【歴史まち歩き】お城のある村「城郷」、今も小机・鳥山・岸根の地域名

横浜日吉新聞

今回は港北区内で“城のある村”を意味する街を歩きました。区の歴史や文化、現在の見どころを歩く連載「【わがまち港北番外編】こうほく歴史まち歩き」の第13回は、中世以降の史跡が集中する「城郷(しろさと)地区」(小机・鳥山・岸根)です。

港北区内を12の地区に分け、地域の歴史や名所・旧跡、名物や新たな街の動きを紹介するというコンセプトの本連載の執筆は、歴史エッセーわがまち港北2(2014年5月)とわがまち港北3(2020年11月)の共同執筆者としても知られる林宏美さん(公益財団法人大倉精神文化研究所研究員)が担当します。

)特記のない限り、本連載の写真は筆者・林宏美さんによる2022年4月2日の撮影です
)本連載は「横浜日吉新聞」「新横浜新聞~しんよこ新聞」の共通記事です

区の南部に位置する3つの町

1927(昭和2)年に横浜市へ吸収されるまで存在した「城郷村」は、現在の小机・鳥山・岸根のほか、羽沢、下菅田、三枚橋、片倉、神大寺、六角橋の9つの地域から成り、市へ入った当初は全域が神奈川区だったが、その後に港北区の分離によって小机・鳥山・岸根が港北区に入った(1914(大正3)年「橘樹(たちばな)郡案内記」=横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」より)

港北区の南部に位置する城郷地区は、小机町・鳥山町・岸根町の3町から成り立っています。

「城郷」は1927(昭和2)年に横浜市へ合併されるまで存在した村の名で、“城”は小机城を指し、“城郷”は小机城のある村、地域を意味します。13ある連合町内会の中で唯一、現行の行政地名が入っていない地区名ですが、城郷の名称は、学校や幼稚園などにも使われており、今も親しまれています。

地区の成り立ち、歴史と概要については、シリーズわがまち港北第197回「城郷地区~地域の成り立ち、その6」をご覧下さい。

区内最古の「小机駅」から散策

今回の散策はJR横浜線の小机駅からスタートします。

小机駅は1908(明治41)年の横浜鉄道(現JR横浜線)の開業と同時に設置された港北区内最古の駅です。

小机駅周辺の見どころと位置(「港北区ウォーキングマップ第1弾」より)

現在の橋上駅舎は、1998(平成10)年10月に供用を開始しましたが、それまでは関東大震災後の1925(大正14)年竣工の木造駅舎でした。ご記憶の方も多いのではないでしょうか。

現在のJR横浜線・小机駅駅舎の南口(商店街)側

小机駅の改札内外には現在、ピンク色の薄紙で作った桜が展示されています。これは「しろさと絆プロジェクト実行委員会」が主催する「桜サクプロジェクト2022」によるものです。

小机駅改札内に設置された桜の展示(3月28日)

小机駅構内(改札外)、今はトリコロールと桜がコンビを組む(3月28日)

ソメイヨシノはもう葉桜になってしまいましたが、この手作りの桜は、駅のほか、城郷小机地区センターなど各所で4月21日まで楽しめます。プロジェクトの詳細は、新横浜新聞の記事をご覧下さい。

また小机駅は、「横浜国際総合競技場」の最寄り駅です。横浜国際総合競技場は、2005(平成17)年から日産自動車株式会社がネーミングライツを取得し、「日産スタジアム」と呼ばれています。筆者もそちらの名称の方がしっくり来ますので、ここでは日産スタジアムと呼びます。

小机駅構内、発車メロディについて伝えるパネル(3月28日)

小机駅の構内は日産スタジアムをホームスタジアムとする「横浜F・マリノス」のチームカラー、青・白・赤のトリコロールやスタジアムの写真で装飾され、ユニフォームやサッカーボールも展示しています。2016(平成28)年からは、マリノスのサポーターズソング「We are F・Marinos」が発車メロディとなりました。

小机駅構内、日産スタジアム方面の北口側階段はF・マリノス一色(3月28日)

横浜F・マリノスは、日産自動車サッカー部を前身として、1992(平成4)年に誕生し、今年2022年4月1日にクラブ創設30周年を迎えました(新横浜新聞の参考記事)。記念の年にあたって、さまざまな企画も用意されているようです。昨年のJ1リーグは惜しくも2位で終わったマリノス、今年はぜひ優勝を飾って欲しいです。

