北綱島特別支援の保護者らがシンポ、閉校が突然告げられ「旭区へ転校を」 | 横浜日吉新聞

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6年半にわたる保護者の苦労と横浜市における教育行政に危うさが潜んでいたことを浮き彫りにしました。

2015(平成27)年9月に突如公表され、閉校方針が二転三転した末に「分校」となり、今年(2022年)4月からは「本校」に戻った北綱島特別支援学校(綱島西5)。その“再編計画”をテーマとしたシンポジウムが6月5日に港北公会堂内の会議室で開かれ、同校の保護者と近隣住民らがこれまでの6年半を振り返り、検証の必要性を語りました。

6月5日に港北公会堂の会議室で開かれたシンポジウムはYouTubeで生配信された

北綱島特別支援学校の保護者と近隣住民らで結成した「北綱島特別支援学校を存続させる会」(福田美智代代表)が主催したもので、「本校に戻ったけど・・・~6年半の閉校計画を検証する」と題し、閉校の撤回を求めてきた4人の保護者と、事務局として保護者の活動を支えてきた住民らに加え、今回の出来事に関わったゲストも登壇し、それぞれの思いを伝えています。

当日の模様は、港北公会堂の会議室からYouTubeなどを通じて“生中継”され、映像はアーカイブとしても残されています。なお、生中継時に一部音声が聴こえないなどの機材トラブルが生じたため、別の機材で撮影・収録した映像をあらためて後日再公開する予定とのことです。

下記にシンポジウムの様子を保護者の発言を中心に要旨としてまとめました

「北綱島特別支援学校 本校に戻ったけど・・・6年半の閉校計画を検証する」の要旨

)発言は要旨とし、一部で説明などを補足しました。

今回のシンポジウムについて

福田美智代さん(保護者・「存続させる会」代表)

2019(平成31)年4月から上菅田特別支援学校(保土ケ谷区)の「分校」となっていた北綱島特別支援学校は、今年度4月に「本校」へ戻りましたが、横浜市教育委員会は2015(平成27)年9月に始まった「閉校計画は誤りでなかった」との主張は今でも崩していません。

こうした無謀な計画を繰り返さないよう、保護者や市民からはこれまでの経緯を検証するよう再三お願いしていますが、「検証はしない」ということなので、このようなパネルディスカッションの場を設けさせていただいたというのが今回の開催趣旨です。

シンポジウムには保護者や近隣住民などによる「北綱島特別支援学校を存続させる会」のメンバーらが登壇した(6月5日)

児童生徒と保護者の6年半を振り返る

山本直子さん(保護者)

隣にいる娘は今、高等部の3年生で、閉校計画が新聞で報道されたのは小学部5年生の時でした。狭いけれど、快適な学校生活をおくっていたので、「何かの間違いでは」というのが最初の感想です。

閉校の理由として市教育委員会から挙げられたのは、「肢体(したい)不自由特別支援学校」の再編整備計画によって、

(1)重度重複障害児から軽度の肢体不自由児まで、学区を決めて近くの学校に通うようにする

(2)スクールバス乗車の長時間化や各校のコースの重複を解消する

(3)保土ヶ谷区にある「上菅田(かみすげた)特別支援学校」の過大化・過密化を解消するため、旭区に「左近山(さこんやま)特別支援学校」を新設する

という内容でした。そして、市内の(横浜市立)肢体不自由校は「5校」と決まっているので、北綱島を閉校すると言われました。

重度重複障害児だけでなく、上菅田に集中していた軽度の肢体不自由児も受け入れるには、北綱島は狭くて音楽室や理科室などの特別教室が作れず、他校とのスクールバスコースの重複が多い、増築も改築もできず、近くに移転もできないからと説明されましたが、やはり信じられない思いでした。

保護者説明会でも、「なぜ(市立は)5校だと決まっているのか」「どうして閉校なのか」と何度も説明を求めても「肢体不自由校は5校だから、左近山を新設するから北綱島は閉校する」としか言わない。そして閉校するまでに別の学校へ転校するよう言われました。

