「東急グループ」と「慶應義塾大学理工学部」を現代に残した著名な実業家2氏の“もう一つの顔”に迫ります。
大倉精神文化研究所(大倉山2)は毎年恒例の「大倉山講演会」で、来月(2022年)5月は東急グループの実質的な創業者である五島慶太(1882年~1959年)、6月に慶應理工学部の開設に大きな役割を果たした旧王子製紙の藤原銀次郎(1869年~1960年)をそれぞれ取り上げ、教育者としての活動から見えてくる人と人生に迫ります。
2003(平成15)年に始まった大倉山講演会は、毎年3月から6月にかけて開かれており、今年は「世のために田を耕す~事業家の教育・福祉活動」と題し、企業経営で成功した実業家が果たした社会貢献に焦点を当てた内容となりました。
3月には第1回の「近代日本孤児院事業の軌跡と展開」を開き、今月は第2回「森村市左衛門と教育活動~森村学園の創立と私学への支援事業」を終えていますが、5月の第3回と6月の第4回は、日吉や綱島とも縁の深い実業家が取り上げられる回となっています。
東急・五島慶太の歩みに迫る
5月21日(土)午後に開かれる第3回「鉄道王・教育者の五島慶太を通してみる『人と人生』」では、東京都市大学付属小学校の前校長で現在は日本私立小学校連合会の会長をつとめる重永睦夫さんを講師に迎え、東急グループの実質的な創業者である五島慶太の教育者としての一面に迫ります。※2022年4月30日21時08分追記:5月の講座は満席になったとのことです(編集部)
東急グループの経営者としては、箱根や伊豆における西武グループ創業者の堤康次郎との激しい対立や、時に強引な企業買収を実行するなど、世間からは“強盗慶太”とも呼ばれた五島慶太ですが、教育者としては異なる顔がありました。
重永さんが執筆に携わった「五島慶太伝~東京都市大学グループの祖・五島慶太の立志伝」(2016年9月、学校法人五島育英会)によると、明治期に三重県四日市市の商業高校で英語教員をつとめた経験があり、教え子からは“ゴッド(God=神)慶太”との評が聞かれたといいます。
一方、当時流行していたスペイン風邪で妻を31歳で亡くし、太平洋戦争では跡取と目していた次男を失うなど、決して平坦ではなかった人生を振り返りながら、東京都市大学(旧武蔵工業大学)や東横学園大倉山高等学校(2008年閉校)などの教育機関を残した“鉄道王”の思いに迫ります。
私財で日吉に築いた工業大学
6月18日(土)午後に開かれる第4回の「藤原銀次郎と福澤諭吉の『実学』~慶應義塾大学理工学部誕生への道」では、戦前に旧王子製紙の社長をつとめ、私財をつぎ込んで慶應大学日吉キャンパス内に藤原工業大学(現理工学部)を設立した藤原銀次郎を取り上げます。
富岡製糸所の支配人を経て、旧王子製紙を再興した経営者として、“製紙王”とも呼ばれた藤原銀次郎。
慶應大学内に藤原工業大学を設けた経緯や、最初の卒業生を出す前に慶應大学へ合流せざるを得なかった戦時の苦悩とその後の歩みなどについて、慶應義塾大学福澤研究センター准教授の都倉武之さんが語ります。
両回とも会場は大倉山駅から徒歩約7分の「大倉山記念館ホール」で、開催時間は14時から15時30分まで。入場は無料ですが、事前申し込みが必要となっており、定員は各回60人。先着順のため、早めに申し込みたいところです。
【関連記事】
・情熱家が歩んだ大河のような90年、大倉山の元祖をマンガ伝記に凝縮(新横浜新聞~しんよこ新聞、2021年12月27日、大倉精神文化研究所の創設者も実業家だった)
・日吉に描いた「理想のキャンパス」、未完だから語り継げる歴史(2022年2月10日、藤原工業大学についても)
【参考リンク】
・5月21日(土)開催「鉄道王・教育者の五島慶太を通してみる 『人と人生』」(大倉精神文化研究所、案内と申し込み)
・五島慶太翁記念公園と五島慶太(長野県小県郡青木村)
・令和4年 大倉山講演会「世のために田を耕す~事業家の教育・福祉活動」の案内(大倉精神文化研究所、第4回の申込も)
・コラム「三井を読む」~藤原銀次郎(1869~1960)(三井広報委員会)