今年4月2日には日産スタジアムで横浜F・マリノスの30周年記念試合が行われた(編集部)

さて、この流れで日産スタジアム、さらには「小机城」(小机城址)へと行きたいところですが、どちらもよく知られており、既に情報がたくさんありますので、今回はあえて外します、期待していた方にはお詫び申し上げます。

日産スタジアムや新横浜公園、鶴見川多目的遊水地については、シリーズわがまち港北の第10回「横浜国際総合競技場の秘密~その1」、第41回「横浜国際総合競技場の秘密~その2」、第60回「鶴見川の新しい流れ」を、小机城については、第4回「小机城の夢の跡」、第231回「港北のお城と館~その6、小机城の1」、第232回「港北のお城と館~その7、小机城の2」をそれぞれご覧ください。

小机城では2021年11月から12月に初めて本格的な発掘調査が行われた(2021年12月4日、編集部)

「新横浜新聞」にもこれまでに数多くの記事がありますが、特に、昨年末行われた小机城の発掘ついて書いた記事は、小机城の歴史と現状の課題が詳細にまとめられており、必読です。

武南十二薬師霊場の金剛寺へ

まず最初は、小机駅南口を出て横浜上麻生線(横浜上麻生道路)を西へ進み、JA横浜小机支店で北へ曲がります。そのまま真っすぐ進んでいくと、「醫王山(いおうざん)金剛寺」があります。

醫王山金剛寺、階段の奥が本堂となる

金剛寺は1540(天文9)創建の曹洞宗(そうとうしゅう)寺院で、小机城代の笠原氏の菩提寺として知られる雲松院の末寺にあたります。雲松院へは後程行ってみます。

金剛寺は寅年に御開帳がある「武南十二薬師如来霊場」の第7番札所です。武南十二薬師霊場については、シリーズわがまち港北第137回「12年に一度の霊場巡り~その6」で紹介しています。

金剛寺の本堂、「武南十二薬師如来薬師霊場」の幟が立ち並ぶ

今年は奇しくも寅年、御開帳が4月1日から始まりましたので、筆者も12年に一度のこの機会を逃すまいとお詣りしました。優美な表情の如来様の姿に心洗われ、清々しい気持ちでお寺を後にします。

城郷地区では、岸根町の「貴雲寺(きうんじ)」もこの武南十二薬師の札所になっています。こちらにも足を運びましょう。

港北区内では武南十二薬師如来霊場のほかにも、寅年に御開帳を行う「都筑橘樹(たちばなつづき)十二薬師霊場」と「稲毛(いなげ)七薬師」の札所があります。期間や札所となっている寺院については、新横浜新聞をご覧下さい(稲毛七薬師の御開帳は4月10日で終了しています)。

本法寺の「奉納杓子」は市文化財に

金剛寺の次は「本法寺」に向かいます。先程来た道を戻り、横浜上麻生線を渡って、小机辻の信号で斜めの道を入ります。そのまま南へ歩いていくと5分程度で本法寺に到着します。

本法寺の入口

長秀山本法寺は日蓮宗の寺院です。1539(天文8)年に綱島で創建されましたが、度重なる水害により1819(文政2)年に現在地へ移転しました。

昨年は本法寺と個人蔵の奉納杓子(ほうのうしゃくし)が、新たに横浜市指定有形民俗文化財となりました。奉納杓子は子どもの健康と病気平癒を願う「オシャモジサマ」と呼ばれる民間信仰で用いたものです。

「オシャモジサマ」については、菊名地区の散策でも登場していますので、ご記憶の方もいらっしゃるかと思います。

本法寺の楼門、上部に釣鐘が見える

本法寺は見どころが豊富です。山門は二階部分が釣鐘(つりがね)堂になっている楼門(ろうもん)で、1994(平成6)年に横浜市指定有形文化財となった石造龍吐手水鉢(せきぞうりゅうとちょうずばち)は、大きな一つの石から彫られた名品です。

