日吉の本だな1周年、日吉が生んだ戦前の横綱「武蔵山展」を企画 | 横浜日吉新聞

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日吉が生んだ戦前の横綱武蔵山」に関する展示が“地元”で見られる貴重な機会となりそうです。

昨年(2022年)1月19日に開所した日吉図書取次所「日吉の本だな」(慶應大学日吉キャンパス協生館1階)では、開所1周年を記念した企画として今週(2023年)1月19日(木)から2月28日(火)まで「第33代横綱 武蔵山展~日吉から大相撲の頂点へ」と題したパネル展示が行われます。

2019(平成31)年3月に港北図書館で行われた際の「武蔵山展」の様子

武蔵山は昭和初期の大相撲で活躍した第33代横綱で、1909(明治42)年に日吉村字駒林(現在の日吉本町)に生まれ、本名は横山武(たけし)。

日吉台小学校(当時は尋常駒林小学校)へ通っていた頃から怪力で知られ、荷車を引いた子牛が上れなかった「赤門坂」(日吉本町1丁目の急な坂道)で、子牛から荷車を離して自分で引き上げたというエピソードも残ります。

1926(大正14)年に15歳で出羽海(でわのうみ)部屋へ入門して、1935(昭和10)年には横綱に昇進し、1940(昭和15)年に引退するまで幕内在位28場所、幕内成績174勝69敗2分71休の成績を残しました。

武蔵山が横綱に昇進した際は綱島温泉の旅館「水明」で日吉村主催の祝賀会が開かれた。後援会長には飯田助夫氏(大綱村長などをつとめた飯田家12代目)が就き、その弟の俳画家・飯田九一氏が化粧回しに雲竜図を描いている。横浜貿易新報(神奈川新聞の前身)の1935(昭和10)年5月29日号記事より(2019年3月港北図書館「第33代横綱 武蔵山展~日吉から大相撲の頂点へ」で撮影)

現在にいたるまで神奈川県出身の横綱は武蔵山以外には出ておらず、唯一の存在となっています。

今から4年前の2019年没後50年・生誕110年の節目を迎えており、その際に大倉精神文化研究所(大倉山2)が武蔵山の研究を行い、講演会や展示を企画していました。

今回、日吉の本だなで開かれるパネル展示も大倉精神文化研究所が協力しており、2019年以降に判明した新たな研究成果も盛り込まれているとのことです。

また、パネル展示とともに相撲文化に関する図書の展示も行われます。

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【参考リンク】

「日吉の本だな」開所1周年記念!企画展示「第33代横綱 武蔵山展 日吉から大相撲の頂点へ」(2023年1月19日~2月28日開催)

日吉図書取次所(愛称:日吉の本だな)の案内ページ(港北区役所)


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