<ST線フォーラムレポ3>四度目の節目を迎えた綱島の未来像~綱島・池谷さん | 横浜日吉新聞

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【ST線フォーラムレポート(3)】今月(2022年)8月19日に慶應義塾大学日吉キャンパス内の協生館「藤原洋記念ホール」で行われた「相鉄・東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」(ST線フォーラム、一般社団法人地域インターネット新聞社主催)のなかから、今回(第3回)は綱島地区・池谷道義さん(池谷家16代当主)の講演をお伝えします。

【講演】綱島地区・池谷道義さん(池谷家16代当主)

綱島・池谷(いけのや)家16代当主の池谷さん

皆さん、こんにちは。今、トップバッターの日吉の渡辺さんが流暢なお話をされていましたが、私はあまり慣れていません。今日お伝えしたいことは、これから画面を見ていただきますが、それなりのボリュームがあります。なので、きっちり時間厳守、12分間ということで、メモを見ながら進めさせていただきます。

まず私のプロフィールですが、池谷道義(いけのやみちよし)、1958(昭和33)年に農家の長男として綱島に生まれました。

私が高校生のときに我が家の家業も農家から土地を生かしたゴルフ練習場業を始めました。その後、時代を経て現在は不動産業を営んでいます。

30歳のときにちょうど昭和から平成になりました。そして、60歳のときに平成から令和の時代になりました。私の夢は次の時代を見ることです。30歳で結婚、その後、5人の子供に恵まれます。

子だくさんのおかげで地域の教育活動と関わることになり、2005(平成17)年に綱島東小学校(綱島東3)のPTA会長職に就きました。現在は「綱島駅東口まちづくり協議会」の座長を拝命しています。

南綱島村の「名主(なぬし)」と「日月桃」

私の生家は旧橘樹(たちばな)郡南綱島村「名主(なぬし)」の家でした。今回の「相鉄・東急直通線」新綱島駅の隣地にある広大な屋敷林に囲まれた古民家に現在も居住しています。

幕末、安政年間に建築された建物で、この古民家を守りつつ、現在、16代目当主として地域とともに歩んでいます。この屋敷には当時の公文書類、約2000点が残され詳らかになっています。

その中身は、歴史的資料や鶴見川流域の村々の実態を記録した古文書です。まさに郷土史の宝庫です。

この4枚の写真は我が家の屋内の写真です。皆さん、「名主」をご存じでしょうか。代官のもとで村政を任された村首長で司法の裁量も兼ね備えます。

また、村を代表して近隣村との渉外や現在の警察・消防・教育など、あらゆる村の自治を行う存在です。ゆえに多くの人が集える広い家屋に居住し、数多くの公的な文書が残されています。

江戸後期から明治にかけて当主であった4世代は地域に貢献した時代でした。

そのなかでも明治元年(1868年)生まれの私の曽祖父・池谷道太郎は、古来より水害の常襲地帯であった鶴見川流域で「」の研究・栽培に取り組みます。

西洋桃と中国水蜜桃から、病気に強く味が良く、香りが高い、そして通常よりも1カ月も早く収穫される新しい品種の桃を作り出しました。

これが綱島の原種となり「日月桃(じつげつとう)」と名付けられ、地域ブランドとして全国に名を馳せ、地域経済の発展に貢献することになりました。

明治時代、物流の要(かなめ)は荷馬車が中心でした。果樹園芸組合が組織され生産量が増加し、東京・横浜の大消費地へのインフラ整備が求められていた時代でした。

現在も古民家の横で「桃の木」を育てる

現在の取り組みとしては、桃畑を資源として地域貢献活動を実施しています。

古民家に隣接した桃畑に約50本の桃の木を育て、毎年6月から7月に多くの桃を収穫します。毎日、完熟した桃のみを厳選するというこだわりを持って自宅前で直売しています。

2年前より地域の皆さんに対し、また新型コロナ禍における医療従事者を応援する目的で、桃の花が咲くころに桃畑をライトアップする「池谷桃園ぼんぼりプロジェクト」を始めました。

このプロジェクトは鉄道工事業者さんたちに協力いただき、夜間工事用の照明器具を「ぼんぼり」に見立て皆様に楽しんでいただいています。

もう1つの取り組みは、古民家を利用した地域の子供たちに郷土愛を育む活動です。

昭和の時代から始めた地元小学生に郷土史を伝える活動を、生の教材が豊富に残されている我が家を利用して毎年開催しています。

見どころは築165年の日本家屋の姿、古い時代の民具・農具、この地の桃作りの歴史、鶴見川に関する資料、綱島温泉の痕跡、そして戦争の傷跡の展示等々、現物を目の前にして子供たちの目は輝き興味津々となります。

地元には数多くの歴史があり、それを知ることにより地域に誇りを持ってもらい、子供たちにとって綱島が我がふるさとになるように、このような活動を父の代から引き続き現在も開催しています。