日吉本町駅が最寄りの綱島西5丁目にある北綱島特別支援学校

転校先は、当時過密化が問題になっていた「上菅田」(保土ヶ谷区)、今後新設する予定の「左近山」(左近山特別支援学校=旭区左近山、2019年4月開校済み)、北綱島からは比較的近いものの当時は老朽化が問題となっていた「県立中原養護学校」(川崎市中原区井田)、北綱島閉校の1年後に新設する予定とされていた青葉区の「県立養護学校」(県立あおば支援学校=青葉区上谷本町、2020年4月に開校済み)ということだった。

近くの学校へ通うようにする目的の計画で、北綱島の子どもだけが遠くの学校へ通うのです。医療的ケアが必要で、スクールバスにも乗れない子どもも多いのに、さらに長時間の通学を強いられ、引っ越しや、学校へ通うのをあきらめようとする保護者もいました。

保護者は毎日、どうすれば計画が撤回できるのかを考え、あちらこちらで訴えましたが、区役所の窓口で話をすると「計画は知らない」と言われ、「区内の学校が無くなるのに知らないということがあるのか」と愕然としたことを覚えています。

一般校なら統合するだけで何年も話し合いをするのに、特別支援学校はいきなり閉校が決まるというのは障害者差別ではないのかと思いました。

署名にも取り組み、自治会・町内会の方々の協力もあり、1カ月未満で3万筆もの署名を提出しましたが、何も変わりません。市会議員さんや県会議員さんに話を聞いてもらい、学校にも見学に来てもらいました。

障害者差別について無料の法律相談にも行ってみましたが、何か被害があったわけではないので何もできません、とのこと。

その後の説明会では、転校が難しい子どものため、閉校後は現在の在校生が卒業するまでの「分教室」を作ると言われ、それが新入生も入学できる「期限のない分教室」にするとなり、最終的には「分校」という形に変わっていきました。

閉校の理由も納得できませんが、分校にする理由もわからない。話を聞いてくれた市会議員さんのほとんどが分校に賛成していたのは、学校が無くなるよりは良い、ということなのかもしれません。

「存続させる会」では6年半にわたって多数のリーフレットを作成してきた

2019(平成31)年4月に北綱島特別支援学校は上菅田の分校となりました。

市教育委員会は当初あれほど「5校」にこだわっていたのに、あっさり「6校」となったことに、信じられない思いです。

前の年に教育長へ請願書を提出し、「分校という名を極力使わない、校長先生もいる特別扱いの分校」にして欲しいとお願いしました。

周りからは「残ってよかったね」と言われましたが、保護者は「分校にしてほしい」と言ったことはなく、なぜ「分校」になったかの説明も受けていない。

「閉校」というインパクトが強かったので、「元の本校に戻してほしい」という訴えは周りの人に響きづらかったようです。

でも、“特別扱いの分校”はやはり本校ではなく、いつかまた閉校にされるのではないかという不安は消えません。

そのほかにも色々と不都合な事実(※教育委員会が根拠となる数値を誤っていたことなど)が見つかり、「分校のメリットは何もなく、本校に戻すデメリットもない」と教育委員会が認めましたが、それでも説明会では「閉校計画は間違っていなかった」と言われ続けました。

昨年(2021年)夏に市長が代わり、風向きも変わり、本校へ戻ることになった。戻すと決まってからは手続きも早かったように思います。あの頑(かたく)なさはなんだったのか、なぜ本校に戻すのかの理由もよくわからない。すっきりしない結末です。

(児童生徒は)しゃべれない子どもがほとんどなので、特に意見を言うことはないのですが、保護者が毎日不安な日々を過ごしていたので、子どもたちにもそれが伝わったのではないかと思います。

「本校」に戻った時どう感じたか

司会:三本木潔さん(会事務局)

