53歳で「がん」を5回乗り越えた綱島の高山さん、生き抜く技術を著書に | 横浜日吉新聞

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53歳の現在までに5回の「がん」を告知されながら乗り越えてきたメンタルとは――。

綱島在住の元会社経営者・高山知朗(のりあき)さんが2冊目となる著書「5度のがんを生き延びる技術~がん闘病はメンタルが9割」(幻冬舎)をこのほど出版しました。

2024年10月に幻冬舎から刊行された「5度のがんを生き延びる技術 がん闘病はメンタルが9割」は高山さんにとって二冊目の著書となる

2011(平成23)年に40代で襲われた脳腫瘍悪性リンパ腫(白血病)を5年生存率が10%という厳しい状況下で乗り越えた高山さん。

この経験を最初の作品「治るという前提でがんになった~情報戦でがんに克つ」(2016年9月幻冬舎刊)にまとめましたが、その後も急性骨髄性白血病、大腸がん、そして昨年(2024年)には肺がんと相次いで病に襲われます。

何があっても生き抜く、との思いで5度のがんを乗り越えてきた高山さんが今回の著書に込めた思いを聞きました。

高山さんは1971(昭和46)年長野県伊那市生まれ。早稲田大を卒業後、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)、Web関連ベンチャー企業を経て、2001年に株式会社オーシャンブリッジを設立、現在は同社ファウンダー。25歳の頃から綱島に在住、写真はお気に入りの喫茶店「カルディ」(綱島西2)前で(2025年1月)

――8年前に刊行した最初の著書「治るという前提でがんになった」で、2度のがんを乗り越えたことを書かれていましたが、その後に何があったのですか

2016(平成28)年に闘病を終えた時、これまでのように全力で納得のできる働き方は難しいと感じ、自ら立ち上げたIT企業の経営からは完全に離れ、社員の雇用と事業を継続するためにM&A(企業の合併買収)で現在の親会社に売却しています。

2001(平成13)年に設立した会社は自分の分身であり生活のすべて、というくらい大切な存在でしたので、戻りたくても戻れず、売却しなければならないことに大きな苦悩がありました。

IT企業経営者時代の高山さん、米シリコンバレー出張時にサンフランシスコで(2002年撮影、高山さん提供)

そんななか、1年ほどかけて売却の話がまとまり、ほっとしていた2017(平成29)年2月に定期検査で急性骨髄性白血病(血液のがん)が見つかったのです。

再発や転移ではなく、過去2度のがん治療の化学療法が原因で発症したようで、しかも「造血幹細胞移植」でしか治らないということでした。

――5度にわたる「がん」のなかでは、この移植治療が最も辛かったことが今回の本にも書かれていました

会社の売却は、自分が人生においてやり遂げた一番大きな仕事と考えていましたので、それが終わって解放され、迷惑をかけ続けた家族のために時間を使おうと考えていた矢先の告知です。その時の悔しい思いは忘れられません。思わず人前で涙を流すこともあり、過去2度のがんでは感じたことのない感情でした。

移植を受ければ4割は治るという血液のがんですが、逆に厳しい移植治療を受けても6割は治らず亡くなってしまうということで、その2割から3割は移植自体が原因で亡くなる治療関連死です。

リスクの高い移植治療と辛さに恐れるばかりでしたので、治療のフェーズ(局面)ごとに不安や苦痛の変遷をチャートにしてまとめ、「目の前の現実に集中し、現れた苦難を一つひとつ乗り越えていこう」と考えるようになりました。本書にもその時のチャートを掲載しています。

――40度以上の高熱や「胃にドリルを突き立てられる痛み」、味覚障害、140日間の入院を終えたと思ったら今度は再入院で生死の境をさまよう、というような辛い治療を乗り越えました

医師から見ても亡くなってしまうのでは、という危ない夜もあったようです。ベッドサイドの家族写真を見ながら「絶対に家族の待つ家に帰る」と信じて疑いませんでしたし、退院すれば家族との楽しい生活に戻れるという希望を持ち続けました。

――8カ月にわたる移植治療を終え、日常生活をおくっていた2020年の年始に「大腸がん」、昨年(2024年)4月には「肺がん」が見つかります

大腸がんは、初期のがんだと説明を受けましたので、自分も家族も白血病のときほど衝撃はなく、落ち着いて受け入れ治療に臨みました。肺がんは手術に向けて粛々とものごとを進めていった感じです。

血液のがんは治療が長期にわたって大変なのですが、初期の固形がん(大腸がんや肺がんなど)は手術で取ってしまえばいったんは治療を終えることができます。入院期間もそれほど長くはありません。

