[PR]「ヨーヨー」全国優勝の社労士が綱島に本拠地移転、さらなる地域密着を志す | 横浜日吉新聞

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法人サポーター会員によるPR記事です】好きなことに夢中になれることの大切さを伝えたい――港北区在住の女性社労士が、ヨーヨーの全国大会で優勝。仕事の拠点を都内から綱島に移転し、地域での活動を本格的にスタートしました。

「ヨーヨー社労士」飯塚知世さんが代表を務める「スピカ社会保険労務士事務所」公式サイト。昨年(2020年)10月から拠点を綱島に移転、さらなる地域密着を志し活動を行っている

「ヨーヨー社労士」飯塚知世さんが代表を務める「スピカ社会保険労務士事務所」公式サイト。昨年(2020年)10月から拠点を綱島に移転、さらなる地域密着を志し活動を行っている

綱島温泉で、ヨーヨーをいつか披露できればと、東急東横線沿線に住むことを選んだのですが」と、昨年(2020年)10月1日から綱島西6丁目に、東京都新宿区から事業所を移した「スピカ社会保険労務士事務所」代表で社会保険労務士(社労士)の飯塚知世(旧姓:七田=しちた)さん。

事業所移転に先立ち、昨年1月に同所にワークショップスタジオを開設。

同10月24日・25日に愛知県岩倉市で開催された全日本ヨーヨー選手権大会で、飯塚さんは女性部門での優勝を果たします。

1月26日(火)夜にオンライン開催されるトークイベント「港福一夜城(こうふくいちやじょう)」への初登壇も決定した(港福城プロジェクトによるサイト)

1月26日(火)夜にオンライン開催されるトークイベント「港福一夜城(こうふくいちやじょう)」への初登壇も決定した(港福城プロジェクトによるサイト)

テレビやメディアへの登場も増え、その著名度は上がる一方という状況の中でも、「子育て世帯も多い綱島や日吉近郊、そしてこの港北区で、“ヨーヨー”の楽しさを伝え、また働く人々のつながりを広げていくことができれば」と熱く語る飯塚さん自身も、2児の子育てを行う「働くママ」として日々奮闘しています。

来週(2021年)1月26日(火)夜にオンラインで開催されるトークイベント「港福一夜城(こうふくいちやじょう)」(港福城プロジェクト主催)での初登壇も決定。さらなる“地域密着”を志す飯塚さんの日々の活動、そして想いとは。

「コロナ禍」にも負けない「クラウド専門」社労士として、「オンライン」での対応で全国をエリアとし事業を行う飯塚さんのこれまでの歩み、「ヨーヨー」を通じた社会貢献の“夢”について、詳しく話を聞きました。

活発な幼少期、「自分らしさ」尊重してくれた両親に感謝

「凛」とした表情で、ヨーヨー界での活躍を続けてきた飯塚さん。幼少期を過ごした千葉県千葉市の団地が、その原点。当時、幼稚園や公園で男児とともに活発に遊んでいた姿が思い浮かぶと語ります。

活発に育ったという飯塚さん。父親は当時の自分の個性を尊重してくれたという(1994年2月の小学生時代、飯塚知世さん提供)

活発に育ったという飯塚さん。父親は当時の自分の個性を尊重してくれたという(1994年2月の小学生時代、飯塚知世さん提供)

「2歳頃から、仮面ライダーや戦隊ヒーローに憧れて、お面を被ったり、剣を持ってみたり。男の子みたいな感じでしたね」と、 おままごとや人形といったものには全く興味を持たず、“スカートをはくのも嫌だった”という当時を振り返る飯塚さん。

母親がピアノの先生をしていたことから、「生まれた頃からピアノが日常にある環境だったのですけど、自身、興味を持てずにピアノ教室から逃げ出していました」と、結果、通常ピアノを習い始める3歳頃にピアノを辞めたという経験も。

しかし、両親からは“スカートをはきなさい”とか、“女の子らしくしなさい”といったことは一切言われなかったといい、「ラジコンが欲しいといったら、父は買ってくれるばかりでなく、一緒に遊んでくれました」と、世間が言う「女らしさ」や「男らしさ」にはめるのではなく、“自分らしさ”を大切にしてくれたことに、今でも心から感謝していると飯塚さんは語ります。