児童生徒と保護者にとってはまさに苦闘の6年半ということでした。続いて「本校に戻ると知った時にどう感じたか」ということを皆さんにお伺いします

6年半にわたる経緯を振り返る登壇者

山本さん(保護者)

嬉しかったし、やっと戻ったのかとの思いです。でも、市長や教育長の答弁で「(今まではなかった)文科省の設置基準があったから」ということを理由にしているが、その設置基準とは関係がないのでないでしょうか。

)文部科学省はこれまで特別支援学校については設置基準を定めていなかったが、2022年4月にこれを定めたもの(詳細はこちら

鈴木純子さん(保護者)

現在、息子は高等部の3年生で卒業前に本校に戻ったことはとても嬉しく思いました。しかし、この3年間に卒業した子どもたちや保護者のことを思うと、嬉しさだけではなく、怒りや悔しさは消えません。

中村裕之さん(保護者)

この計画を説明している最初の頃は、市教育委員会も押し切れると思っていたようでしたが、途中から「これは無理だ」と感じているはずで、そうした態度も見られました。

それにも関わらず、6年半という長い時間がなんで掛かってしまったのだろう、というのが正直な思いです。

福田さん(保護者・会代表)

本校に戻ってまずは嬉しかったが、なぜ今までこんなに時間が掛かったのかと思っています。

丹羽憲隆さん(会事務局)

特別支援学校の学校設置基準が理由ではないとはっきりしているのに、この点を持ち出したのは矛盾に思えるし、北綱島が設置基準を満たすようにしていくのはどのようにしていくべきかの「宿題」が出てきたのではないでしょうか。

佐藤和行さん(会事務局)

率直に「一区切りついた」という思いは持ちましたが、戻す理由が理由になっていません。実質的には閉校計画と分校化が間違っていることを市教育委員会が認めたということではないでしょうか。

実際、保護者に大変な苦労をさせてしまったのだから、教育長が保護者に直接会って謝ることで、保護者の気持ちがほぐれ、これから保護者と教育委員会が原点に戻って一緒に教育を進めていくベースができます。早くそこへたどり着いてほしい。

「どんなに抵抗しても無駄ですよ」

司会:市教育委員会の発言でもっとも印象に残っていることは、どんな内容がありましたか

山本さん(保護者)

市教育委員会から転校するように言われ、転校先の候補として、北綱島が閉校した1年後に青葉区で新設される県立の新設校が入っていたので、そこに転校するにはどうすれば良いのかを尋ねました。

すると、まず市立の若葉台特別支援学校(旭区)や上菅田別支援学校(保土ケ谷区)に転校し、青葉区に県立が新設されたらもう一度転校して、と言われた。転校は普通の子どもでも大変なストレスなのに、特にこういう重度の障害を持つ子どもたちです。モノじゃないんだから、と思いました。

鈴木さん(保護者)

北綱島を無くす理由として老朽化や広さのことを言っていので、市教育委員会に北綱島がこの地区にあることの大切さを話し、この地区に新しい学校を作ってほしいと伝えました。

すると、市教育委員会からは「このような子どものために新しく作ることはできない」と言われました。とても差別的な言葉であり、横浜市が障害児差別をしている発言で問題だと思っています。

北綱島特別支援学校は北綱島小学校に隣接して建っている

中村さん(保護者)

閉校計画が出た当初の保護者説明会で「市議会(横浜市会)にはもう説明済みなのでどんなに抵抗しても無駄ですよ」ということを言われたが、実際のところ議会に対しては「保護者は閉校に納得している」と説明していたようでした。

そんな事実はないのに、嘘を平気でついてこういう計画をまとめていくということに驚いた。

福田さん(保護者・会代表)

2017(平成29)年5月17日の保護者説明会では、「場合によっては自宅での訪問指導という形もある。学校へ行けなくなっても、教育の権利を奪うとは私たちは解釈していない」と言われた。

あまりにも教育への理解がなく、人権意識の無さにとても驚きました。

佐藤さん(会事務局)

