新緑萌える5月、日吉周辺の街の薔薇(バラ)の花も目に鮮やかに――花と緑のまちづくりをテーマに掲げた横浜市港北区のイベント「港北オープンガーデン」は、2016年4月22日(金)から3日間行われ、多くの見学者で賑わいましたが、来たる5月13日(金)から15日(日)までの同じく3日間の開催で最終章となります。
4月には9カ所のみだった日吉地区に、5月は新たに日吉台光幼稚園(日吉本町1)、加藤紀美江さんの庭(下田町1)、加藤香里(かおり)さんの小さな庭(下田町1)、塚本さんの庭(日吉本町6)、春原(すのはら)さんの庭(日吉本町6)の5カ所もの見学ポイントが増え、人気があるという「薔薇(バラ)の花」も現在、日吉の街で見頃を迎えていることから、より来訪者が増えると予想されています。
今回のオープンガーデンの中でも特に注目の場所は、日吉では初めての開催となった2014年の第2回目の港北オープンガーデンから参加、今回の2016年4月にも公開された「日吉山荘」こと鼠入(そいり)さんの庭(下田町1)です。
この「日吉山荘」は今から60年以上前、1954年(昭和29年)に建てられた個人の住宅。慶應義塾大学の経済学部元教授・故川田寿(ひさし)さん(1905-1979)、妻の定子さん(1909-1999)の邸宅として知られていました。この「日吉山荘」に、当時の風潮として、教授や家族が学生を自宅でおもてなしをすることが多かったという教え子の学生たちが事ある毎に集い、今の時代では考えられないほど頻繁に寝食を共にしたといいます。
そんな濃密な学生時代を過ごしたゼミの卒業生たちは、1979年(昭和54)年に川田教授が他界した後も、この懐かしい教授ゆかりの邸宅「日吉山荘」を「川田会」と呼ばれる、500名を越えるという元川田ゼミのメンバーたちで守ってきたといいます。
この多くの学生たちの想い出に満ちた「日吉山荘」が売却されるという情報が、会社員として勤務していた鼠入さんの元に入ってきたのは、1994年(平成6年)のこと。
元々、東京・赤坂生まれの鼠入(そいり)俊之さん。荻窪に転居した後の中学生の頃、「横浜に憧れて」当時流行していた横浜・元町(中区)の高級スーパー「もとまちユニオン」まで買い物に行き、紙袋を「通学に使うほど、横浜のお洒落な風情が好きでした」と、懐かしい青春時代について、少年のような笑顔で語ります。
憧れの街であった横浜・東横線沿線の街で鼠入さんは家庭を持ち、日吉駅近くのマンションに住み、最後の住宅購入を考えていた折の、「日吉山荘」売却の連絡。「これは」と、早速、この場所まで訪れたといいます。
鼠入さんがこの「日吉山荘」を訪れた時には、川田教授が逝去してから約15年も経ち、妻の定子さんも既にこの地を離れていたといい、「完全に荒れ果てていました」と、この建物を初めて見た当時の状況を振り返ります。
「“お化け屋敷みたい”と娘に住むのを大反対されるほどでした。しかし、この家を、日吉駅から松の川緑道を歩き、散歩して来た時に、散歩で駅から来れる距離なんだ、こんなに美しい森や自然の風景が、この街・日吉にはあるんだ、と胸が高鳴ってしまって。ふと、この建物を庭から振り返った時に、妻が、“ここに住みたい”と言ったんです。それが、この家に住もう、と決心する決断に至るきっかけとなりました」と鼠入さんは懐かしく当時について語ります。
それからというもの、鼠入さん夫妻は、家や庭を「住める状態に」するための“壮大な”リフォームを開始。川田さんの親族のご意向で、「ベットやシャンデリア、本、食器まで全て引き受けることになりました」と、残された川田ご夫妻ゆかりの品々も活用しながら、「壁の漆喰(しっくい)まで全て塗り直しました。“あばら家”と言えるようにまで荒れ、朽ちていた家や庭を、一つ一つ、図面を引いて、また手作り作業で作り直したんです」と鼠入さん。
大手建設会社で元々建築や図面には造詣も深く、部下を多く育て、メディアでも報じられるほどまでに活躍していた鼠入さんは、この家を買い、また作り変えることで、新たな価値感を感じたといいます。
