横浜市が「古地図」を復活公開中、昭和初期と30年代の日吉・綱島・高田の姿 | 横浜日吉新聞

横浜日吉新聞

横浜市の「古地図」が“復活公開”されています。昨年(2019年)春に市公式サイトが一新されて以降、閲覧が制限されていた昭和初期から昭和38年ごろまでの「横浜市三千分一地形図」がダウンロード形式で再度公開され、東京五輪直前の高度経済成長期ごろまでの日吉・綱島・高田など、一部川崎市も含めた周辺の姿を地図上から感じ取ることができます。

昭和3(1928)年~昭和28(1953)年と、昭和29(1954)年~昭和40(1965)年まで、それぞれエリアごとに分割されて地図が公開され、戦前は制作されていないエリアがある(横浜市建築局「横浜市三千分一地形図」のページより)

「横浜市三千分一地形図」は細かな部分まで見える形の画像で長年公開されていましたが、横浜市の公式サイト刷新により、システムの変更が行われたことで公開を一時的に休止。

市建築局企画部によると、「多くの方から復活の要望が寄せられていた」ことから、復旧作業が進められており、昨年12月中旬には再公開を行っていました。

一方、各地図画像の容量が重く、新たなサイトのシステムでは画像形式での公開が困難になったといい、地図ごとに「圧縮ファイル(zip形式)」をダウンロードする形に変更。そのため、スマートフォンでは見づらくなっています。

圧縮ファイルをダウンロードして“解凍”を行わない限り、地図の中身が見られないことから、ここでは、日吉・綱島・高田を中心に地図ファイルごとの見どころと、ファイルダウンロードへのリンクをご紹介します。

なお、圧縮ファイル(zip形式)の解凍を行うためには、多くのパソコンではクリックするだけで可能ですが、旧型のパソコンでは「解凍ソフト」(Lhaplusなど)が必要で、スマートフォンでは「解凍アプリ」を入れておく必要があります。(「App Store」や「Google Play」で多くは無料で公開されています)

横浜市三千分一地形図(昭和初期)の見どころ

)「ダウンロード」の部分をクリックすると横浜市のサイトから「.zip」形式の圧縮ファイルがダウンロードできます(閲覧には「解凍」が必要です)

)見本画像は横浜市のサイトからダウンロードした地図ファイルを縮小して掲載しました

)冒頭の番号は全体地図のなかの地図番号

1「日吉台」(昭和22年5月製版)(日吉駅前~箕輪町~下田町~高田町の一部、日吉本町)

  • 戦後間もない頃の日吉駅前の様子が分かる貴重な地図。中央通りを境に、浜銀通り側(元住吉側)は「北原」、普通部通り側(綱島側)に「東原」という小字(こあざ=小区画)が付いている
  • 慶應義塾大学内の「藤原工業大學(現慶應大学理工学部)」や普通部通りの「日吉台國民學校(現日吉台小学校)」の表示は見どころ(両学校は戦争中の空襲で焼かれており、地図のように実際に建物があったかどうかは不明)
  • 地図の右中ほど、綱島街道沿いに見える「箕輪大池」(通称、地図に記載なし)は現在、伊藤忠社員寮(旧日吉台学生ハイツ)となっている(関連記事
  • 地図の右下部、綱島街道沿いには「岡本機械製作所建設敷地」とあるが、実際には建物は建っていたとみられ、戦後すぐに米軍が接収。「ウイレイ・B・ブルークス兵舎」という名に変えられ、1957(昭和32)年3月22日まで12年近くにわたって、アメリカ軍兵士の宿舎として使われていた(関連記事)。「建設敷地」とのみ表示しているのは“軍事機密”として隠したためか、それとも調査不足か
  • 地図の真ん中下部の「田んぼ」の真ん中に「大塚製靴會社用地」が見える。この地はその後、大塚製靴日吉工場(現「エクセレントシティ日吉本町ガーデン」)(関連記事)と日吉台中学校の用地として活用された

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

67「日吉」(昭和18年10月製版)(日吉宮前エリア、矢上川、木月橋、中原区木月)

  • 現在の日吉2~5丁目付近(日吉宮前エリア)と川崎市中原区の市境沿いの戦前地図
  • クネクネ曲がった矢上川を「直線化」した名残りである「三日月湖」が残存しているのは見どころ
  • 木月橋の中原区側には「航空局航空試験所」との表示。現在の同地は「警察学校木月分校」と公務員用の「木月住宅」として使われている
  • 慶應大学矢上キャンパスや矢上小学校の姿はまだ無い
  • 「(日吉)仲町」「大門」「三軒家」「欠山耕地」「袋河岸」「土腐(どぶ)」など、今はほとんど聞かなくなった地図上の小字(こあざ=小区画)にも注目。なお、小字「大門」の近くには2000年代まで「大門」と名付けられた中華店も存在した(関連記事
  • 「goo地図」の昭和38年古地図(航空写真)は川崎市域までしか収録されていないが、日吉の矢上川付近のごく一部が含まれており、その後の変化が分かる