海外転校で知った「言葉の壁」、サッカーやヨーヨーとの出会いも

千葉市内の小学校に入学したものの、小学校2年生の夏前から、製薬会社に勤めていた父親の仕事の関係で、ヨーロッパ・スイスの第3の都市で、フランスとドイツに国境が接しているバーゼルに転校することになった飯塚さん。

ヨーヨーと出会うことになった運命の「ベネチア旅行」で、母親と(飯塚知世さん提供)

ヨーヨーと出会うことになった運命の「ベネチア旅行」で、母親と(飯塚知世さん提供)

「英語が一切話せない状態で、授業は全て英語で行われるインターナショナルスクールに通学することになり、それまで活発だった自分が、“言いたいことを言えない”状況になりました」と、結果、英語をなんとか覚えて、言葉がわからない中でも「言いたいことを言える」ようになりつつあった当時について語ります。

スイスで最も夢中になったのがサッカー。「スイスはサッカーが盛んで、当時、国籍や男女問わず楽しむことができました」と、元「活発」だった自分らしさをサッカーで発揮したといいます。

小学校5年生の夏休みには、家族旅行で訪れた隣国イタリアの観光地ベネチアのサン・マルコ広場で、光るヨーヨーを華麗に操る土産店の行商人を見て、「ヨーヨーをやってみたい」と両親に伝えると、その場でヨーヨーを買ってもらえたとのこと。

人生を変えることになった「ヨーヨー」と出会った運命的なエピソードについて、飯塚さんは懐かしそうに当時を振り返ります。

帰国して再びぶつかった「壁」を乗り越えヨーヨーの世界に

父親の海外赴任が終了し、小学校5年生の秋に日本に帰国してからは、また新たな壁に飯塚さんはぶつかります。

インターナショナルスクールに通っていたスイス時代。日本に帰国してからは「空気を読まなければ」ならない、日本独特の雰囲気に戸惑ったという(飯塚知世さん提供)

インターナショナルスクールに通っていたスイス時代。日本に帰国してからは「空気を読まなければ」ならない、日本独特の雰囲気に戸惑ったという(飯塚知世さん提供)

当時は、まだ全日本女子サッカー界でも「なでしこジャパン」という名称すら存在しておらず、まだ女子サッカーが著名でなかったといい、「帰国して、地域の男子チームに入ったのですが、“女子なのに”というヤジがあり、女子はサッカーをやるものではないという雰囲気を感じて、サッカーを辞めることにしました」と、スイス時代とは異なる空気感から、やむなくサッカーを辞める決断に至ってしまったというのです。

しかし、飯塚さんを救ったのは、ベネチアで出会った「ヨーヨー」

折しも、日本にも「ハイパーヨーヨー」の一大ブームが訪れたといい、「コミック雑誌で連載されていたヨーヨーの技を、独学で学ぶことができたんです。千葉の団地では、男児たちがみんなヨーヨーで夢中になり、一緒になり遊んでいました」と、サッカーをできないことで持て余していた力で、ヨーヨーに“全力投球”できたといいます。

1998(平成10)年に全日本2連覇を達成した飯塚さんだったが、当時は「女子だから」と言われることが苦痛に感じたという(2020年10月の全日本ヨーヨー選手権大会の女性部門優勝時、飯塚知世さん提供)

1998(平成10)年に全日本2連覇を達成した飯塚さんだったが、当時は「女子だから」と言われることが苦痛に感じたという(2020年10月の全日本ヨーヨー選手権大会の女性部門優勝時、飯塚知世さん提供)

その成果か、1998(平成10)年の春と秋に出場したヨーヨーの全国大会「ハイパーヨーヨー・ジャパン・チャンピオンシップ」のレディース部門で、飯塚さんは晴れて全国2連覇を達成します。

世間の注目を集めたこともあり、「ハワイで活躍していたヨーヨーのプロ集団からの誘いも受けたのですが、やはり、競技人口で女性が少なかったこともあり、“女だからスカウトされたのだろう”という声があがったんです」と、またも「女性だから」という一部の人々の言葉に傷ついたという飯塚さん。

