保護者や地域に不安と不信感だけを残した6年半でした。北綱島特別支援学校(綱島西5)が上菅田特別支援学校の分校となっている状態は今年度で解消され、新年度が始まる今年(2022年)4月1日から正式な「本校」に戻ります。
一昨日2月14日に開かれた横浜市会(市議会)の「こども青少年・教育委員会」で全員賛成によって決まったもので、本会議での可決を経て、北綱島特別支援学校は2019(平成31)年4月に始まった「上菅田特別支援学校北綱島分校」から元の状態に戻されることになりました。
横浜市教育委員会は、国による特別支援学校の設置基準と神奈川県による特別支援教育の指針がそれぞれ示されたことを受け、今後の受け入れ枠不足を解消するためには北綱島特別支援学校を含めて「現在の市立肢体(したい)不自由特別支援学校6校は最低でも必要」であることを理由としています。
手足や身体を動かすことが困難な肢体(したい)不自由など重度の障害を持つ児童・生徒が通う特別支援学校は、県立(一部は養護学校の名称)と市立があり、本来は県が設置の義務を持つとされます。
現在、横浜市内に肢体不自由児童・生徒向けは市立だけで、北綱島を含め、中村(南区)、東俣野(戸塚区)、上菅田(保土ケ谷区)、左近山(旭区=2019年新設)、若葉台(旭区=知的障害教育部門もあり)の6校が設けられています。
今から約6年半前の2015(平成27)年9月、市教委は校舎の狭あい化などを理由に「県立の学校とも適切な分担によって教育環境全体を充実していく」(当時の教育長)として、北綱島特別支援学校を閉校し、旭区に新設する左近山特別支援学校へ統合する再編方針を公表しました。
人口が増加する港北区内にある特別支援学校を閉校し、教育環境が整っているとはいえ旭区の新学校に統合するという考え方に理解は得られず、保護者や地域住民、横浜市会が猛反発。
市教委は反発を受けるたびに「期限付き分教室化」「分校化」「本校と同等の分校化」といった形で方針を転換していきました。
そして計画公表から約2年半後の2018年2月に市教委が出した結論は、学校名を変えず、教員体制も維持する形で、実質的に現状を変えないまま条例に「上菅田特別支援学校北綱島分校」と明記すること。これを横浜市会の賛成多数で乗り切りっています。
ただ、市の条例上では「分校」と位置付けられていることから、保護者らには再び廃校の議論が行われるのではないかとの懸念が強く残り、元の本校へ戻すよう求める声が多く上がっていました。
昨年8月に行われた横浜市長選挙では、2候補が「北綱島特別支援学校の本校化」を公約に掲げ、1人は当選し、もう1人も次点となっています。
加えて、当初閉校の理由として示していた校舎の狭あい化は、市教委が根拠としていた資料で児童・生徒1人あたりの面積を誤って算出していたことを2020年に明らかにするなど、当初計画の根底が覆されるような状況も生まれており、このまま分校化を続ける理由さえ見つからないのが現状でした。
市教委が閉校方針を公表してから約6年半、北綱島特別支援学校の再編計画は誰にもメリットを生まないどころか、児童・生徒と保護者らに無用な不安と不信感を残しただけで、ようやく幕が閉じられることになりました。
【関連記事】
・北綱島特別支援の保護者らがシンポ、閉校が突然告げられ「旭区へ転校を」(2022年6月8日、その後に開いたシンポジウム)※リンク追記
・北綱島特別支援学校は保土ケ谷・上菅田の「分校」に、“再編計画”は撤回せず(2018年2月21日)
・地域の大切な「北綱島特別支援学校」が消される!人口増なのに“縦割り行政”の弊害で(2016年9月20日)
【参考リンク】
・北綱島特別支援学校の公式サイト(綱島西5、日吉本町駅から徒歩約10分)