綱島SSTの片隅に40年以上前の事故供養碑、道路改修で情報呼びかけ | 横浜日吉新聞

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綱島SST付近の供養碑
歩道の緑地帯で交通安全を訴え続ける供養碑

歩道の緑地帯で交通安全を訴え続ける供養碑

この供養碑についての情報を――。「アピタ横浜綱島店(仮称)」の工事が進む綱島SST(Tsunashimaサスティナブル・スマートタウン)の片隅に供養碑があるのをご存知でしょうか。歩道の緑地スペースに置かれた高さ50センチほどの石碑には、童子(わらし)の姿が彫られ、交通安全を訴えています。

ところが、これから道路改修工事を行ううえで碑が支障となるらしく、最近になって鹿島道路株式会社横浜営業所が「この供養塔について、連絡を頂きたいと思います」といった看板を立て、連絡を呼び掛けています。

この碑は、北綱島交差点から日吉6丁目や綱島東5丁目方面へ向かう日吉元石川線(市道箕輪第258号線)の歩道上に置かれているもので、場所は「好太製作所」(箕輪町2丁目)の真正面付近で、住所では綱島東4丁目。綱島SSTのアピタ建設予定地に接しています。

碑は北綱島交差点から近い綱島東4丁目に置かれている。道路の反対側は箕輪町

碑は北綱島交差点から近い綱島東4丁目に置かれている。道路の反対側は箕輪町

碑には1973(昭和48)年10月との記載があり、1959(昭和34)年から当地にあった松下通信工業(現パナソニックモバイルコミュニケーションズ)が増築工事を行う際のダンプカーによって、5歳の我が子の命を奪われたとの内容が彫られていました。

大林組の資料などによると、1969(昭和44)年に松下通信工業が工場を増築したとの記録があり、その際、不幸にも事故に遭ったのかもしれません。

碑に掘られている全文は次の通りです。

・・・・・・

【表側】

宝真童子

昭和四十八年十月二〇日

交通安全

【裏側】

碑の裏側には万葉集の山上憶良(やまのうえ の おくら)による子を思う歌が刻まれている

碑の裏側には「万葉集」の山上憶良(やまのうえ の おくら)による子を思う歌が刻まれている

白金も銀も玉もなにせむに

まされる宝 子にしかめやも

憶良歌

松下通信増築工事用の一ダンプカーの

非道な運転によって 五歳の生命と未来

を奪われた愛児 慎を悼みて

父 西沢優
母 千尋

・・・・・・

1973年10月に建てられたとすると、すでに43年の月日が流れており、建設主とみられる両親も含め、付近に経緯や事情を知る人は少なくなっている可能性があります。ただ、今も碑の前には供え物や花などがたむけられている姿は多く見られます。

碑についての情報を持っている方は、鹿島道路の横浜営業所(045-312-2603)へ。

【参考リンク】

碑が置かれている場所(グーグルマップ)


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