横浜市指定有形文化財の石造龍吐手水鉢は1903(明治35)年の作

本法寺にある飯田九一らの碑

本堂の手前には地元ゆかりの俳画家・飯田九一や、詩人・佐藤惣之助の碑などもあります。じっくり堪能したら次の目的地に向かいましょう。

“若大将”による小机小の校歌

本法寺を出て南東側の高台を5分ほど上ると、今年2022年で創立40周年となる小机小学校があります。小机小学校といえば筆者は校歌に触れない訳にいきません。

小机小学校の校門前

同校の校歌は、数々の名曲を世に出した名コンビ、岩谷時子さんと弾厚作(加山雄三)さんの作詞・作曲です。

小学生の頃、父が借りてきた「アルプスの若大将」のビデオを見て以来、主人公田沼雄一を演じる加山さんに憧れている筆者は、この校歌を歌える子どもたちが羨ましいです!(「富士が見える 白鷺が飛ぶ」で始まる小机小学校の校歌は同校ホームページ内に掲載されています)

小机城の“主”が眠る「雲松院」

小机小学校のグラウンド沿いの道をぐるりと回り、北東へ道なりに進んでいくと、「雲松院(うんしょういん)」の墓地が見えてきました。そのまま入口へと歩いていきます。

雲松院の山門は横浜市指定有形文化財

「臥龍山」の山号額

雲松院は曹洞宗の寺院で、臥龍山の山号が示す如く、境内地はかつて龍の棲む池だったとされ、その伝説は「港北昔ばなし紙芝居」の題材にもなっています。

雲松院は小机城代(じょうだい=城の実質的な管理者)の初代笠原信為(のぶため)主君の北条早雲と父の信隆を追善するために建立されました。小机駅や日産スタジアムがよく見える一番奥の高台には、笠原一族が眠る墓所があります。

笠原一族の墓所は「横浜市地域史跡」となっている

笠原一族の墓所。以前は今よりも本堂寄りの位置にあり、2013(平成25)年に現在の場所へ移された

鎌倉殿ゆかりの鳥山町・三会寺

雲松院の次は鳥山町にある「三会寺(さんねじ)」を目指します。

小机駅から鳥山町にかけての見どころと位置(「港北区ウォーキングマップ第2弾」より)

雲松院から再び横浜上麻生線に出て、小机駅前を過ぎ、南東方面へ進みます。ちなみにその道すがらにある大判焼きのお店「おすとあんでる」は、新横浜が舞台のアニメ「吸血鬼すぐ死ぬ」の第8話で、今川焼店「わるとあんでる」となって登場し、話題となりました。

新横浜が舞台のアニメ「吸血鬼すぐ死ぬ」の作品中にモデルが登場する「おすとあんでる」の外観

そのまま直進し、歩道橋の手前の斜めの道を入ると、城郷小学校があります。その校門前を過ぎ、T字路を左に曲がると三会寺の標柱があり、直に山門前へ到着しました。

三会寺の本堂

瑞雲山三会寺は真言宗の寺院で、2019年までに27回を数える「小机城址まつり」では、武者行列の出発点にもなっています。

「小机城址まつり」の当日、三会寺横の「城郷幼稚園」前で出発を待つ武者行列参加者(2013年4月14日撮影)

武者行列は三会寺の山門前で号砲を放ち、小机城に向かって出発する(2019年5月19日、編集部)

武者行列が出発前の雲松院前(2014年4月6日平井誠二氏撮影)

三会寺は、源頼朝が佐々木高綱に命じて建立したと伝えられます。頼朝といえばNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に触れない訳にはいきません。区内には日吉や師岡などにも源頼朝にまつわる話があり、シリーズわがまち港北の第59回「英雄源頼朝の伝説」で紹介しています。鎌倉殿と港北区のつながりを知れば、ドラマが一層楽しくなること間違いなしです。

三会寺の墓所内には印融法印のお墓もあり、横浜市地域史跡となっている

また、三会寺の第7世住職の印融法印(いんゆうほういん)は、弘法大師空海の再来と賞された名僧です。

また、第35世住職の釈興然(しゃくこうねん)は、1886(明治19)年にセイロン(スリランカ)へ渡って修行し、1893(明治26)年の帰国後、日本に初めて上座部仏教を伝えました。