「会社では、普通に部下がたくさんいて、それなりに誰もがちやほやしてくれる環境でした。しかし、その後ろにはやはり“お金”という背景があるものなんです。“肩書”がない自分、それこそが本当の自分なんです。この家を購入してから、家族や自分の居場所、というものがとても大切だ、と気付かされました」。
それまで当り前のようにしていたゴルフや、飲み会のお金すら、惜しくも感じられるようになったという鼠入さん。少し、人より早く会社をリタイアし、庭づくりや、人生に悔いがないような“好きなこと”をやっていこうと決め、定年を待たず、58歳で会社を退職するに至った「心の変化」を熱く語ります。
そんな鼠入さんが、「情熱を傾けて」21年間作り上げてきた家や庭は、一つ一つが手作り。「この外観の白いペンキも、全部今年に入ってから塗り直してしまいました。屋根に一年間で3回登ることもあります。桜の木の葉が、落ちてしまうんです。平屋だから、危険ではないほうだと思いますが」と、その苦労も生きがいとなっている様子が、生き生きと伝わってきます。
川田教授ご夫妻から“引き継いだ”物の中で、最も大きく影響を受けたものが二つ。一つは、「日吉山荘」を建てた時の様子が書かれた、川田教授による手書きのノート。「一つ一つ、全て、材料の値段から、完成に至るまでの資料、様子まで記されているんです」と、今も残るそのノートをそっと見せてくれた鼠入さん。
そして、もう一つが、1960年(昭和35)年に刊行された書籍「園芸全書」(主婦の友社刊)。川田教授の妻・定子さんが、「この“日吉山荘”に植えられていた庭木、草花について、一つ一つ勉強されていたのか、こんなにも線が引かれているんです」と、川田夫妻が、どれだけこの家や、この家を取り囲む自然の草木・花たちの素晴らしさを愛していたのか、強く感じたといいます。
「川田夫妻のおかげで、こんな素晴らしい“山荘”にめぐり会えたんです。ご夫妻の心を継いで生きていくことが、使命だと思っています」と、この「日吉山荘」、そして現在の「鼠入邸」で過ごす自身や家族の人生、そしてこれからの人生絵図も、そっと鼠入さんは語ってくれました。
そんな鼠入さんの庭の最大の特色は、そういった歴史的背景をも活かした「自然を大切にした」庭作り。「先月のオープンガーデンの初日に、偶然、絶滅危惧種の“金蘭(きんらん)”が、隣接する慶應義塾の敷地側で咲いていることを、敷地の樹木の伐採を行っていた慶應の庭師さんが教えてくれたんです。初参加のオープンガーデンの時は、つい大見栄を切って庭を不似合いな派手な花たちで飾ってしまっていたのですが、今は庭の自然、今の時期にしか見れない新緑、若葉が織りなす天然の緑の色合いを大切にしています。ぜひ、一人でも多くの皆さんに観にきてもらえたら」と、今回のオープンガーデンに向け、多くご来場いただけたら、との想いも語ってくれました。
「港北オープンガーデン」5月の部は、2016年5月13日(金)から15日(日)10時から16時まで開催。日吉駅発のガイドツアーも各日10時からと、13時30分からの一日2回の開催を予定しています(各回先着20名まで)。
開催の詳細については、下記のリンクをご参照ください。
【関連記事】
・日吉街あるきで旅行気分、港北オープンガーデンの「ルート案内ツアー」は土日が人気!(2016年4月23日)※鼠入さんの庭の紹介あり
・<港北オープンガーデン>4月は22日(金)から3日間、日吉・綱島・大倉山駅に案内所も(2016年4月18日)
・<港北オープンガーデン>慶大時代にカレッジフォークで旋風、万里村さんが日吉の庭を公開(2016年4月10日)
【参考リンク】
・川田 寿(カワダ ヒサシ)とは(コトバンク~20世紀日本人名事典)
・連載「社中の心」浅沼清之さん(昭36経)2007年6月号~8月号(神戸慶應倶楽部)
・港北オープンガーデン(横浜市港北区ホームページ)
・第4回港北オープンガーデンについて(横浜市港北区ホームページ)
・第4回港北オープンガーデンパンフレット(一括ダウンロード:[PDFファイル])