【法人サポーター会員による提供記事です】人生、生涯の最後(最期)を飾るセレモニーを彩るためにはどうすればよいか。そんな小さな疑問にも答えてくれる、日吉・綱島・高田エリアに「地域密着」した葬儀店があるのをご存知でしょうか。
地下鉄グリーンライン高田駅から徒歩4分の県道「荏田(えだ)綱島線(日吉元石川線)」沿い、道路向かいに大型ホームセンター「HOME’S(島忠ホームズ)港北高田店」(高田西1)や株式会社トーエル本社(同)もある立地にある「葬儀のりょうしん」(高田西2)は、この地で今から12年前の2006(平成18)年5月に開業してからちょうど満12年を迎えました。
店名は、独立前の会社の名前の一部分(凌=りょう、の字)と、“心のこもった”という意味、また「両親」や、「良心」といった意味も重ねて「りょうしん」と命名したという、同店代表の菅野(すがの)信一さんが、“地域により必要とされる”葬儀店としての歩みを重ねてきた理由と、現在の事業内容、またこれからの葬儀の在り方についてなど、詳しく話を聞きました。
生まれ育ちは「綱島」、東京や厚木で修業の後、独立へ
人の人生を見送る「葬祭業」という仕事に、これまで20余年もの時間をかけて従事してきた菅野さんは、綱島生まれ・育ち。

葬儀のりょうしんの公式サイト。24時間、無料相談受付中とのこと。菅野さんのイラストは「名刺店がデザインしてくれました」。高田中央商工会や、綱島商店街協同組合に所属するなど、地域に根差した活動を志してきた
高校卒業後、社会人になり東京・品川、神奈川・厚木の葬儀社でそれぞれ修業。「特に品川での勤務時代は広範囲の業務を扱い、北は荒川区など下町まで出向いて葬儀を行うこともありました。厚木の仕事も、県内の葬祭事情を学ぶのに大変役立ったんです」と、競争も激しい東京都内や神奈川県での厳しい“競争”環境の中、最先端の情報や手法を学び体得し、業界についてしっかりと学べたことは大きかったと当時を振り返ります。
その後、「地元で仕事ができたら」と菅野さんが見つけたこの高田西の地で新たに創業。この開業を支援した親会社が2年も経たずに撤退し、2008(平成20)年、菅野さんは自らの経営で事業を行うことに。
立地も、「高田駅からも近く、バスで綱島、地下鉄で日吉にすぐ抜けられます。車の利便性も高いので、この場所でと選びました」と、人口増加が続くグリーンライン沿線、また港北区内、特に鶴見川以北で不足しがちだった葬儀業界の事情も考慮したとのこと。
生まれ育った土地での創業、また地域に根差した情報網やつながりを活かした対応を行っていることからか、知り合いや、実際に葬儀を行った人からの紹介での依頼が大多数を占めているとのことですが、「日吉や新吉田など、全く新規での相談も増えているんです」と、新たな住民も多いこの地で事業を行う意味や意義を日々感じていると語ります。
ふるさとのネットワーク活かし、地元での葬儀に「最善を尽くす」日々
菅野さんは、“ふるさと”で育んできた知識や経験を活かし、地元・綱島の東照寺(綱島西1)や高田の称念寺(高田西2)、興禅寺(高田町)や妙蓮寺(菊名2)、西寺尾会堂(神奈川区)や横浜市北部斎場(緑区)などにて、800人規模の大規模なセレモニーから、少人数の家族葬まで、それぞれの要望に合った葬儀を行っているとのこと。
「特に宗教や宗派も問いません。24時間、緊急での対応もしています」と、地域ならではの事情に精通していることで、先々の不安や、急ぎでの困り事にも全力で対応したいと菅野さんは語ります。
特に、「生前」での相談が近年増えているとのことで、「終活ブームの影響からでしょうか。親子で一緒に来店される方、入院中の家族の状況を心配していらっしゃる方、さまざまなケースがあります。相談も随時受け付けていますので、現在のご状況をまずはお聞かせいただけたなら」と、個別に対応してきた地元での経験の中でプランを提案できるよう、最善を尽くしたいとのこと。
「葬儀」を生前から語れる時代、多様化したニーズに対応
「超高齢化社会」の次に到来すると言われる「多死社会」が迫る中、自分や家族にとっての「死の在り方」もより問われるであろう近年、どのように「地域社会」で亡き人を見送るかにもより大きな注目が集まっています。
核家族化、一人暮らしの高齢者の増加もあり、最近の葬儀のトレンドは「大規模にはしない」、「お金をかけない」というものから、逆に、とにかく「盛大にしたい」場合、また「故人の趣味や遺志を尊重」したアレンジ葬など、価値観の多様化を反映し、実にさまざまな要望があると菅野さんは説明します。
「最近では、病床の本人の代理で、家族から相談をされることもあります。葬儀について語り合うことが、一昔前のようにタブーでなくなり、むしろご遺族にとってはプラスに働くという世相も、背景にはあるのかもしれません」と、一人ひとりが、自身の“旅立ち”についても、生前から、しっかりと考える時代になったと感じるといいます。
高田や綱島の街を中心に、商店街などでの地域活動にも積極的にかかわりながら、地域社会、そして時代のニーズも、積極的に葬儀に採り入れていきたいと語る菅野さん。
「故人のご遺体も預かれるスペースも先月(2018年5月)に事務所隣に増床・新設しました。故人そしてご遺族に、住みなれた土地でこそ行うことができる、“心に寄り添う”葬儀をこれからも行っていくよう努めていきたい」と、この地域に住まう者としての責務として、“今、そして未来”の葬儀の在り方をみつめる菅野さん。
その目は、例え“多死社会”に突入しても、一人ひとりの「心」だけは見失わない。そんな風にも見える菅野さんの静かな決意が、この地域での「見送りの場」を、これからも広く、しっかりと支えていきそうです。
【参考リンク】
(法人サポーター会員:葬儀のりょうしん提供)