木月4丁目の「焼肉交差点」から焼肉店が消えてしまった!最後の1店も閉店 | 横浜日吉新聞

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元住吉側の綱島街道から見た木月4丁目交差点、右手に「北京」、左手に「樹樹」の建物が目に入る(2016年1月29日撮影)

元住吉側の綱島街道から見た木月4丁目交差点、右手に「北京」、左手に「樹樹」の建物が目に入る(2016年1月29日撮影)

「焼肉交差点」から焼肉店が消えてしまった――。木月4丁目交差点(川崎市中原区)付近で最後まで残っていた「樹樹(じゅじゅ)」が2016年1月14日をもって閉店しました。一時期は4店舗あった焼肉店はゼロとなり、焼肉交差点の呼び名も“昔話”となってしまうかもしれません。

焼肉交差点は、綱島街道と尻手黒川道路が交わる付近で4軒の焼肉店が“集積”していたことからそう呼ばれていました。全盛期は日吉側に2軒(「北京」「樹樹」)、綱島街道の東急元住吉車庫(元住吉検車場)側に2軒(「新福」「公苑(こうえん)」)という構成でした。

1月14日で突然の閉店となった「樹樹」

1月14日で突然の閉店となった「樹樹」には店主が突然の閉店を詫びる手書きの紙が貼られている

交差点の四隅に焼肉店があるというわけではなかったものの、元住吉側から綱島街道を日吉へ向かって車で走ると、大型店の北京や樹樹の看板が両目に飛び込み、さらに右側を見ると2軒の焼肉店がほぼ並んで営業しているといった風景から、焼肉交差点の呼び名が生まれたようです。2000年初頭には4店が合同でキャンペーンを行ったこともあるといいます。

ただ、2000年代前半に公苑が店を閉じたことを皮切りに、その1軒隣のビルにあった新福も2010年ごろまでに閉店。交差点を代表する店だった北京は昨年(2015年)4月に火災が発生して休業となり、昨年11月には元住吉駅近くのブレーメン通り商店街に移転しています。最後まで残っていた樹樹も後を追うように突然の閉店となってしまいました。

「焼肉交差点」の正式名称は木月4丁目交差点

「焼肉交差点」の正式名称は木月4丁目交差点

交差点付近で長年商売を営んでいる店の店主は「綱島街道が拡張される際、たまたまこの付近に焼肉店が移転してきた」と焼肉交差点と呼ばれるようになった背景を説明します。

一方、木月4丁目の交差点までは元住吉駅から歩くと7~8分、日吉駅からだと13~14分かかるだけに「北京は少し駐車スペースを持っていたが、それ以外の店は駐車場がなかったので苦しかったのではないか」と指摘していました。

現在のところ営業中の焼肉店はなくなってしまいましたが、北京と樹樹の跡地については活用法が決まっていない様子ですので、新たな“焼肉交差点”が復活する可能性はまだ残されています。

【参考リンク】

「はまれぽ」による移転開業した焼肉北京のレポート記事、ページ下部に「焼肉交差点」の説明(2015年12月8日)

武蔵小杉ブログ(武蔵小杉ライフ公式ブログ)の焼肉北京に関する詳細記事(2015年10月8日)

焼肉樹樹(食べログ)


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