4軒の焼肉店が至近距離で営業していたことから「焼肉交差点」と呼ばれた綱島街道の木月4丁目交差点(中原区)から焼肉店の痕跡が消えつつあります。最後まで残った「樹樹(じゅじゅ)」の跡地が更地となり、大型店「北京」の建物は解体の最中です。
綱島街道と尻手黒川道路が交わる木月4丁目交差点は、2000年代の前半まで、日吉側に「北京」(綱島街道)と「樹樹」(尻手黒川道路)が向かい合わるような形で2軒、綱島街道の東急元住吉車庫(元住吉検車場)側に「新福」と「公苑(こうえん)」の2軒が営業していました。
交差点の四隅に焼肉店があるというわけではなかったものの、元住吉側から綱島街道を日吉へ向かって車で走ると、交差点付近で次々と焼肉店の看板が見えることになり、焼肉交差点と呼ばれたようです。
2010年ごろまでに公苑と新福が閉店し、2015年4月には北京が火災を機に移転、翌年1月に樹樹も突如店を閉じ、焼肉店がすべて消えていました。
先に閉店した2軒は病院や商業施設に転換。樹樹の跡地は建物ごと売りに出されたものの、買い手が付かなかったのか解体後、現在は更地となっています。一方、5階建てのビルとなっている北京はこれまで手付かずでしたが、このほど解体作業に着手されました。
同地は主要道路が交差する利便性の高い場所ではあるものの、元住吉駅と日吉駅の中間地点にあり、周辺では駐車場の確保が難しいことから、焼肉店が衰退したとの指摘もあります。2つの店舗跡地の活用方法は未定ですが、焼肉交差点はこのまま過去の思い出となっていくのでしょうか。
(※)読者の方からの情報提供をきっかけに取材しました。ありがとうございます。
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