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

4「南綱島」(昭和15年3月製版)(綱島駅周辺~綱島東~綱島西、大綱橋~樽町~大曽根)

  • 戦前(昭和15年)の「綱島温泉」駅時代の貴重な地図。駅周辺の建物密集ぶりからは当時の繁栄が感じられる
  • 「東照寺」の並びには「大綱小學校分校」が見える
  • 現在は道路や家などの下に消えてしまった「水路」や「池」に注目。綱島街道沿いの樽町、地図上で「琵琶畑下(びわはたした)」との小字(こあざ=小区画)が表示された付近の池は、短期間で消えた観光地「菖蒲園(しょうぶえん)」の跡地か
  • 鶴見川沿いに広がる「果園」の表示は、綱島の桃だろうか
  • 綱島東エリアには一面の水田が広がる一方、すでに一部工場が工場用地を取得していた痕跡も

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

8「獅子ケ谷」(昭和16年3月製版)(大曽根~大倉山、鶴見区獅子ヶ谷周辺)

  • 現在の「樽町郵便局」(樽町1)付近から綱島街道に沿って、菊名駅の手前までを含んだ戦前(昭和16年)の地図
  • 地図上部左寄りの大曽根町に「スケート場」の表記が見える。このスケート場については大倉山精神文化研究所「シリーズ わがまち港北」の「氷場からスケートリンクへ(第85回)」に取り上げられている
  • 現在の「大倉山交差点」(レモンロードと綱島街道が交差、駅から区役所へ行く際に渡る交差点)に「大綱小學校」がある(現在地とは異なる場所)
  • 大倉山駅の地図部分が破損している様子
  • 地図下部左寄りに「天野製作所」(現アマノ株式会社)の表記が見える

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

3「上末吉」(昭和17年10月製版/昭和27年修正版)(鷹野大橋付近~鶴見区駒岡周辺)

  • 戦前版と戦後の修正版の2枚がダウンロードできる
  • 最大の見どころは、地図左上の現「鷹野大橋」付近の様子で、鶴見川や矢上川の合流付近の流れが現在とかなり違うことが分かる
  • 現在の地図(グーグルマップ)や、国土地理院の「治水・地形分類図」もあわせてチェックすると、古地図がより楽しめる

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

5「新吉田」(昭和16年10月製版)(大曽根町~大倉山~新羽町、新吉田町<新田中学校付近・四ツ家など>)

  • 鶴見川や鳥山川の流れが現在と異なることや、水路跡はその後の道路・緑道用地として活用されている点に注目
  • 現在の地図(グーグルマップ)はこちら

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

9「新羽」(昭和16年3月製版)(大倉山6・7丁目~新羽町~北新横浜~新横浜公園~小机)

  • こちらの地図も鶴見川の流れと、現在は「太尾新道」になっている鳥山川に注目
  • 地図最上部の右上には「安藤牧場」という表示が見える
  • 現在の地図(グーグルマップ)はこちら

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

14「菊名」(昭和3年8月製版/昭和22年6月修正版)(菊名駅~妙蓮寺付近)

  • 昭和3年版と戦後の昭和26年版の2枚をダウンロード可能
  • 東京横濱電鐵(現東急東横線)と横濱線(JR横浜線)が菊名駅付近で線路がつながっているのが分かる
  • 地図上部の左側に「東京横濱電鐵菊名分譲地」(現「錦が丘」)が見える
  • 「妙蓮寺前」駅(妙蓮寺駅)の近くには、現在はほとんど埋め立てられた「菊名池」が見え、昭和22年6月修正版では池の真ん中に道路(菊名橋)が通っている(関連記事
  • 現在の地図(グーグルマップ)はこちら(錦が丘付近)

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

15「岸根」(昭和17年3月製版/昭和27年4月修正版)(新横浜~小机付近)

  • 新幹線も新横浜の街も、影も形も無い頃の地図
  • 地図上部の真ん中右寄りに「養蛙場」が見える。過去を知る人からは、雨が降って水があふれて蛙(かえる)が逃げ出したとの昔話も聞かれる場所

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

横浜市三千分一地形図(昭和30年代)の見どころ

82-1「野川」(昭和38年3月修正)(下田町<下田小学校・サンヴァリエ日吉>~高田町<高田小学校・高田天満宮>付近)