私の場合、まったく自覚症状がないなか血便で大腸がんを知らされ、肺がんは定期的な検査で見つかりました。初期段階で見つけることがいかに大事かということです。

それだけに定期的に検診を受けることが大切で、早く見つければ適切な治療が短期間でできます。

――検診の重要性、5回のがんを乗り越えた高山さんの言葉なので説得力があります。二冊目となる今回の本では、病になったとき乗り越えるための心の持ちようや見舞いをする側が知っておきたいことなど、幅広い層に役立つように書かれたように見えました

実は企画段階から刊行までに6年ほどかかっています。前回の本を出版した後に少しずつ書き始めてはいたのですが、テーマが定まらなかったり、迷いがあったりして苦しみました。

年賀状に「今年こそ本を出します」と毎年書き続ける有様で、ある年には原稿を書くことから逃げようと突如「英語検定1級」を取得するという目標を打ち立て、実際に取ることは叶ったのですが、執筆から一時的に逃れられただけでした。6年もかかって粘り強く付き合っていただいた出版社と担当編集者の方に感謝するばかりです。

2016年9月に刊行された最初の著書「治るという前提でがんになった~情報戦でがんに克つ」(幻冬舎)はがんを乗り越えた高揚感もあって書き上げたという

内容的には、前作の「治るという前提でがんになった」は二度のがんを乗り越えた高揚感のなかで書いてしまい、実際にがんになった方に寄り添える内容になっていたのかどうかは微妙です。「高山さんだから乗り越えられたんじゃないですか」と指摘されたこともありました。

今作では実際にがんや病気になった方が手に取った際、参考にしてもらえるよう心掛けました。

また、本書内で提示した「がんを乗り越えるためのフレームワーク」については、病気だけでなく、仕事や人間関係などさまざまな面で応用できるのではないでしょうか。

――人生観について書かれたページも多いですね。10年間続けた経営者時代を振り返った思いも盛り込まれています

かつて長野県の実家では祖父が文具の卸関係の会社を経営しており、父の次に会社を継ぐつもりで、新卒で就職したコンサルティング会社からIT関連の中小企業に転じ、経験を積んでいました。

ところが自らが責任者となっていた事業が発展し、自分で会社を立ち上げて都内で経営することになったのです。

日本市場に紹介するビジネス向けソフトを求めて世界中のIT企業を飛び回り、当時の経営者とは今も交流があるという(2007年、欧州スロベニアのブレッド湖で、高山さん提供)

海外のビジネスソフトを日本向けにローカライズし、大手企業などに導入していただくという事業でしたが、2011年に最初のがんが見つかるまで10年間にわたってほぼ休みなく働き、それが当たり前だと思っていました。

売上も利益も顧客も伸ばし、社員の給料も増やし――“もっともっと”上を追い求めるためです。経営者としては間違っていなかったのでしょうが、新しいビジネスを始めるために出張していたスイスの空港で倒れ、最初のがん(脳腫瘍)が見つかってからは以前のような働き方はできなくなりました。

それから五度にわたる闘病を繰り返すなかで、本当の幸せは“もっともっと”を追求していた物質的な世界ではなく、当たり前の日常にあったことに気づかされました。これは、がんのおかげと言えるかもしれません。

――前作もそうですが、綱島のクリニックでポリープが発見されたことなど、今回も地元が登場していますね

25歳で綱島に住み始めましたので、在住歴は28年になり、クリニックや美容室など行きつけの場所が多くなってきました。いい街です。

散歩コースとして歩くことが多いという綱島西の鶴見川で(2025年1月)

5回の闘病をしましたので病気になる前の体力や筋力は戻りませんし、疲れも抜けませんが、今の自分ができる範囲で生活を組み立てているところです。

昼間は体力を維持するために鶴見川の河川敷や、綱島の街を歩いていることがありますので、もし見かけた際は声をかけていただけましたら……。

――長時間にわたりありがとうございました

)この記事は「横浜日吉新聞」「新横浜新聞~しんよこ新聞」の共通記事です

【関連記事】

・【8年前の前回記事】綱島在住の経営者・高山さん、40代で二度の「がん」克服経験を伝える活動を開始(2016年12月6日)

【参考リンク】

幻冬舎「5度のがんを生き延びる技術 がん闘病はメンタルが9割」の紹介ページ(作品の目次や概要など)

オーシャンブリッジ高山のブログ(経営者だった2004年8月から20年以上にわたって書き続けている高山知朗さんのブログ)


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