戦後80年の今年、横浜の「米軍基地」を知るきっかけとなりそうです。
横浜市都市整備局は今月(2025年)8月18日、「戦後80年 ともに考える横浜と米軍基地のこれから~パネル展『横浜市と米軍基地』」を市内4図書館で行うにあたり、現地で展示する予定のパネル10枚をPDFファイルでも公開しました。
パネルは、米軍基地の接収の歴史や返還への歩み、跡地利用などについてコンパクトに分かりやすくパネルにまとめたもので、現時点で港北区内での展示は予定されていませんが、PDFファイルで閲覧することが可能です。
戦後、あらゆる範囲におよんだ米軍接収によって横浜の都市機能が麻痺したと言われるなかから現在まで、どのように返還され、変わっていったのでしょうか。
たとえば、当時は港北区だった「田奈弾薬庫」(現青葉区)は「こどもの国」に活用され、港北区内の「岸根兵舎地区」は岸根公園として使われました。また、瀬谷区の「上瀬谷通信施設」は2027年3月に始まる「国際園芸博覧会『GREEN×EXPO(グリーンエクスポ)2027』」の会場などに変わります。
一方、戦後80年を経た今なお返還のメドさえ付いていない「鶴見貯油施設」(鶴見区)や「瑞穂ふ頭/横浜ノースドック」(神奈川区)をはじめ市内4カ所と1つの水域が残されているのが現状です。
今回のパネルでは触れられていませんが、港北区内では岸根公園(岸根兵舎地区)だけでなく、慶應義塾大学日吉キャンパスと箕輪町2丁目の岡本工作機械製作所(現「プラウドシティ日吉」)が相次いで接収され、「日吉の町はさながら米軍基地の町と化した」(寺田貞治「日吉台地下壕」)と言われた時代がありました。
横浜市民の常に身近な場所にあり続けた戦争の爪痕をあらためて確かめてみてはいかがでしょうか。
【参考リンク】
・展示パネル10枚をPDF公開「戦後80年 ともに考える横浜と米軍基地のこれから~パネル展『横浜市と米軍基地』」(PDF、37.7MB)
・基地対策「横浜市の取組」(市内の基地に関する総合情報)
・1961(昭和36)年ニュース映画「生れかわる田奈弾薬庫」(YouTube、当時は港北区、現「こどもの国」)
・1972(昭和47)年ニュース映画「私たちのヨコハマ」(YouTube、港北区「岸根基地」の返還ほか)
・「岸根公園がアメリカだった頃~証言でつなぐ『地域の記憶』」(港北ふるさとテレビ局、貴重な証言で振り返る)