  • 下田町から高田町・高田西、川崎市久末付近にいたる高度経済成長期(東京五輪直前)の地図
  • 下田小学校の校舎が丸型(当時有名だった円形校舎)で表示されていることや、現在の「サンヴァリエ日吉」の前身となる「下田団地」がこの頃すでに建設されている
  • 高田西4丁目や高田東3丁目の付近などで、宅地開発のための土地区画整理が行われている様子が見られる
  • 高田町に隣接した現在の下田町6丁目に「池田牧場関東分場」や「二幸牧場」という表記が見える

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

82-2「井田」(昭和38年10月修正)(日吉駅前~日吉本町~下田町、中原区井田、さくらが丘付近、中原区木月)

  • 日吉駅前から日吉本町、元住吉付近にいたる範囲の高度経済成長期(東京五輪直前)の地図
  • この頃には日吉駅前を中心に住宅街がほぼ形成されていることが分かる
  • 中原区と高津区にまたがる大型住宅地「さくらが丘」の付近に「八幡製鉄KK東京研究所」(現在の「日本製鉄(新日鐵住金)」の前身)があり、下田町側には「八幡化工KK日吉事業所」も見える
  • 「67『日吉』(昭和18年10月製版)」では「航空局航空試験所」だった木月橋近くの場所は、「神奈川県警察学校」に変わっている
  • 東海道新幹線の「日吉トンネル」(地図下部の右寄り)で工事が始まっている様子がうかがえるが、川崎市側には予定線が描かれていない
  • 日吉駅前の「中央通り」をひたすら直進した下田町1丁目(現「日本福音ルーテル日吉教会」付近)に「日吉青年ノ家」(かつて存在した市の公共施設)の表記が見える
  • 「日吉小学校」を「日吉小学校」(日吉小学校は川崎市北加瀬=旧日吉村にある)と誤記が見られる

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

82-4「新吉田」(昭和38年3月修正)(綱島西~綱島上町<グリーンサラウンドシティ>~高田東<早渕川沿い>、新吉田<新田中学校・四ツ家>)

  • 子母口綱島線沿いに綱島西から高田東、新吉田町の一帯を収めた高度経済成長期(東京五輪直前)の地図
  • 地図右下(現綱島西2丁目)に戦後の綱島温泉を代表する施設「行楽園」(現「ニックハイム綱島第一」)と、今も健在の認可保育所「尚花愛児園」が見られる
  • 現在の「グリーンサラウンドシティ」(三歩野橋~新川橋間)の場所には「青山学院大学総合グランド」が見える。後に著名野球選手を輩出した伝説の地(関連記事
  • 吉田橋から新田中学校にいたる周辺で宅地開発が行われているが、それ以外の新吉田町(現新吉田東)は一面見渡す限り「田んぼ」
  • 現在の高田駅周辺も「田んぼ」ばかりだが、御霊橋近くの新吉田側には工場が進出している様子も
  • 現在の高田東1丁目付近は子母口綱島線に沿って宅地開発が行われ始めている
  • 高田東1丁目と隣接する綱島西5丁目側には「内外編物綱島工場」(現マンション「ディアパークス」)がすでに進出済み
  • 地図の真ん中左寄りの最下部に「岩田塗装機工業KK新吉田工場」は、現在の「アネスト岩田株式会社」の本社工場。当時はまだ綱島台に拠点工場を置いていたため「新吉田工場」という名になっている

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

82-5「綱島」(昭和38年5月修正)(箕輪町<綱島街道>~綱島東、綱島台、綱島駅前、日吉宮前エリア、矢上川、鷹野大橋付近、南加瀬)

  • 日吉消防署付近から綱島街道に沿って綱島駅にいたる周辺の高度経済成長期(東京五輪直前)の地図。まだ「日吉元石川線(荏田綱島線)」が存在していない
  • 綱島街道沿いの「岡本工作機械製作所」(のちに「アピタ日吉店」などを経て現「プラウドシティ日吉」)や「日吉日立倉庫」(現「日吉ロイヤルマンション」)、「松下通信工業KK」(現「綱島SST」)、「松下通信工業グランド」(現「パークスクエア綱島」「プラウド綱島」)など工場関連施設が集積し、現在はことごとくマンションに変わった箕輪町~綱島東の様子に注目
  • 現在はマンションや一戸建て住宅が立ち並ぶ日吉宮前エリア(日吉5~7丁目付近)も、この頃はまだ一面の「田んぼ」
  • 鷹野大橋付近の変化は、先に紹介した「3『上末吉』(昭和17年10月製版/昭和27年修正版)」と見比べてみると面白い。すでに日大がグランド用地を確保したり、鷹野大橋の計画が具体化したりしている
  • 綱島東エリアは、5丁目や6丁目で工場進出と宅地開発が見られるが、まだ「田んぼ」が多い
  • すでに東海道新幹線(昭和39年開業)の高架橋が日吉町と綱島東を一直線に貫いている
  • 日吉本町4丁目周辺の宅地開発が本格化し、「南日吉団地(公団)」(現「コンフォール南日吉」)や日吉台中学校、大塚製靴日吉工場(現「エクセレントシティ日吉本町ガーデン」)も
  • 綱島駅前は西口・東口ともに建物が密集しているが、地図からは温泉旅館か否かは分からない
  • 綱島公園に近い綱島台(公園坂=現「日本郵船綱島寮」付近か)に「岩田噴霧塗装機製作所」(現アネスト岩田株式会社)が拠点工場を建てている。こちらのページに当時の綱島工場の写真が公開されている

