横浜日吉新聞(創刊当初の思いと創刊の経緯)

日吉の街で生まれた「なぜ?」に答えることが目標です

【こちらの文章は2015年7月の「横浜日吉新聞」の創刊当初に掲載していた内容です】

“日吉都民”も日吉の街を知りたい――。
この「横浜日吉新聞」はそんな思いから、2015年7月18日に個人で作った情報サイト(ホームページ)です。日吉の街に関するニュースや話題を発信しています。

私(運営者)のように日吉の街には住んではいるものの、平日の大半を東京都内で過ごしている“日吉都民”にとって、地元の情報に接する機会はなかなか恵まれません。たまの休日に街を歩いて、その変化に驚かされることが度々あります。

また、約2万人いるとみられる慶應義塾や日本大学などの学校関係者と学生生徒、企業や店舗での勤務者など、定期的に日吉へ通っているみなさんも、学校や企業外の地元情報に触れる機会は少なく、街で疑問に思ったり、答えを知りたいと思ったりすることは多いのではないでしょうか。

特に日吉の街では、東急と相鉄が乗り入れて新しい鉄道が生まれ、同時に再開発も進み、街の風景が大きく変わろうとしています。その動向や新しい街の未来像を伝え、現在の姿を記録するような機関も今のところ見つかりません。

私(運営者)がインターネット上で見つけたり、実際に街で見聞きして調べた地域の情報を公開し、共有することで、誰かの「なぜ?」に答えることができるかもしれませんし、自分の“日吉知識”も増えるかもしれないとの思いで運営を始めました。そして、変化する日吉の街の姿を記録しておくことで、記憶にとどめたい気持ちも強くあります。

情報過多なのに、地元の情報は出会えない

これまで、実際に2カ月ほど情報を発信してみて分かったのは、私のように日吉の地元情報を探している人が想像以上に多かったことです

地域の祭りやイベント、飲食店の動向に関する話題に対する期待は想像以上に高く、グーグルやヤフーの検索を通じて、何とかして情報を得たいとの思いが伝わってきました。
特に39年もの間、日吉の“顔”だった「アピタ日吉店」の閉店に関する情報は、日吉の関係者全員が見ているのではないか、と思えるほどのアクセスがあります。再開発に関する情報も多く読まれています。

インターネットを中心にテレビや新聞など、これだけ情報があふれている世の中なのに、地元の内容には驚くほど出会えません
情報過多といわれているのは、同じところから発信された同様の内容が簡単にコピーされて、爆発的に増えているだけなのです。インターネット上では、不必要かつ似たような情報が多くなりすぎた結果、本当に必要な情報を得るためには、相当な努力が必要となってしまいました。日吉の情報を知るだけでも、多大な労力を要します。

生活するうえで生まれてくる素朴な「なぜ」「どこに」の疑問に答えてくれるような情報は、インターネット上の片隅に埋もれていればまだ良いほうで、大半は地元の限られた範囲でだけ流通しています。

近所づきあいの輪や何らかのコミュニティに属していれば、そうした情報に接することができるかもしれません。しかし、地域のコミュニティに属したくても、きっかけとなる情報さえ少ないなかでは、近づきようがありません。

「横浜日吉新聞」では、日吉で生活したり、通ったりするなかで生まれた「なぜ」に答えるとともに、新たなコミュニティが生まれたり、属したりするきっかけとなるような情報を発信していきたいと考えています
また、いただいた貴重なご意見やご要望には、できうる限り答えてまいります。

これからもご愛読のほど、どうかよろしくお願い申し上げます。

2015年9月20日

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