大曽根2丁目の「社宅」が並んだ一画に変化、一戸建て30戸の再開発は終盤 | 横浜日吉新聞

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綱島と大倉山の中間地点に位置する大曽根2丁目で、企業の社宅跡を使った計30戸におよぶ分譲住宅への再開発が終盤を迎えています。

大倉山寄りにある「大曽根第四公園」近くで建設が進む一戸建て分譲住宅「バウスガーデン大倉山」(中央日本土地建物株式会社)では最後となる2街区(9戸)と3街区(9戸)で物件の販売を展開中です。

大曽根2丁目の旧ニッパツ社宅を再開発した「バウスガーデン大倉山」(中央日本土地建物株式会社)の公式サイト。画像の左上がすでに販売済みの「1街区」(12戸)、大曽根第四公園をはさんで右側の「2街区」(9戸)と「3街区」(9戸)で販売が行われている。左側下部の赤っぽい屋根が並ぶ一画は池内精工の社宅だった場所でこちらも新しい住宅街となっている

もともとこの地には“ニッパツ”の愛称で知られる「ばね」メーカーの日本発条株式会社(金沢区福浦)が1980年代初頭から社宅を置いており、大曽根第四公園をはさんで“団地風”の3階建て建物がA棟からC棟まで建っていました。

これら3棟の社宅は2019年までに解体され、同公園の大倉山寄り(大曽根八幡神社寄り)となる1街区(12戸、旧A棟)で分譲住宅の建設と販売が2020年ごろから順次始まり、このほど残る2棟(旧B棟、旧C棟)の跡地でも建設と並行して販売が行われているものです。

「2街区」と「3街区」では建物の建設はほぼ終えている、写真奥が大曽根第四公園(5月18日)

今月(2024年)5月19日時点で先着順により販売しているという物件は、敷地面積が100.19平方メートル(約30.30坪)で木造2階建ての間取りは4LDK、価格は8450万円となっていました。

この旧ニッパツによる社宅A棟に隣接した一画では、1939(昭和14)年に大倉山5丁目(当時太尾町)で創業した老舗鉄鋼加工メーカーの池内精工株式会社(横須賀市)も1970年代から2棟の社宅を置いていたことがあり、こちらは野村不動産が一戸建て14戸の「プラウドシーズン大倉山」という名で再開発し、2011(平成23)年に販売が行われています。

池内精工の社宅2棟が建っていた大曽根八幡神社(大曽根台)寄りの一画は2011年に一戸建て分譲が行われている(5月18日)

四半世紀以上にわたって団地風の社宅が並んでいた大曽根第四公園の周辺は、新しい一戸建てが並ぶ住宅街として生まれ変わることになりました。

【関連記事】

新川崎駅エリア・夢見ヶ崎周辺で“再開発”の動き、大手が土地売却も(2022年4月28日、こちらはニッパツの旧工場だった場所)

【参考リンク】

大曽根2丁目の分譲住宅「バウスガーデン大倉山」(旧「ニッパツ」社宅跡、計30戸のうち残る18戸を販売)

大曽根第四公園の場所(グーグルマップ、周辺に計5棟の“団地風社宅”が建っていた)


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