した考察を注釈の形で紹介する原稿も公開しており、インターネット上でもPDFファイルを公開中です。

資料展は8月30日(土)まで、大倉山記念館の休館日(8月18日)を除き毎日10時から17時まで開催。

地域の災害・防災に関する展示も同時開催中

会場ではNPO法人鶴見川流域ネットワーキングによる鶴見川などの災害と防災に関する展示も同時に行われています。

【関連記事】

日吉が生んだ母思いの横綱「武蔵山」に迫る、綱島諏訪神社の草相撲で力育む(2019年3月12日)

<港北舞台の文芸作品5>農村から学園都市へ、文化人と戦火の日吉台【戦前編】(2025年2月21日、武蔵山についても)

【参考リンク】

大倉精神文化研究所「2025年オープンギャラリー~港北区から誕生した 昭和初期の横綱・武蔵山」(大倉山記念館で2025年8月2日~30日に開催)

大倉山論集(第71輯)「第三十三代横綱・武蔵山の足跡をたどる(一)~第二十五回特別資料展の報告を兼ねて」PDF、パネルの一部を紹介、脚注に新たな研究内容や考察も)

大倉山記念館へのアクセス(大倉山駅徒歩7分、急な坂道あり)


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