三会寺の二人の名僧のお話は、シリーズわがまち港北の第167回「港北区内の名僧・学僧~その1、印融と釈興然」で取り上げていますので、ご一読下さい。

佐々木高綱ゆかりの史跡を巡る

さて、源頼朝の命で三会寺を建立したとされる家臣佐々木高綱(たかつな)は、鳥山町一帯を所領としていました。鳥山町には、ほかにも高綱ゆかりの場所があります。順番に回っていきましょう。

佐々木高綱ゆかりの「鳥山八幡宮」

三会寺から北西方面に歩いて5分程の場所に「鳥山八幡宮」があります。創建年代は不明ですが、高綱が勧請したといわれ、当時から村の鎮守として祀られてきた由緒ある神社です。佐々木高綱の屋敷はこの八幡宮の西側にあったといわれています。

社殿の裏手を抜け、南西に進んでいくと佐々木高綱の守り本尊であったと伝えられる「将軍地蔵」を祀ったお堂、さらに鳥山川に出て川沿いを進んでいくと、高綱の愛馬、いけずきを祀った「馬頭観世音(ばとうかんぜおん)のお堂」(駒形明神)があります。

佐々木高綱の愛馬を祀った「馬頭観世音」

佐々木高綱とその史跡に関する詳細は、シリーズわがまち港北第90回「将軍地蔵の主~佐々木高綱」、第91回「神様になった名馬『いけずき』」、シリーズわがまち港北第230回「港北のお城と館~その5、佐々木高綱館」をご覧ください。

余談ですが、「鎌倉殿の13人」の1人で知仁勇を兼ね備えた鎌倉武士の鑑(かがみ)として誉れ高い畠山重忠(はたけやましげただ)も港北と縁があります。

シリーズわがまち港北第89回「畠山重忠と稲毛三郎重成」で取り上げています。ぜひ合わせてお読み下さい。

武南薬師霊場の岸根町・貴雲寺

馬頭観世音から東へ進むと環状2号線です。鳥山川に架かる駒形橋を渡ると、神奈川区との区境、すぐ近くのバス停の名前も北区と奈川区から頭文字を取った「港神境(こうじんざかい)」です。

環状2号線にある「神奈川区」の表示、その奥のバス停が「港神境」

神奈川区に背を向けて、環状2号線を進み、岸根交差点で歩道橋を渡り、またまた横浜上麻生線へ。南東に進み、東海道新幹線の高架下を過ぎると「貴雲寺(きうんじ)」の標柱が見えてきました。

貴雲寺の山門。手前の石碑には薬師如来霊場の一番札所と刻まれている

武南十二薬師如来霊場」の御開帳を示す赤い幟(のぼり)を目印に歩いていくと、貴雲寺の山門前に到着しました。

貴雲寺の本堂。手前の塔婆に結ばれた紐は薬師如来様につながっている

武南十二薬師如来霊場の第一番札所である岸雲山貴雲寺は、曹洞宗の寺院で金剛寺と同じくこちらも雲松院の末寺です。長い歴史を感じさせる姿の薬師如来様に祈りを捧げ、凛とした気持ちで貴雲寺を後にします。

武南十二薬師如来霊場の開扉は4月30日まで、次回は12年後の2034年になってしまいます!この機会にご参拝下さい。

岸根町にもある「杉山神社」

お寺の次は神社です。これまでに樽町、新羽、新吉田でも登場した「杉山神社」は岸根町にもありますので行ってみましょう。

貴雲寺から横浜上麻生線を横断し、北東方面へと進んでいきます。しばらく平坦地が続きましたが、坂道と階段に息が切れます。

岸根町の杉山神社。右手奥に見えるのが新築された舞殿・山車小屋

岸根町の杉山神社は、1525(大永5)年の創建で、2025(令和7)年で創建500年を迎えます。創建500年記念事業として、2019(令和元)年には舞殿・山車(だし)小屋が新築されました。新型コロナ禍が落ち着き、祭礼に地域の催しに大いに活用される日が待たれます。

県立「岸根高校」正門横の花壇には美しい花が並ぶ

神社向かいの岸根高校のグラウンドから野球部が響かせる打球音を聞きつつ、境内を見て回っていると、近くで「ガサガサッ!」と音がしました。その方向に目をやるとリスが木を登る姿が!タイワンリスでしょうか。こちらが動きを止めるとリスの動きも止まったので、驚かせないようにそっとカメラを向けました。