ブームの下火、さらには“燃え尽きた”感もあり、「一旦、ヨーヨーの世界から離れることになりました」と、せっかく“日本一”にまで輝いたヨーヨーの世界でも、「女性である」ことでの一部の人々の蔑視(べっし)を感じ、一旦去ることを決断したと、今の「社労士」の仕事に至るきっかけにもなった当時のエピソードについてしみじみと振り返ります。

女性が生きるために法律を学び、「ヨーヨー社労士」になるまで

いつしか「女性が一人で生きていくために」との想いを強く抱くようになった飯塚さんは、ソフトボール部のキャプテンとして活躍した千葉市立稲毛高校(千葉市)を経て、明治大学法学部に進学。

中学、高校時代とヨーヨーから一時期離れたが、大学時代に「人とのつながり」からまた復活することになった(2019 年6月の全日本ヨーヨー選手権大会の女性部門第2位獲得時、飯塚知世さん提供)

中学、高校時代とヨーヨーから一時期離れたが、大学時代に「人とのつながり」からまた復活することになった(2019 年6月の全日本ヨーヨー選手権大会の女性部門第2位獲得時、飯塚知世さん提供)

2004(平成16)年から法科大学院の制度がスタートした当時の世相もあり、「当初は、弁護士になろうかと思ったのですが、結果、弁護士の勉強には夢中になれませんでした。法律の知識を得ることができたのは大きかった」と語る飯塚さん。

代わりに夢中になれたのが、「かつてのヨーヨー仲間から誘われて」復活したヨーヨーの世界

2006(平成18)年からはアジア大会や世界大会にも出場、ヨーヨーの人気作品のリバイバル映画として同年に公開された「スケバン刑事~コードネーム麻宮サキ」(東映)で主演した松浦亜弥さんにヨーヨーを指導、ヨーヨーシーンのスタントとしても出演するなど、勉学とヨーヨーの世界を両立しながら、その腕も磨くことができたと当時を振り返ります。

プライベートでは、ヨーヨーの地方大会を通じ知り合った、2010年に米国・フロリダで開催された世界大会で6位の実力を持つ飯塚隆大(たかひろ)さんと2015年7月に結婚した(飯塚知世さん提供)

プライベートでは、ヨーヨーの地方大会を通じ知り合った、2010年に米国・フロリダで開催された世界大会で6位の実力を持つ飯塚隆大(たかひろ)さんと2015年7月に結婚した(飯塚知世さん提供)

社会人になり、大手通信会社(東京本社)の営業職として就職し、地元・千葉県の担当エリアを駆け回るも、「土日も仕事、深夜まで働く環境でした」と、インターネットの知識を得られたものの、ヨーヨーを一切できない環境だったこともあり、同じ千葉県内の税理士法人にキャリアチェンジ。

さらに、「好きを仕事にしたい」との想いから音楽制作会社に転職、関連会社5社の立ち上げとバックオフィス業務全般のマネジメントに従事するも、「やはり、仕事の環境は深夜まで及ぶなど、考えさせられることも多くありました」と、一社員として企業に勤務した当時を思い起こします。

人材の多様性を活かし、また一人ひとりがより輝きながら働く環境づくりを支援できる国家資格の「社会保険労務士」を目指すことを決意し、晴れて2014(平成26)年11月に試験に合格、同12月に勤務登録をするに至ります。

「つなぎ塾」きっかけで綱島に移転、地元で働く輪の構築を

得意のインターネットスキル「クラウドツール」を活用した人事労務業務の効率化の推進や、「すべての人が生き生きと輝ける」“前途洋々”な会社づくりを支援するために、2017(平成29)年5月、「スピカ社会保険労務士事務所」を設立した飯塚さんは、現在、2児の子育てを行いながら業務に邁進しています。

綱島に拠点を移転したのは「港北つなぎ塾」で区内の人々と出会ったから。「多様な価値観を尊重し、人材活用の支援を行っていきたい」と飯塚さん(スピカ社会保険労務士事務所提供)

