解体進む旧日本興亜の研修ビル「日吉センター」、建物が真っ二つに | 横浜日吉新聞

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アピタ日吉店に隣接する損保ジャパン日本興亜の「日吉センター」だった建物の解体(箕輪町2)が順調に進んでおり、(2016年12月)17日現在、横長のビルは真ん中部分だけ跡形もなくなり、綱島街道からは新川崎駅近くのタワービルまで一望できるようになっています。

建物が崩された合間から新川崎のタワービルが見える(2016年12月17日)

建物が崩された合間から新川崎のタワービルまで望める(2016年12月17日)

この日吉センターは、当時の興亜火災(現:損保ジャパン日本興亜)が、コンピュータによる事務処理や社員研修を行う場として72億円をかけて約30年前の1986(昭和61)年4月に開設した大規模施設でした。かつて、102名が収容できる宿泊施設を併設し、同社の社員が自動車修理費の見積りを学ぶために使っていたといいます。

地上5階・地下1階の鉄筋コンクリート造りの建物は築30年ほど。まだ使えそうな施設でしたが、合併などで興亜火災の経営環境が変わるなかで、近年は研修施設としての役割を終えていたようです。

NRI野村総研のデータセンターはまだ残っているが、桜並木の多くは切られ、正面のパラボラアンテナも消えた(12月17日)

新小学校が建てられる予定のNRI野村総研のデータセンターはまだ残っているが、桜並木の多くは切られ、正面のパラボラアンテナも消えた(12月17日)

損保ジャパン日本興亜の日吉センターに隣接して建てられているNRI野村総研の「日吉データセンター」と「日吉寮」はまだ解体が行われていませんが、正面に置かれた象徴的な「パラボラアンテナ」はすでに撤去されていました。

1320戸のマンションと小学校建設などを中心とした巨大再開発に向けて、旧アピタ日吉店など一連の跡地は、今も少しずつ風景を変えています。

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