中原や幸、高津など川崎市内7区の歴史を振り返る広報紙が公開されました。
川崎市は来年(2024年)7月に迎える市制100周年の一環で7区ごとに異なるPR広報紙を作成し、先月(2023年)3月から各区1万5000部程度を公共施設などで配布しているほか、サイト上にも掲載中です。
1924(大正13)年7月に当時の「橘樹(たちばな)郡」にあった川崎町と大師町(だいしまち)(※いずれも現在の川崎区付近)、御幸(みゆき)村(※現在の幸区付近)の2町1村が合併して発足した川崎市は、2024年で市となってからちょうど100年。
市では市制100周年に向けて記念事業の公式サイトを立ち上げたり、古い白黒写真のカラー化を行ったりしており、今回のPR広報紙発行もその一環です。
タブロイド判の両面印刷で制作された今回のPR広報紙は「ぶら〇〇区」と題して、各区の歴史をテーマごとに“散歩”のような形で報告しているのが特徴です。
たとえば、中原区では「多摩川がもたらした恵みとは何か?」をテーマに掲げ、武蔵小杉も含めて多摩川沿いに発展してきた同区の歴史を紹介。
幸区は「縄文時代からこの地に人々が暮らし続けた理由とは?」と題し、縄文時代に島だった加瀬山(夢見ヶ崎公園付近)に焦点を当てます。
一方、高津区は「人の道と水の道でどう栄えたのか?」として、“人の道”である大山街道と“水の道”だった二ヶ領用水を取り上げました。
また、「川崎区はなぜ日本の高度経済成長を支えることができたのか?」をはじめ、「起伏に富んだ地形がもたらしたものは何か?」(宮前区)、「豊かな自然は時代の変化をどう見てきたのか?」(多摩区)、「豊かな里山とベッドタウンの共存が憧れの街を生んだ?」(麻生区)といった形で各区の特徴を短い言葉で表し、コンパクトに歴史と見どころを紹介。
特に興味深いのが市制100周年に向けてカラー化(着色)された半世紀以上前の写真と現在の風景と見比べられるようになっていることで、一目で各区の歩みを感じられる構成としています。
もともと、川崎市域の多くと港北区や鶴見区、神奈川区などの横浜市北部エリアは、明治期から同じ橘樹(たちばな)郡の町村として存在していた地域が、大正から昭和初頭にかけて川崎と横浜の2大都市に糾合された歴史を持ちます。中間地点にあった「日吉村」は矢上川を境に川崎市側と横浜市側に分断されました。
現在は市と行政区が異なっていても、歴史や文化、経済面で重なる部分が多いだけに、川崎7区の歴史を伝えるPR広報紙は、幅広い層から関心を集めそうです。
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・【過去記事】川崎市が“日本の五大都市”まであと一歩、神戸市を抜き人口で全国6位に(2019年5月16日)
【参考リンク】
・川崎市市制100周年PR広報紙「7区の歴史を振り返る」(PDF版もダウンロード可能、川崎市総務企画局)
・川崎市市制100周年記念事業公式サイト(記念事業などについて)