今は忘れられつつあるどこか懐かしい風景に触れることができそうです。
日本大通り駅(3番出口)に直結する「横浜都市発展記念館」(横浜ユーラシア文化館併設)で今月(2025年)1月18日から企画展「運河で生きる~都市を支えた横浜の“河川運河”」が始まりました。運河に焦点を当てた企画展はめずらしく、同館では初めてだといいます。
明治期の横浜市内では、人口増や都市化を背景に「舟運(しゅううん)」の重要性が増し、河川運河網が形づくられていきます。
港北区などの市内北部では鶴見川を中心とした自然の河川を使った舟運が行われ、物資を運ぶための運河が掘削されることはありませんでしたが、市中心部では港湾部の埋め立てなどの変化を契機に運河網の整備が進んでいきました。
同展では、多くの舟が行き交った帷子(かたびら)川や大岡川、堀川、掘割川といった現存する河川の姿だけでなく、派大岡川(現首都高速横羽線など)や桜川(現桜川新道)など高度経済成長期に消えた水路も取り上げています。
最大の見どころが企画展のテーマとなっている「運河で生きる」という部分。廃船の上に部屋を設けて浮かべた“水上ホテル”や、艀(はしけ=貨物船が入れない河川でも荷物を運べる平べったい小型船)で働く人々と家族の船上生活など、今は見られなくなった1950年代から60年代にかけての運河風景を写真で紹介。
京浜間の“水上生活者”の姿は、義務教育機関として中区山下町で誕生した日本水上学園(現在は児童養護施設)や、東京都中央区月島などにあった都立水上小学校(廃校)へ通った小・中学生の作文からも浮き彫りにしました。
子どもが艀へ乗り移る際、細い“歩み板”から海へ落ちることもあったという水上生活はどのようなものだったのか。当時の子どもが感情を込めた貴重な文章類は企画展の図録にも収録されています。
また、1970(昭和45)年まで横浜と千葉の富津(ふっつ)港を結ぶ定期船が設けられていたことや、高度経済成長期の都市計画で運河が次々と埋め立てられ、道路や地下鉄に変わっていった過程も興味深い部分です。
都市発展記念館の企画展「運河で生きる~都市を支えた横浜の“河川運河”」は、休館となるきょう1月20日(月)など毎週月曜日(休日の場合は翌火曜日)を除く4月13日(日)までの9時30分から17時に開催。
観覧料は一般が800円、市内在住65歳以上と小・中学生は400円。常設展と横浜ユーラシア文化館の観覧も可能です。
なお、65歳以上の市内在住者は2月12日(水)と3月12日(水)などの「濱ともデー」は無料となるほか、毎週土曜日は小・中・高校生が無料。
今回の企画展は、港や丘といった現在も横浜を代表する風景に関連したテーマではなく、運河や舟運といった忘れられかけている横浜の風景を振り返っている点で、貴重な内容といえます。
【関連記事】
・鶴見川を使って物資を運んだ「舟運」、歴史と実態探る貴重な番組が完成(2024年12月31日、市内北部での舟運について)
【参考リンク】
・企画展「運河で生きる~都市を支えた横浜の“河川運河”」の案内(2025年1月18日~4月13日開催=月曜休館、横浜都市発展記念館)
・横浜市下水道河川局「川のはなし」(帷子川や大岡川などの詳しい歴史や小話をPDF形式で紹介)