【地域インターネット新聞社による主催イベント案内】日吉の街とともに歩む慶應義塾。鉄道が開業して後オープンした日吉キャンパスの歩みを、地域の歴史とともに振り返り、未来に向けてのメッセージとしてその魅力を伝えます。
一般社団法人地域インターネット新聞社(新横浜2、橋本志真子代表理事)が今夏(2025年)8月19日(火)14時から16時まで(13時30分開場、終了時刻とともに予定)開催する公開イベント「東急東横線100周年フォーラム~沿線5駅の“未来を語る”」。
慶應義塾大学日吉キャンパス協生館内「藤原洋記念ホール」(日吉4、東急東横線・目黒線 横浜地下鉄グリーンライン日吉駅徒歩約1分)で開催するこの企画は、日吉・綱島・大倉山・菊名・妙蓮寺までの港北区内5駅について、地域の研究を行う「歴史家」のみなさんや、地域まちづくり関係者に登壇いただき、これまでの歴史を踏まえた上での“未来を語るイベント”として開催します。
今回のイベントでは、2022年8月に開催した「相鉄東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」と同様に、イベントの主旨や地域をより深く知る機会として、登壇者のインタビュー記事を掲載していく予定です。
初回は、まず「日吉駅」の歴史家として登壇予定の、慶應義塾福澤研究センター教授・都倉武之(とくらたけゆき)さんに、これまでの歩みや日吉の街への想いなどを聞きました。
「歴史好き」になった原点は自身のルーツに
新型コロナ禍の真っ只中だった2021年7月、慶應義塾大学三田キャンパス(東京都港区)内に、「福澤諭吉記念慶應義塾史展示館」がオープン。
副館長として同館の立ち上げにも尽力した都倉武之さんは、慶應義塾の歴史を伝える役割を担う慶應義塾福澤研究センター(同キャンパス内)に所属、教授として活躍しています。

1995年4月、慶應義塾高校(慶應塾高、日吉4)に入学することで日吉の街と初めて出会ったという都倉武之さんは「慶應義塾福澤研究センター」教授として活躍中(慶應義塾日吉キャンパス内の福澤諭吉像前で、2025年5月)
「歴史をたどる道に進んだのは、自身のルーツにあるのかもしれません」と語る都倉さん。
アメリカ・カリフォルニア州の街・ロングビーチで誕生、3歳までアメリカ、5歳までをイギリスで過ごし、日本に移り住むことになったといいます。

都倉さんは幼少期に「アメリカ」や「イギリス」で過ごしたことを振り返り、「後に、福澤諭吉がアメリカやイギリスに渡ったことにも深く関心を抱くことにつながりました」と語る。「帰国した時は日本語がうまく語れず文化的ギャップも感じました」と幼児期ながら記憶に残る当時を振り返る
「母方が和歌山県太地(たいじ)町にルーツを持つ日系移民の家系です。父は元銀行員で、アメリカではニューヨークなど、イギリスではロンドン近郊のサリー州に住んでいました」と、まさに自身が生まれ育った「ルーツを知りたい」と思うその心に、歴史を好きになる原点があったと、これまでの半生を振り返ります。
日吉との出会いは「塾高」、法学部から研究者の道へ
千葉県松戸市で中学時代までを過ごした都倉さんは、1995(平成7)年4月、慶應義塾高校(慶應塾高)(日吉4)に入学することで日吉の街と初めて出会います。