なぜ分校にしたのかを聞くと、「経過のなかで分校となった」とまるで他人事。分校にしたのは市教育委員会なのに、あたかも自分たちがやっていないかのようです。教育行政に責任を持とうとしない姿勢には怒りを覚えました。

司会:こうした保護者の声は横浜市には聞こえているのか、報道関係の方から見てどう思いましたか

成田洋樹さん(神奈川新聞記者)

取材を始めたのは2018(平成30)年1月前後で分校の提案がなされたころでしたが、閉校計画が出て以降、保護者の皆さんは同じことを訴え続けているのに、教育委員会はそれをちゃんと受け止めていない状況が続いているのではないかと思っています。

「持ち帰ります」で答えてくれない

司会:横浜市教育委員会は今も「閉校計画と分校化は間違っていない」と言っていますが、どう思っていますか

山本さん(保護者)

どうしても間違っていないというなら、そのまま閉校にすれば良かったのではないかとも思います。

司会:実際にそうなってしまったら大変です

鈴木さん(保護者)

法改正があったから本校に戻ったということではなく、必要な場所で必要な学校だったから、あらためて本校に戻ったと実感しています。

中村さん(保護者)

本校に戻ったこと自体が間違っていたことの証明ではないかと思っています。こうしたことは市教育委員会も分かっているはずですが、間違っていないと言い張らざるを得ない立場というのが滑稽だし気の毒です。

福田さん(保護者・代表)

間違っていない理由を皆さんが納得できるように一度でも説明できたのか、ということを(教育委員会に)伺いたい。

丹羽さん(会事務局)

いろんなところで「居直り」が出ているなと感じます。議員の方に説明する際に、「保護者は了解している」とゆがめて伝えたり、有識者会議というところで分校化が進められたかのように話をしたりしているが、実際にはそんなことも語られていない。市会議員や教育委員の方々に事実と違う形で伝えては誤った方向へ導き、その最後がこういった形だったと感じました。

司会:計画の公表後は「保護者説明会」が何度も行われてきましたが、どんな様子だったのですか

中村さん(保護者)

保護者説明会はトータルでは36回とかそういう回数だったのではないでしょうか。そのたびに児童生徒を連れていったり、誰かに預けたり、学校で先生がボランティアで見てくださるケースもありました。

保護者にとってはかなり負担となっていたことに加え、説明会で質問をしても、まともには回答してくれません。「それは持ち帰ります」ということで、次回は答えてくれるのかと思ったら、次の時も答えてはくれない。

結局、教育委員会としては「(説明会の)回数をやりました」ということが目的で、こちらがくたびれて嫌になっているのを待っているのでないかというような受け答えをよくしていました。実りのない議論が2時間も続くのは相当な負担だったと思います。

教育委員会に「保護者の負担になっています」と伝えても、「貴重な意見を伺っているので我々はすごくプラスです」という。だったら言われたことをちゃんとやってください、と思うのですが……。

高田駅寄りから見た北綱島特別支援学校、決して広くはないが、保護者らは極端に狭いとも感じていないという

司会:みなさん頷かれていたので、保護者の方にとって「とんでもなく負担」だったということがわかりました。保護者の負担という面では他に何かありましたか

山本さん(保護者)

最初の説明会で「左近山(保土ヶ谷区)」へ転校するように言われたので、特に鶴見区の方は「遠いので通えない」と伝えたところ、市教育委員会からは「鶴見駅に皆さん集まっていただいて、バスか福祉車両で特急便で左近山まで連れていく」ということを言われました。

鶴見駅から左近山までは1時間で行けるのかもしれませんが、医療的ケアが必要で親が付き添わなければならない時は親も行かなければなりません。

また、自宅から鶴見駅へ行くまでに時間がかかります。たとえば朝1時間かけて駅まで送り、子どもを置いて1時間かけて自宅へ戻り、今度はまた1時間かけて迎えにいき、1時間かけて自宅へ戻ると最低でも4時間がかかり、送迎だけで1日が終わってしまいます。