杉山神社で遭遇した「リス」、付近は草木が多く残る

岸根公園の歴史と今を辿る

杉山神社を出て正面の道、岸根高校のグラウンドから校舎に沿って歩き、道の突き当りを東に進むと高校の正門前に出ます。そこで南に曲がり、そのまま道を下っていくと、また横浜上麻生線に出ます。そこから東にしばらく歩いていくと横浜市営地下鉄ブルーラインの岸根公園駅があります。

篠原池と桜。池に降りる階段に腰掛けて花見を楽しむ人の姿も多い

駅名でもある「岸根公園」は、芝生広場や野球場もある大きな公園ですが、駅前からは篠原池と神奈川県立武道館しか見えません。筆者は学生時代に剣道をやっていましたので、県立武道館には試合のために二、三度来たことがありましたが、公園の存在には全く気付きませんでした。但し、もう20年近く前のことなので忘れているだけかも知れません。

神奈川県立武道館の入口

当初、県立武道館は1936(昭和11)年に横浜市中区の横浜公園内に建設されました。しかし、1977(昭和52)年に同じ横浜公園内にあった平和野球場の解体と新球場建設(現・横浜スタジアム)のため、移転することになり、移転先として提供されたのが現在の場所です。

今の武道館は、1982(昭和57)年7月に開館しましたので、今年が40年の節目になります。2011(平成23)の東日本大震災では、被災者を受け入れる一時避難所にもなりました。

岸根公園の芝生広場、筆者もテントが1つ欲しくなった

桜満開の岸根公園、春休み最後の週末ということもあり、家族連れを中心に多くの人で賑わっていました。しかし筆者は人の多さも然ることながら、設置された簡易テントの多さにも驚きました。テントというと筆者はキャンプのイメージしかありませんでしたが、持ち運びも設置も容易なテントは確かに公園レジャーに最適です。思わず筆者も1つ欲しくなってしまいました。

園内で一番広い芝生広場のひょうたん原っぱで、多くの人が春のひと時を楽しんでいた

暖かな春の日の公園の光景は平和そのものです。しかしながら、岸根公園の歴史は、戦争との関わりを抜きに語ることはできません。

高射砲陣地や1940(昭和15)年幻の東京オリンピック会場、戦後の米軍による接収、数行では到底語りつくせませんので、シリーズわがまち港北第152回「岸根公園の接収~終戦秘話その14」をお読み下さい。公園で過ごす平和な時間が世界のいずれの国でも失われることがありませんように。

頭も心も体も元気になれる地域

筆者の体力も紙面もそろそろ尽きてきましたので、ここで散策を終えます

城郷地区は、歴史を学び、寺社で心を養い、公園で体を動かし、花や緑の自然に触れ……と頭も心も体も元気になれる魅力的な場所に溢れていました。

小机町の周辺には今も田畑が残る、奥は日産スタジアム(2021年12月、編集部)

最近の「新横浜新聞」でも城郷地区の話題がよく登場しており、地域の元気と勢いを感じます。また、小机城とともに大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でもますます盛り上がっていきそうです。

次回は大曽根地区を散策します。

<執筆者>
林宏美(はやしひろみ):1982年4月神奈川県小田原市生まれ。中央大学大学院博士前期課程修了。2009年4月大倉精神文化研究所非常勤職員、2011年7月常勤。2014年4月同研究所研究員、2021年4月から図書館運営部長(研究員兼任)。勤務する研究所の創立者・大倉邦彦氏と誕生日がピッタリ100年違いという奇跡の巡りあわせにより、仕事に運命を感じている。小田原市在住(2011年から2014年まで大倉山に在住)。趣味はカラオケとまち歩き。一児の母。子育ての合間にSNSで地域情報をチェックするのが日々の楽しみ。冬の澄んだ青空の下で見る大倉山記念館と梅の時期の大倉山の賑わいが好き。

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【歴史まち歩き】高級住宅地とあのドラマに登場、港北区最南部「篠原」の魅力(2021年9月6日)

【参考リンク】

シリーズわがまち港北(第1回~第232回)(大倉精神文化研究所)

書籍『わがまち港北』公式サイト(『わがまち港北』出版グループ)


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