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

82-6「矢向」(昭和32年10月測図)(新川崎駅<新鶴見操車場>、夢見ヶ崎、鹿嶋田駅、矢向駅)

  • こちらは現在の「新川崎駅」の周辺を収めた昭和32年測図の地図
  • 現在も新川崎駅周辺に一部が残る「新鶴見操車場」(現「新鶴見信号場」)の気が遠くなりそうなほどの本数が描かれた線路表記が見どころ。「鉄道官舎」や「新鶴見第二鉄道寮」といった“鉄道の街”ならではの施設も。新鶴見操車場の詳細は「幸区の公式サイト」内で知ることができる

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

82-7「大倉山」(昭和38年3月修正)(大曽根~大倉山<太尾町>~新羽橋、鶴見川、新吉田町<新田小学校>、新羽町)

  • 大曽根から鶴見川に沿って大倉山、新羽にかけての高度経済成長期(東京五輪直前)の地図
  • 大倉山駅周辺の一戸建て住宅街が着々と整備されつつある
  • 新羽橋近くの鶴見川沿いに「国鉄スワローズ合宿」(プロ野球「東京ヤクルトスワローズ」の前身球団の合宿所)と「野球場」が見える。これらの経緯については大倉山精神文化研究所の「シリーズ わがまち港北(第206回)」に詳しい

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

82-8「駒岡」(昭和38年10月修正)(大綱橋~綱島街道~大豆戸町、樽町~川崎町田線<樽綱橋付近>~師岡町、鶴見区駒岡付近)

  • 大綱橋から大倉山周辺にかけて、師岡や鶴見区も含んだ高度経済成長期(東京五輪直前)の地図
  • 樽町交差点から鶴見区側への「川崎町田線」が現在と同じ位置に“新線”で開通している(「4『南綱島』(昭和15年3月製版)」では鶴見川堤防沿いに敷かれていた)
  • 新たな「川崎町田線」沿いには、「万自動車工業(萬自動車工業)」(現「株式会社ヨロズ」)や「大塚工業KK」(現「大塚工機株式会社」)、「互省製作所」(現存)などが進出している
  • 師岡町にも工場進出が行われており、「明治製菓中央研究所」(現「Meiji Seikaファルマ横浜研究所」)、「豊田陸運綱島営業所」(現「トレッサ横浜」)、「東京トヨペット」(現「株式会社トヨタカスタマイジング&ディベロップメント(トヨタテクノクラフト)」)などが見られる
  • この地図が修正された年、今からちょうど57年前の1963年(昭和38年)6月17日に落盤事故によって工事作業員5人が生き埋めになった東海道新幹線の「大倉山トンネル」が地図の左下あたりを貫いている
  • その「大倉山トンネル」の出口に近い「大倉山交差点」にはまだ「大綱小学校」が残っている

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

83-1「篠原」(昭和38年10月修正)(新横浜駅・日産スタジアム付近~小机駅、岸根交差点、菊名駅西口周辺)

  • 先に紹介した「15『岸根』(昭和17年3月製版/昭和27年4月修正版)」では「田んぼ一色」だった新横浜周辺に、東海道新幹線の駅(予定地)が見えるが、新幹線開業直前の昭和38年の時点で横浜線にも駅の姿は無く、街の姿も皆無。当然、日産スタジアムや新横浜公園の影も形も無し

【地図の圧縮ファイルをダウンロード(横浜市サイト内)】

【関連記事】

戦前の貴重な「古地図」をネットで公開、日吉村や大綱村、新田村の時代もたどれる(2019年5月28日)

日吉村・綱島温泉・古地図…「地域の歴史」をたどれる記事ランキング(2020年5月5日)

【参考リンク】

横浜市三千分一地形図(トップページ)


カテゴリ別記事一覧