【歴史まち歩き】高級住宅地とあのドラマに登場、港北区最南部「篠原」の魅力 | 横浜日吉新聞

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今回は神奈川区に近接した港北区の最南部を巡ります――。区の歴史や文化、現在の見どころを歩く連載「【わがまち港北番外編】こうほく歴史まち歩き」の第7回は、妙蓮寺駅から新横浜駅付近の一帯に広がる「篠原地区」の名所旧跡を歩きます。古くから高級住宅地として知られ、緑の園地や神社など見どころの多いエリアです。

篠原地区は広く、妙蓮寺駅を中心に新横浜駅や岸根公園駅、神奈川区の白楽駅も最寄りとなっている

港北区内を12の地区に分け、地域の歴史や名所・旧跡、名物や新たな街の動きを紹介するというコンセプトの本連載の執筆は、歴史エッセー『わがまち港北2』(2014年5月)と『わがまち港北3』(2020年11月)の共同執筆者としても知られる林宏美さん(公益財団法人大倉精神文化研究所研究員)が担当。今回は篠原地区の歴史散策を始めましょう。

)特記のない限り、本連載の写真は筆者・林宏美さんによる2021年8月26日の撮影です
)本連載は「横浜日吉新聞」と「新横浜新聞~しんよこ新聞」との共通記事です

7つのエリアから成る「篠原地区」とは

新横浜駅の篠原口を出るとそこから篠原地区(編集部)

連載も第7回を迎えました。今回は篠原地区です。港北区最南部に位置する篠原地区は、菊名1~3丁目篠原町篠原東富士塚仲手原篠原台町篠原西町から成り立っています。

地名の由来や地域の特徴などは、シリーズわがまち港北第194回「篠原地区-地域の成り立ち、その5-」にまとめられていますので、そちらもぜひご覧ください。

かつて県知事公舎の付属園地~篠原園地

今回はまず初めに、今までに一度も行ったことがなかった「篠原園地」(篠原台町)を訪ねてみました。篠原園地は元々神奈川県知事公舎付属園地で、1957(昭和32)年から一般公開されています。神奈川区との区境に近い場所で、最寄りは東急東横線の白楽駅になります。

篠原園地のある「篠原台町」は港北区内だが、最寄りは白楽駅(神奈川区)となる(編集部)

「篠原園地」の案内図、面積は約1.8ヘクタール(1万8000平方メートル)あるという

1947(昭和22)年4月、公選による最初の神奈川県知事(前年から官選の県知事)となった内山岩太郎氏は、同年6月にこの地にあった旧石井健吾(みずほ銀行の前身となる第一銀行の三代目頭取、第一銀行横浜支店長を1899年から10年以上にわたって務めた)邸を購入し、その和館を公舎、洋館を迎賓館として使用しました。

外交官出身の内山知事は、外国人客を招待しても恥をかかない程度の公舎が欲しいと考えており、売りに出ていた石井邸を一目で気に入り、購入に踏み切ったそうです。

戦後で経済的余裕のない時代、物件購入には県議会からの反発もありましたが、内山氏は日記に「二百万県民の代表として日本の玄関大神奈川の知事の住み人を受ける場所を最善の所に求めた迄のことである。」(『横浜市史Ⅱ資料編3 占領期の地方行政』1993年3月31日、横浜市)と記しています。

神奈川県の歴史上、また近代建築史上においても価値ある建物でしたが、洋館は1967(昭和42)年の内山知事の引退後に解体され、1969(昭和44)年にマンションの「白楽ハウス」が建てられました。

一方の旧公舎だった和館も1997(平成9)年まで当地にありましたが、同年3月に建物と敷地が民間の手にわたり、こちらも跡地には1999(平成11)年にマンションが建てられました。

また、篠原園地には以前、幼児用プールがあり、2018(平成30)年まで無料開放されていましたが、老朽化のために残念ながら廃止となりました。その後プールは撤去され、今はシートを広げてお弁当を食べたくなるような芝生の広場となっています。

篠原園地のプール跡地は芝生化されている

2018年夏まで2つの子ども向けプールが無料で開放されていたが、老朽化を理由に解体された(2018年11月、編集部)

園内では季節ごとにさまざまな植物を目にすることが出来ます。桜や紫陽花も多数植えられていて、春から初夏にかけて美しい景色が見られそうです。園内の水飲み場が竹を模したデザインなのも印象的でした。

桜並木が続く、この先は「白幡池公園」へ続く

竹を模した水飲み場

篠原園地は「白幡池公園」に隣接しています。篠原園地の住所は港北区篠原台町で県立の施設白幡池公園神奈川区白幡町で、こちらは横浜市の公園です。

白幡池公園へ足を延ばすと、釣りをする人、遊具で遊ぶ親子連れの姿ありと、公園でのひとときを楽しむ地元の方の姿が見られました。篠原園地と白幡池公園はつながっているものの県と市で管轄が異なることから、一つの公園としての統合・保全を望む声もあり、現在検討が進められています。

白幡池公園入口から、池の上には橋が架けられている

農地の水源からプールへ~菊名池公園

さて、今度は自然が残るもう一つの憩いの場、菊名池公園を目指します。こちらは妙蓮寺駅が最寄りとなります。

菊名池は平安時代から灌漑(かんがい)用水として農地に水を供給する貴重な水源で、かつては現在の公園からプールまでの範囲全てが池でした。池はボート乗り場や釣り堀もあるちょっとしたレジャースポットでしたが戦後、生活排水によって水の汚染が進んだことから、池を埋め立てて下水の整備をしました。

池は現在、北側にその一部を残して水辺の公園に、南側は「菊名池プール」となっています。菊名池の歴史については、シリーズわがまち港北第186回「菊名池」に詳細が書かれています。