慶應高校(塾高)に入学し「日吉の街とも出会いました」と語る都倉さん。高校時代は生徒会長として青春を過ごした。日吉キャンパスを象徴する最古の「第一校舎」としての同校の校舎の歴史的な価値についても研究を行ってきた
慶應義塾の創立者・福澤諭吉が説いた、自他の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行う「独立自尊」を校風とする塾高での日々は、「自主性を重んじて全てが行われるイメージで、それまでの“学校は(生徒の)面倒を見てくれるところ”というイメージが一気に変わり、大変驚きました」と、生徒会長としても学校により深くかかわったという懐かしい時代を振り返ります。
慶應義塾大学時代は法学部政治学科に進学。法曹界に一時は進もうとも思ったといいますが、後に武蔵野大学(武蔵野女子大学)の学長となった故・寺崎修さんと出会い、福澤諭吉についてもゼミで学べる機会を得た都倉さんは、卒業論文で高い評価を得られたことも後押しし、研究職の道へ進むことになったといいます。
研究者として「日吉」の魅力を伝える
都倉さんは、埼玉県にある武蔵野学院大学(狭山市)での助手・専任講師を経て、2007(平成19)年から慶應義塾福澤研究センターの専任講師として着任するに至ります。
2013(平成25)年からは、同大学の「新聞研究室」を前身とする、三田キャンパス内の「メディア・コミュニケーション研究所」にも所属し、メディア史についても研究。
2020年7月からはオープンを控えた慶應義塾史展示館の開設準備室・副室長として、同大学の歴史を広く塾内外に伝えるための活動を行ってきました。
日吉については、高校時代から通った1934(昭和9)年築の旧「第一校舎」、また、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期に日本海軍により建設された「日吉台地下壕」など、近現代史の現場に触れ大いに刺激されたと語る都倉さん。

日吉が1937年3月まで「日吉村」だった頃の歴史、また東横線が敷設された頃の歴史についてもたどることで「その頃の街の“核”がどこにあったのか、それが分かればキャンパス周辺の歴史の見え方も変わってくる」とも感じているという
少人数の学生で日吉を探求する「日吉学」と題した授業を共同担当し、日吉近郊の魅力を掘り下げ、学生に伝える活動や、戦争遺跡として知られる「日吉台地下壕」についての共著を2023年に出版するなど、専門とする近代日本政治史や政治思想史、メディア史といった幅広い研究分野にもどついた地域の考察も行っています。
特に日吉キャンパスの歴史について、都倉さんは、「歴史的な重層性があり、様々な時代の営みの痕跡が残っています。キャンパスの歴史をたどるだけでも、日本の近現代史を多角的に語ることができます」と、まだまだ眠れる魅力あふれる日吉近郊の歴史について、その想いを熱く語ります。
学問、そして研究に関しても、「本を読むだけが学問ではなく、街を歩き回り、様々な場所に行き、そして様々な人と出会うことも含めて学問だと考えています。日吉には『出会える学び』がまだまだ眠っていると思います。ぜひ、フォーラム当日は、そういった想い、日吉の歴史やその魅力についてもお伝えすることができれば」と都倉さん。
未来を担う子どもたち一人ひとりに、より“リアル”な体験をこそ大切なものと伝え、向き合いながら、これからも先人たちの歩みの上にある「日吉の街の魅力」を広く地域内外の人々にも伝えていきたい考えです。
<登壇者略歴~自己紹介>
都倉武之(とくら たけゆき):慶應義塾福澤研究センター教授。1995年慶應義塾高校入学により日吉と出会う。1934年築の高校校舎、戦争末期に建設された海軍地下壕など、近現代史の現場に触れ大いに刺激される。少人数の学生で日吉を探求する「日吉学」と題した授業を共同担当。専門は近代日本政治史・政治思想史、メディア史。
(※)この記事は「横浜日吉新聞」「新横浜新聞~しんよこ新聞」の共通記事です
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・【告知】「東急東横線100周年フォーラム~沿線5駅の“未来を語る”」を開催します(2025年6月3日)
・福澤諭吉と北里柴三郎の物語を日吉で体感、「慶應医学部」誕生を知る公開講座(2025年5月9日)※都倉さんが登壇
・日吉に描いた「理想のキャンパス」、未完だから語り継げる歴史(2022年2月10日)※「港北地域学」講座での登壇レポート記事
【参考リンク】
・「東急東横線100周年フォーラム~沿線5駅の“未来を語る”」を主催事業として開催します(一般社団法人地域インターネット新聞社)
・「東急東横線100周年フォーラム~沿線5駅の“未来を語る”」特設サイト(一般社団法人地域インターネット新聞社)