綱島に拠点を移転したのは「港北つなぎ塾」で区内の人々と出会ったから。「多様な価値観を尊重し、人材活用の支援を行っていきたい」と飯塚さん(スピカ社会保険労務士事務所提供)

昨年(2020年)10月に、それまでの東京都新宿区から、港北区綱島に事務所を移転したことについて、飯塚さんは、「(横浜市港北区などが主催した)『港北つなぎ塾』に出席したことがきっかけでした。港北区には、魅力的かつ多様な方々が活躍していて、この人たちとなら、一緒に何かをできるのではないかと感じたことが大きな要因です」と、昨年1月から2月にかけて港北区役所で開催された同イベントでの数々の出会いが大きかったと説明します。

業務と平行して「好き」なヨーヨーもさらに高みを目指してきた飯塚さんは、2019年の全日本ヨーヨー選手権大会(横浜市で開催)では女性部門で第2位に。昨年(2020年)の同大会では優勝の栄冠に輝くなど、まさに「今」を楽しみ、前を向いて歩いているかのように多くの人の目に映ります。

「好き」と「得意」を共有することを目的とした人と地域とつながるワークショップ「前途洋々プロジェクト」(写真は同サイト)を綱島で立ち上げた

「好き」と「得意」を共有することを目的とした人と地域とつながるワークショップ「前途洋々プロジェクト」(写真は同サイト)を綱島で立ち上げた

しかし「新型コロナウイルスという“見えない敵”は恐ろしいですね」と飯塚さん。

「好き」と「得意」を共有し人と地域とつながるワークショップをコンセプトに、昨年1月に友人である薬剤師兼ナレーターの土屋恵美 (めぐみ)さんとともに綱島で立ち上げた「前途洋々プロジェクト」も、現在、リアルでのワークショップの開催は休会中。

それでも、30を超える社労士の取引先との業務や、これまでの半生で1000人を超える人々への指導を行ってきたヨーヨーに関係する仕事は尽きない状況が続いているといい、「ぜひ、地元でも、ヨーヨーの楽しさ、人とのつながりを大切にする人事労務関連の仕事の輪を広げていくことができたなら」と、まさに「好き」で住むことになった港北区、そして身近な地域社会でも、人と人とのつながりをより広げながら、社会貢献を果たしていきたいとの意気込みを語ります。

「ヨーヨー社労士」として、子育てと仕事を両立しながら、より一層の地域に根差した活動を行っていくことを夢に描いている(スピカ社会保険労務士事務所提供)

「ヨーヨー社労士」として、子育てと仕事を両立しながら、より一層の地域に根差した活動を行っていくことを夢に描いている(スピカ社会保険労務士事務所提供)

「地元地域で、インターネットを活用して働きたい、人事労務や社会保険を学びながら働きたいという子育て中の方がいらっしゃれば、ぜひ声をかけてもらえれば」と飯塚さん。

かつて感じた、「男らしさ」や「女らしさ」という型に括られることもなく、自由に、そして大きな夢を描き、新たな港北区、そして綱島・日吉エリアでの夢を描こうとする飯塚さんの挑戦。

時に息苦しさを時に感じることもあるかもしれない「これまでの価値観」の中で縛られた人々を、違う角度から見つめ、「ヨーヨー」で培った新たな価値観「前途洋々」とした未来を切り拓き、そこに誘う「水先案内人」としての役割を担うことでの、より大きな注目を集めていきそうです。

※ 記事の掲載内容については、直接「スピカ社会保険労務士事務所」にお問い合わせください。

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【報告】「港北つなぎ塾~ワクワクする情報発信でつながろう」を港北区と開催しました(2020年2月14日)※飯塚知世さんも「子育て・教育」グループで発表に参加

【参考リンク】

スピカ社会保険労務士事務所公式サイト

【イベント出演】2021年1月26日『港福一夜城vol17 オンライン新年会 スキを止めない!2021楽しいを追求する暮らし方』に代表飯塚が出演します!(同)

「ヨーヨー社労士」飯塚知世のプロフィール(ヨーヨー社労士のブログ・前途洋々~ZENTO YOYO~)

「前途洋々プロジェクト」公式サイト

法人サポーター会員:スピカ社会保険労務士事務所 提供)


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