タワーマンションが林立し、首都圏では有数の人気の街となった武蔵小杉。今年(2016年)3月にリクルートが発表した「住みたい街ランキング」では自由が丘と同数の4位。中目黒(11位)や渋谷(12位)を大きく引き離し、東横線沿線では人気ナンバーワンといえる地位を築いています。日吉や綱島はベスト30にさえ入っていません。外からは「街がどんどん発展していて楽しそう」(同アンケート)といった期待を集める一方、急激な開発は古くから住む住民に「痛み」を強いていることはあまり知られていません。
――3万人が住む住宅地に、180メートルの超高層マンションは異常なまちづくりです。計画を見直してください――
(学校法人日本医科大学武蔵小杉キャンパス再開発計画の条例準備書に対する市民意見より)
JR武蔵小杉駅の北側、東急新丸子駅にも近い小杉町にある「日本医科大学武蔵小杉病院」は、日吉や綱島でも“日本医大病院”として親しまれている大型の大学病院。昭和12(1937)年の開院以来、80年近い歴史を持っています。病院の近くには日本医科大学の新丸子校舎(キャンパス)が併設され、同大学の1年生が学んできました。
慶應義塾大学を日吉へ誘致したのと同様に、日本医大を武蔵小杉(新丸子)に迎えたのも東急電鉄で、「大学誘致とともに街づくりが進められ、東横線沿線は次第に学園都市としての趣を感じさせるようになりました」(東急電鉄「街づくりの軌跡」)。
現在、同キャンパスに隣接する「小杉町2丁目207」の地価は今年1月1日現在、神奈川県トップの1平方メートル当たり56万円。3位の「日吉本町1丁目5」(1平方メートル50万円)とともに、大学誘致をきっかけに宅地の価値が向上した好例と言えます。
住宅街に180メートル50階建て超高層マンションを2棟
ところが2011年11月、そんな“高級住宅地”さえ抱える小杉町に高さ180メートルの50階建て超高層マンション計画が突如発表されます。しかも2棟の“ツインタワー”です。
外の人間から見ると、「まだタワーマンションを建てるのか、さすがは武蔵小杉だ」とでも思いたくなりますが、周辺住民からすれば驚くばかりだったでしょう。これまで大学のキャンパスと病院があり、建物の高さは20メートルまでという規制があるエリアだったのに、「渋谷ヒカリエ」くらいの高いビルを2棟も建てるというのです。
これまで、超高層マンションが建てられてきたのは、東急武蔵小杉駅南東側の工場跡地が中心でした。ところが、今度の計画地は住宅街のど真ん中。病院と大学を中心に歩んできた街の中です。
この計画は、日本医大病院の建て替えと、キャンパス移転構想に端を発したもので、大学のキャンパスやグラウンドの跡地に新たな病院を建て、残った土地は三菱地所レジデンスが超高層マンションを建てるという内容でした。一部の土地は川崎市に貸与し、公立小学校を整備するという計画も含まれています。
本来は20メートルの高さ制限がある地域ですが、川崎市は180メートルまで一気に緩和。これまで武蔵小杉駅周辺でタワーマンション計画を認めてきたことや、公立小学校の建設用地を貸与するなど“地域貢献的な計画”となっていることから「総合的な判断からも適切」としています。
今回の計画が持ち上がったJR武蔵小杉駅北口の周辺では、駅に近い場所でも既に2棟の超高層ビル計画が進められており、東急武蔵小杉駅南側と同様に、北口周辺一帯も“タワーマンション”を認め、街を発展させていく考えです。
ビル風が吹き荒れ「安心して住めなくなった」
良好な住宅地を抱えるエリアである北口エリアにおいても、超高層マンションの建設を認める理由について、川崎市は以下のような理由を示しています。
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<川崎市の考え方>
小杉町1・2丁目地区においては、大学病院を中心に医療、教育、都市型居住、商業が複合した高度医療福祉拠点の形成をめざす「医療と文教の核」及び、広域的な拠点性の高い商業・業務、サービス、文化、交流、医療・福祉、居住機能が複合した市街地の形成をめざす「複合的利用ゾーン」に位置しております。
こうした位置づけのある本地区においては、大学病院の建替えに伴う機能更新を適切に誘導し、土地の計画的な高度利用を図り、職住の調和した質の高い複合市街地の形成を図る必要があります。
(小杉町1・2丁目地区地区計画の決定における「理由書」より)
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端的に言えば、「大学病院の建て替えをきっかけに『質の高い複合市街地』を作ることが必要だ」とし、それを実現するためには、高さ制限の撤廃もやむを得ない、そのように読み取れます。
ただ、超高層ビルが次々と建つ武蔵小杉では、風速20メートルを超えることもあるというビル風が深刻化しています。現在、JR武蔵小杉駅北口の高層ビルは1995年に建てられた23階建て(高さ約100メートル)の「武蔵小杉タワープレイス」だけですが、この周辺では強風であおられ転倒し、けが人さえ出ている現状があるといいます。
今でもビル風被害が深刻化しているのに、北口にはさらに4棟の超高層ビルが生まれることになります。
「小杉駅周辺にこれだけ多くの超高層マンションを林立させたのは、川崎市の開発誘導があったからです。多くの市民がビル風被害を訴えているのに、知らんぷりを決め込むのは無責任です」
「小杉の開発地域はどこもビル風が吹き荒れています。安心して住み続けられるまちではなくなりました」
(学校法人日本医科大学武蔵小杉キャンパス再開発計画の条例準備書に対する市民意見より)
今でもビル風の被害に悩まされている地元の住民は、今後は日照の減少に加え、さらなるビル風の悪化といった不安を抱えることになりかねません。
「税金を払っている住民のことは考えないで、新住民の受け皿ばかりを考えている」(同)との不満も出ています。
また、計画の実施者である日本医大に対しても、「80年以上住民と共に生き、これからも共存していく日医大が住民を大切にする医療の原点に立ち返ってくれることを祈っています」(同)という切実な声もありました。
首都圏有数の“おしゃれで便利な人気の街・武蔵小杉”を維持し、さらに発展させていくためには、長年住んできた住民が犠牲を払うことでしか実現できなくなったようです。
痛みを強いて作られたタワーマンションは、30年後、いや10年後に武蔵小杉の人々に幸せを与える存在になっているのだろうか――。日吉の丘の上から、林立するタワーマンションの街を見る度に、“部外者”ながらそんなことを考えてしまいます。
【関連記事】
・<小杉の日本医大再開発から考える>アピタ跡でも超高層タワマン2棟は建設可能(2015年11月15日)
【参考リンク】
・地区計画の決定(小杉町1・2丁目地区)(川崎市)
・条例見解書縦覧:学校法人日本医科大学武蔵小杉キャンパス再開発計画(川崎市)
・東急電鉄の街と住まい(東急による宅地開発の歴史)
・小杉・丸子まちづくりの会(住民団体)