「5校体制しかない」理由は不明

司会:このシンポジウムの主要なテーマですが、今回のような過ちを繰り返さないためにどうすればいいと思いますか

山本さん(保護者)

当事者不在のままで閉校計画が進められ、このような結果となりました。最初から当事者に意見を聞きながら一緒に考えていくということをしていれば、こんな間違いにはならなかったのではないでしょうか。

鈴木さん(保護者)

市教育委員会は間違っていないと自信があるのなら、第三者委員会を立ち上げ、自らの潔白を晴らすべきではないでしょうか。これをしないことが間違っていたことをしている証だと思います。

中村さん(保護者)

計画を起案して、起案書には多くの承認者のサイン(ハンコ)がある。それだけ多くの人がハンコをついていながら、この間違いに気づかなかったのが問題ではないでしょうか。検証しないとまた間違えてしまうので、今回のことは教訓にしてほしいと思います。

福田さん(保護者・会代表)

力づくでやってしまおうとすると、必ずトラブルが発生して、市教育委員会がやりたかった計画の実行が不可能になります。したくはないかもしれませんが、今回のことを検証して繰り返さないようにしてほしい。

司会:報道関係のほうからも一言いただけましたら

成田さん(神奈川新聞記者)

これまで市教育委員会は5校体制にするしかない、ということを事あるごとに説明してきましたが、その理由ははっきり言いません。

先ほど、保護者の鈴木さんが市教育委員会に「このような子どものために新しく(学校を)作ることはできない」と言われたという報告がありましたが、根っこの部分はここにあると推測できます。

納得できる説明をしないということは、保護者の方々とまともに向き合っていないということで、根っこには差別があるとしか受け止められない。きちんと向き合っていれば、こういう流れにはなっていなかったのではないでしょうか。

司会:ありがとうございました。プラスでご発言がありましたら、では山本さんお願いいたします

山本さん(保護者)

先ほど、鈴木さんから「障害児のための学校は作れない」ということを言われたとありましたが、それに関連した話です。

港北区では2020年4月に箕輪小学校(箕輪町2)が開校しました。その計画を作っている段階で、市会議員さんに新しい学校の計画があることを聞き、そこに特別支援学校も入るのかなと思いました。箕輪小なら北綱島特別支援学校からも近く、移転場所として保護者に負担のかからない場所です。

しかし、教育委員会からは、“一般の小学校は市に設置義務があるから作るが、特別支援学校は県に設置義務があるので作らない”ということを言われました。民間の土地を買って新たに設計するのだから、特別支援学校を入れることもできたのではないかと思えるのですが、そのあたりも差別なのだろうと思いました。

教育委は現場を助けてくれるはずなのに

司会:本日、会場には北綱島特別支援学校の元校長・村上先生がお越しになっています。ご発言をお願いできましたら

村上英一さん(元・北綱島特別支援学校校長)

「存続させる会」に初めて参加させていただき、本日さまざまなご意見を伺えてありがたく思っています。

私が北綱島特別支援学校に赴任したのは2015(平成27)年4月です。(最初に計画を伝えられたのが)5月のことでしたが、最初はとにかく「一切しゃべらないように」という説明があり、そこがスタートだったと思います。

再編整備計画というものを聞いた時、何をしたかったのか、何が目的なのか、横浜市として良いことがあるのかがまったく見えませんでした。

わずかな“良いこと”として、「新しい学校を作る」という内容だったが、なぜそれで、存在が大きくて一番良い学校が無くなるのかが結びつかない。何と何を足したらこういう計画になるのか。自分のなかでまったく結びつかなかったというのを覚えています。

校長でいた間には、説明などの形で計画に関わってきましたが、ちゃんと検証してデータをとってその結果どうなるのか、計画を実施する2年半後まで問題なく作り上げていけるのかといった点が見えず、実にお粗末だったと感じていました。