菊名池の鴨とコウホネ(黄色い花が咲くスイレン科の植物)

春には桜のスポットとしても賑わう(2019年4月、編集部)

筆者が訪れた日は、夏の太陽が容赦なく照り付ける日でした。菊名池プールの爽やかなブルーとそこで遊ぶ子どもたちの歓声が少し恨めしくもありましたが、池を優雅に進む鴨の姿と、スイレン科の水生植物コウホネが茂る水面を撫でて吹く風の涼しさに、次の目的地へ向かう力をもらいました。

歌人・斎藤茂吉ゆかりの富士塚「茂吉階段」

菊名池から今度は富士塚の住宅地へと歩いていきます。次の目的地は歌人・斎藤茂吉が訪れた付近とされる「茂吉階段」です。短歌には暗い筆者ですが、教科書で読んだ茂吉の歌「みちのくの母の姿を一目見ん一目見んとぞただにいそげる」だけは印象に残っています。

日記によれば、茂吉は1936(昭和11)年10月4日と30日の2回、妙蓮寺を訪れています。目的は曼珠沙華(まんじゅしゃげ=彼岸花)でしたが、「曼殊沙華全クナシ」で当ては外れたようです。妙蓮寺で詠んだ歌は歌集『暁紅』に掲載されており、トウモロコシ畑や牛蒡畑など、茂吉が見た情景の一端が窺えます。

富士塚にある「茂吉階段」の名札、その奥に階段がある

茂吉階段上からの眺望

地名の由来となった富士塚に続くとされる「富士塚坂」

茂吉階段」と名付けたのは富士塚自治会で、周辺には他にも地域の歴史などにちなんだ名前の坂道や階段があり、名札も掲げられています。暑さとコロナが落ち着いたら、ぜひこれらの坂を巡る散策もしたいです。

初詣はドラマの聖地でご来光?~篠原八幡神社

最後は茂吉階段から篠原小学校前を通って、篠原八幡神社に向かいます。

創建830年の歴史を持つ篠原八幡神社は、篠原町の表谷地区にあり、連合町内会の範囲としては菊名地区に入りますが、篠原地区と菊名地区のちょうど境にあり、氏子区域は両地区に及びます。2016(平成28)年にTBSテレビで放送され、最近では主演の新垣結衣さんと星野源さんの結婚も話題になったドラマ、「逃げるは恥だが役に立つ」最終回のロケ地の1つにもなりました。

2016年10月から12月に放送されたテレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」では、篠原八幡神社が最終回のロケ地の一つとなっている(TBSテレビの番組公式ページより)

進藤彦興さんの詩が刻まれた石碑

冬至から元旦にかけて鳥居越しのご来光のチャンスがあるということで、初詣に訪れる方も多く、その景色を進藤彦興さん(アジアン雑貨ブランドのチャイハネなどを展開する株式会社アミナコレクション創業者)は、「冬至の日の早朝 ギラリと抜き出された 日本刀のように 朝日が昇り 光はまっすぐ参道を走って 拝殿奥の鏡を照らす」(後略)と表現しています。この詩は鳥居付近にある石碑に刻まれており、その全文を読むことができます。

また、進藤さんの著書詩でたどる日本神社百選(24・25頁、2011年11月25日、民芸追求)では、この詩と実際の日の出の写真、神社に対する熱のこもった文章が掲載されています。同書は横浜市中央図書館で所蔵していますので、興味のある方はご一読ください。

篠原八幡神社の例大祭は2年連続で中止となっている(2018年、編集部)

散策中、毎年8月末に開催される篠原八幡神社の例大祭中止の貼り紙を各所で目にしました。来年の夏にはお祭りが行われ、賑わいが戻りますように。祈りを捧げて散策は終了です。

おわりに~高級住宅地として古くから発展

妙蓮寺駅前の踏切と「妙蓮寺」、写真左には妙蓮寺発祥のドラッグストア「フィットケアデポ(カメガヤ)」も写る(編集部)

妙蓮寺周辺は過去に何度か歩いたことがありましたが、今回、妙蓮寺本堂までは初めて足を運びました。季節の花が描かれた御朱印は思わず集めたくなります。篠原園地も初訪問でしたが、花と緑がある落ち着いた雰囲気の場所で、区内のおすすめスポットがまた一つ増えました。

富士塚や仲手原では、高台に並ぶ家々の合間を細道、坂道、曲がり道を縫って歩いていると、高級住宅地として区内で最も早くから開発された場所であることを改めて実感できました。

地域の歴史的スポットに行き、当時の様子を想像する楽しさ、知識が体験によって深められる感覚、そんな散策の醍醐味を強く感じた篠原地区でした。

次回(第8回)は高田地区を歩きます。

<執筆者>
林宏美(はやしひろみ):1982年4月神奈川県小田原市生まれ。中央大学大学院博士前期課程修了。2009年4月大倉精神文化研究所非常勤職員、2011年7月常勤。2014年4月同研究所研究員、2021年4月から図書館運営部長(研究員兼任)。勤務する研究所の創立者・大倉邦彦氏と誕生日がピッタリ100年違いという奇跡の巡りあわせにより、仕事に運命を感じている。小田原市在住(2011年から2014年まで大倉山に在住)。趣味はカラオケとまち歩き。一児の母。子育ての合間にSNSで地域情報をチェックするのが日々の楽しみ。冬の澄んだ青空の下で見る大倉山記念館と梅の時期の大倉山の賑わいが好き。

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【参考リンク】

書籍『わがまち港北』公式サイト(『わがまち港北』出版グループ)


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