横浜開港と綱島温泉駅の開業、二度の節目

ここで「綱島の潮流」と題し、地域の歴史をさかのぼってみます。

幕末、この地に最初の節目が訪れます。明治維新後、日本は回復し、1859(安政6)年に横浜が開港します。

外国人が居住し、文明開化の影響を受けた先進的な日本人が現れます。西洋的な思考とその需要に対して新しい事業が起こります。

その流れは鶴見川流域に暮らす我々のもとにもやってきます。煉瓦(れんが)工場が建ち、製氷事業が始まり、牧場を経営する者も現れました。

2度目の節目は鉄道開業という交通革命でした。100年前のことです。1926(大正15)年、東京横浜電鉄(現東急電鉄)が神奈川線を開通させ、綱島温泉駅(現綱島駅)が開業します。

この地には鉄道駅を造るだけの人を集客する資源がありました。それが「ラジウム温泉」と「桃・桜」です。

若き日の五島慶太は綱島温泉の開業に伴い、この地域資源を利用して綱島の最初の開発に着手します。

現在、新綱島駅周辺のまちづくりを担っている地元メンバーの先祖たちが、当時、有力な協力者となり駅前開発用地の確保をしました。

綱島温泉駅が開業し、行楽地として開けた場所であったこの街の隆盛は長くは続かず、時代は戦争に向かっていきます。

贅沢品とされた桃作りは縮小し、また遊興的な温泉地は戦時下で接収されます。そして敗戦、日本は終戦を迎えます。

それなりに潤う綱島、危機感不足が課題

戦後、戦前にはなかった多様な果物が輸入され、また品種改良によって、よりおいしい桃が作り出されたことによって、綱島での桃作りの歴史が一気に衰退していきました。

同時に綱島の温泉街も昭和30年代をピークとし、利用者の志向が箱根や熱海などの本格的な温泉地に向き、旅館業も減少の一途をたどります。

そして、その後は高度経済成長の時代に入り、綱島は行楽地としての歴史から首都圏近郊の優良住宅地として、また工業用地としての地域へ変遷しました。

来年3月の「相鉄・東急直通線」の開業と新駅の開業は、私たちにとって160年間で4度目の節目と捉えています。

綱島東エリアでは来年の新綱島駅開業とともに土地区画整理事業と市街地再開発事業を一体的に施行することによって、都市基盤施設の整備および地域のポテンシャルを生かした土地利用を進めています。

しかしながら、思いのほかハードの整備に対してソフトが追い付いていないというのが現実です。

旧態依然とした地元組織や、まだまだ変化に対応できない“ムラ社会体質”が残る地域でもあるのです。

もう1つの課題は、綱島はそれなりに潤い続けている、現状に満足してしまっているという危機感不足ではないかと思っています。

相鉄・東急直通線は今日お集まりの日吉、綱島、新横浜、羽沢の街と街をつないでいきます。それぞれの街にこれからの展望や夢があるはずです。

鶴見川、区民文化センター、古民家が資源

私は「綱島の資源を呼び覚ます」と称して過去の資源を見直し、次の3点に着目しました。

1つは悠久の大河「鶴見川」に再びフォーカスし、新綱島駅が鶴見川に一番近い鉄道駅となり、「川との共生」が未来をつくることだと信じています。人の流れを鶴見川へ誘うまちづくりです。

2つ目は、今回、綱島にできる「港北区民文化センター」です。

商店街発信の文化芸術は以前より行っていましたが、今回は発信地がやってくるのです。うまく綱島カルチャーを根付かせていきたいと思います。

最後の1つは、今までの話の流れでお分かりになるかとは思いますが、「古民家再生」が新綱島には不可欠なのではないかと思っています。

今回、講演を行うにあたり、この綱島の土地を選んだ3人の存在に気が付きました。

綱島の観光資源に着目した東急電鉄の実質的な創業者である「五島慶太」、松下電器(パナソニック)の創業者で“経営の神様”と呼ばれた「松下幸之助」、デジタル時代の寵児・米国アップル(Apple)の創業者である「スティーブ・ジョブズ」です。

編注)大阪発祥の松下電器産業(現パナソニック)が関東の一大拠点として1960(昭和35)年に進出したのが綱島東4丁目の「松下通信工業」(2011年閉鎖)。その大型工場跡の一部に米アップルが研究所「横浜テクノロジーセンター(YTC)」を2018(平成30)年に開設している

稀代の経営者たちであるこの3人は、この100年間の間に綱島の地を選択しました。これには何か理由があるのではないかと思います。

まちづくりは現在進行形です。これから10年は綱島の礎となる時間です。先人たちも100年前から同じことに悩み、時代と融合し今があります。

我々も先人たちの思いに思いを馳せながらビジョンあるまちづくりを目指したいと思います。本日はご清聴ありがとうございます。

<フォーラム後の一言>

私の家には古いものがたくさん残されています。その中に今から100年以上前の江戸時代の絵が10枚ほど残されています。すべてが鶴見川流域の絵です。当時は「水運」しかなかったんですね。

それから、今の時代にいたって、街をつくっていくのはやはり交通の歴史、その中で新たな路線ができるということは、東京を中心として「城南」であるこのエリアは今でも高いポテンシャルがありますが、さらに高くなっていくでしょう。

我々はその地で「何かをやっていかなければならない」ということを実感した1日でした。ありがとうございました。

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