最初は「転校してください」という話だったので、計画の発表後に職員と一緒に横浜市の地図を広げ、子どもたちの居住地や学年など色別で印を付け、見えるようにしたことがあります。

北綱島特別支援学校のスクールバス

次は送迎バスの職員に「実際にこの計画が実施されたら、子どもたちのバス通学の時間は何分になるのか調べてほしい」とお願いしました。

職員からおそらく「90分から100分」と言われたように記憶していますが、それも順調に走ってのことで、道路事情が悪いともっと掛かる可能性が高いという。考えれば考えるほど不安になり、この通学は可能なものではないと思いました。

校長の立場として言えば、教育委員会は学校教育の「本部」であり、現場として困ったことがあれば、相談して、一緒に検討しながら課題をクリアし、子どもたちの学校を作り上げていく――、そんな助けてくれる場所だと思っていたのですが、まったく真逆でないかと感じます。

今まで30何年間の教員生活では「どうなのか?」と思うような計画もありましたが、理由はどこかに見つけられた。今回の計画は理由がまったくありませんでした。

言葉は悪いのですが、今回のことは戒(いまし)めとして(記録を)残しておくべきです。「あれはまずかったね」ということだけで終わるのであれば、同じことが繰り返され、また形を変えて何かの問題を発生させることになりかねません。

ぎりぎりの綱渡りで通学させている

司会:村上先生、ありがとうございました。最後に中村さん、今日のまとめをお願いいたします

中村さん(保護者)

娘はこの3月で卒業して社会人になっており、厳密には「保護者」という立場ではないのかもしれないのですが、思ったことを話してみます。

シンポジウムは約2時間にわたって開かれた

北綱島特別支援学校では1年間に数人のお子さんが亡くなってしまうような学校で、この6年半という時間のなか、かなりの数のお子さんとお別れをしてきました。

親はぎりぎりの綱渡りで生活し、子どもの体調を維持しながら通わせています。そうした学校でありながら、数合わせで、「この学校に何人入るからここ閉めても大丈夫」という安易な計画を立て、分校という形で学校は残ったものの、閉校するというところまでやってしまいました。

教育委員会がこういうおかしなことをしないのが一番良いのですが、このようなことを止められるのは、横浜市議会(市会)の担う部分は大きいのではないかと思いました。今回、協力してくださる議員さんがいて何とか踏みとどまることはできましたが、それがなかったらこのまま閉校されてしまっていたのではないでしょうか。

ぎりぎりのところでブレーキがかかって学校が残り、この4月には16人もの新入生を迎えることができました。それだけニーズのある学校だということを肝に銘じてほしい。

間違ってしまうことは誰にでもあります。それをごまかすのではなく、間違ったところは何だったのか、なぜ間違ったのか、繰り返さないために何をすればいいのか、次はどうすればより良くなるのかを考えるためにも、今回のことを検証をしていただきたいと願っています。

司会:「存続させる会」は6年半前に組織し、保護者と私たち近隣住民・元教員などが事務局として集まって何とか知恵を絞り、署名を集めたり議会に足を運んだり、何度も何度もやって保護者の声を届けました。身を粉にして働き、多くの皆さんの協力でやっと「本校」にこぎつけたというのも事実です。何もしなければそのままで終わっていたでしょう。市と向き合い、声をあげていくことは重要です。これからも学校を支えていきます。本日はYouTubeなどを通じご視聴ありがとうございました。

(シンポジウムの要旨は以上です)

【関連記事】

北綱島特別支援の「閉校騒動」を検証、6月5日(日)討論会をネット中継(2022年6月2日)

北綱島特別支援が「本校」復帰へ、閉校→分校→元通りと迷走続けた6年半(2022年2月16日、これまでの経緯)

【参考リンク】

北綱島特別支援学校を存続させる会(公式サイト)

・【YouTube】6月5日(日) 14:00~オンラインパネルディスカッション「北綱島特別支援学校 本校に戻ったけど・・・~6年半の閉校計画を検証する」映像ページ(当日のアーカイブ映像)


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