【法人サポーター会員によるPR記事です】日吉・箕輪町出身のスポーツトレーナーが、地元で開業する夢を実現。「今日より明日をもっと楽しむ」人生に寄り添うサポートを行っているといいます。
今年(2024年)4月6日、箕輪小学校や日本大学高校・中学校にも近い箕輪町2丁目に、パーソナルトレーニングジム「ボディスクール(BodySchool)日吉店」がオープン。
学生時代はラグビー選手とトレーナーを両立させ、現役で日本スポーツ協会(旧日本体育協会)公認アスレチックトレーナーの資格を取得した同店を経営する小嶋毅弘(たかひろ)さんは、地元日吉・箕輪町出身。
高校時代はラグビー部で青春時代を過ごし、大学時代もラグビー部に所属しながら、中学校時代から志してきた「トレーナーになる」という夢へのチャレンジをスタートしていました。
活発だった幼少期、陸上や「ラグビー」との出会い
幼少期から箕輪町で育った小嶋さんは、「戦隊ヒーローになりきるなど、とても活発な子どもだったようです」と、日吉台光幼稚園(日吉本町1)や日吉台小学校(同)に通っていたという幼少期から過ごした地元・日吉での日々を振り返ります。
スポーツとの出会いは、旧「エポック日吉店」(箕輪町2)の水泳教室だったといい、「サッカースクールにも一時期通ったのですが、小学校4年生の終わりころにラグビーと出会いました」と、中学時代まで週末に、川崎市にあるラグビースクールに通っていたと語ります。
「バットやラケットなどを持つ球技は苦手だったのですが、手でボールを持てるラグビーが楽しく、スタンドオフ(司令塔)としての役割を果たすことができました」と、箕輪町から幼稚園や小学校に通う際に通った「八十階段」に鍛えられ、スポーツに邁進できたと語ります。
日吉台中学校(日吉本町4)時代は陸上部に所属。1年生の時は短距離走(100m)、2年生、中距離(800m、1500m)と挑戦したといいます。
3年生の時は400メートル走で県大会に出場し、「練習はきつかったという記憶がありますが、とても楽しい3年間でした」と、懐かしい中学校生活についても笑顔で振り返ります。
「桐蔭学園」で得た“人生の財産”
高校は憧れだったラグビーの強豪校・桐蔭学園高校(青葉区鉄町)に入学した小嶋さん。
「2005(平成17)年、2年生の時に、先輩方の活躍により、第85回全国高校ラグビーフットボール大会(東大阪市花園ラグビー場、大阪府)で初めて準優勝を果たしました」と、全国的なレベルのラグビーに触れることができた部活動での日々を懐かしみます。
最終学年時にはウイング(トライするためのポジションで足が速い人が適しているとされる)でレギュラーに入ることができたという最終学年で臨んだ2006(同18)年の全国高校選抜ラグビーフットボール大会(熊谷ラグビー場、埼玉県熊谷市)でベスト4に。
高校生世代のラグビーの国際大会「サニックスワールドラグビーユース交流大会」(福岡県宗像市)にも同年5月に出場することができたといい、「日本や世界の強豪校と対戦、国際大会を体験できたことが大きな財産になりました」と、藤原秀之監督の指導により、人生で忘れられない経験を得ることができたと語ります。
特に藤原監督には、「ラグビーは自分が何をするのか、ボールを持っていないときにどう動くのか。一人ひとりが役割を認識して遂行していくことが大切」と言われた言葉が印象に残っているといいます。
「ただボールを持ってタックルするといったその場だけの対応ではチームは崩壊するからね」と、賢く考えていかねばラグビーはできないスポーツであることを教えられた日々だったと、懐かしくも鮮烈に感じたという“青春時代”をしみじみと振り返ります。
大学時代から「夢」に挑戦、プロフェッショナルの道へ
「スポーツトレーナー(トレーナー)」になることを夢に描き、高校卒業後、日本体育大学体育学部に進学した小嶋さん。
特に、スポーツ現場で選手が安全に競技するためのサポートを行う「アスレチックトレーナー」の資格を取得するための進学だったと説明します。
中学校時代、ラグビーのプレー中に肉離れに襲われ、1週間試合に出れず悔しい思いをしていたとき、「コーチがテーピングをしてくれたことで、試合に出て、やり切ることが出来たことがありました」と、現在の道に至る“夢”を抱くようになったきっかけを語ります。
ラグビー部に所属しながら、主にケガの予防についての情報提供や、ケガをした際の対応、ケガからの復帰サポートを行うアスレチックトレーナーについての学びをさらに深めるためにと、「トレーナー研究会」サークルにも所属。
「3年時からは、ワールドベースボールクラシック(WBC)野球日本代表(侍ジャパン)のトレーナーとしても知られる河野徳良さんのゼミにも入ることができました」と、ラグビー部の活動と両立しながら、「朝早くから学んだ」という多忙な日々を振り返ります。
その甲斐あってか、小嶋さんは、「大学生現役でアスレティックトレーナーの資格を取得することが出来ました」と、4年間の学びを得た後、大学卒業後も、「トレーナーになりたい」という夢を果たすことに「悩むことはありませんでした」とその専門性を磨く道を選びます。
呉竹鍼灸(しんきゅう)柔整専門学校(現横浜呉竹医療専門学校、新横浜2)で柔道整復師やはり師、きゅう師の資格を取得。また、長生学園あん摩マッサージ指圧師科(東京都大田区)であん摩マッサージ指圧師の免許も取得しています。
以降、フィットネスクラブの勤務経験も活かした幅広い年齢の方々へのパーソナルトレーニングに加え、高校生アスリートへのトレーナー活動を行いチームの全国大会優勝に貢献。
現在も高校生から大学生、社会人アスリートやシニアに至るまでの、幅広い年代層を対象としたリハビリやパフォーマンスアップ、スポーツマッサージなどのトータルケアに従事しているといいます。
ふるさと日吉で開業、「パーソナルトレーニング」の新たな拠点に
公募にエントリーすることで従事するに至った日本バドミントン協会(東京都新宿区)トレーナーでの業務や、母校・桐蔭学園高校に2019年に誕生した女子ラグビー部のサポートなど、多忙な日々を過ごす小嶋さんですが、「30代になり、起業を考えました」と、ふるさと日吉・箕輪町で偶然見つけた物件で、「ボディスクール日吉店」を開業するに至ります。
現在の箕輪町の印象について、「自然が今よりもう少し多くて、のどかだった町の風景が、プラウドシティや住宅開発などでだいぶ都会的に変わってきたように思います」と、新たに流入したファミリー層による活気、また特に綱島街道での綱島SST(Tsunashimaサスティナブル・スマートタウン)(綱島東4)での米アップル研究所や慶應義塾の国際学生寮の進出による国際色豊かな人々が行き交う「多様性」も感じる日々だと語ります。
それでも、「まだまだ当施設のような、多彩な資格を保有してのパーソナルトレーニングを行う場所は多くないと感じています。特に日常的な運動、もう少しテニスやゴルフを楽しみたい、といったシニア世代をはじめとした多世代のご利用をお待ちしています」と小嶋さんは、新たに誕生したスポーツジムへの多くの来店・利用を呼び掛けています。
(※) 記事の掲載内容については、直接「ボディスクール(BodySchool)日吉店」にお問い合わせください
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