1994年から23年間、箕輪町の交流を支えたギャラリーが11月末で閉鎖することになりました。
箕輪町3丁目で「池田理容室」を経営する池田由蔵(よしぞう)さんが、理容室横で運営してきた「ギャラリー池田(レンタルホ-ル池田)」は、11月20日に開催された箕輪町商工会(飯山清志会長)の月例定例会での使用を最後に、事実上貸出も終了。来年(2018年)春からのオープンを目指す児童向け英会話教室に会場スペースを提供することになったといいます。
池田さんは秋田県生まれ。「いとこがこちらにいたので」と横浜へやってきた池田さんは、全国唯一の公立高等学校別科としても知られる横浜商業高校の理容科(磯子区)に進学。卒業後は横須賀の理容室で修業、夢だったという独立開業は石川町(中区)で、今から47年前の1970年に果たします。
石川町の店が「賃貸だったので」自分たちの物件で開業したいと、新天地を求め、時間をかけてこの地を探したという池田さん。
現在の場所を選んだ理由は「当時の不動産会社から“東横線はオシャレだから”“都心に近いから”と勧められたので」。今の時代と変わらないキャッチフレーズでの誘いと、横須賀での下積み時代の恩師の勧めもあり、箕輪町での開業を決意したといいます。
今からちょうど40年前の1977年9月、「池田理容室」をオープン。しかしながら、下町風情で商人の街だった石川町と違い、日吉周辺、特に箕輪町周辺の客層は「サラリーマン」。行動も考え方も石川町の顧客と全く違い、「当初は大変苦労しました」と池田さんは微笑みます。
「商売が軌道に乗るまで4、5年はかかりました」と、池田さんの妻・よし子さんが語るように、地域に溶け込むためにはと、日々努力をし続けた池田さん夫妻を支えたのは、箕輪町に移ってからも石川町時代から変わらず通い続けてくれた人々、そしてこの箕輪町で少しずつ増えていったお客様だったと、池田さん夫妻は懐かしい当時を振り返ります。
商工会立ち上げにも参画、「ギャラリー池田」開業で“皆が集う”場作り
箕輪町での開業から17年経った1994年夏に、池田さんは飲食店などとして使われていた店舗スペースを買い上げ、「ギャラリー池田」をオープン。
地域活動にも積極的にかかわっていた池田さんは、「箕輪町商工会」(1986年設立・当初は箕輪町商店会)の立ち上げメンバーの一人としても活躍していましたが、当時、同商工会の定例会を開催していた、初代・小島清会長(現:箕輪町町内会会長・日吉地区連合町内会会長)が経営していた中華料理店「梅ヶ枝」(箕輪町1)の宴会場も繁忙を極めていたことから、ギャラリーのオープン以降、定例会の会場として新たに使用されることになったといいます。
約33平方メートルのギャラリー空間は、人口が急増していたためか不足気味であった近隣マンションの管理組合の会合や、近隣企業の研修、趣味の教室会場としても多く使われたといい、「特に花の教室には多く使っていただきました。語学やカラオケ教室もありましたね」と、23年間の歴史をたどる池田さん。
とりわけ商工会の会合ではたくさんのことを学べたといい、「それぞれの商売も大切でしょうが、月1回、勉強会として集まる時間は、和気あいあい、とても大切な時間でした。同世代や近い世代のメンバーを中心に、様々な交流ができ、いろいろなこと、知らないことを教わることができたんです。そして、その語らいの中から“判断する”力も得られたと思います。こうして“集う場”こそが真に大切と思える時間でした」と、自身、会場を盛り上げつつ会を続けてきたことの意味、そして会場に集う新旧仲間たちへの感謝の想いを、今も強く感じているといいます。
“日吉をより良い街に”との想い、ギャラリーは英会話教室として次世代へ
いよいよ年齢も70を超え、これからの仕事や余生を考えた時に、「ギャラリー閉鎖」という選択を池田さんは決意したといいます。
近年、年齢的にも煩雑と感じるようになってしまったという「場所貸し」の手間から解放され、ギャラリーのスペースは新しく来春オープンの英会話教室に生まれ変わることになり、早くも改装工事がスタート。
「(ギャラリー閉鎖の)寂しさはありますが、子どもたちの声でにぎわう場になれば、と。自分の子どもたちも“英語を使う”仕事に就いています。今は、日本だけで物事を考えているだけでは収まらない時代。ぜひ、英語や語学も使える、国際社会に通用する人材がこの日吉から育ってくれたなら」と、これからの未来に馳せる想いについて語ります。
これから開発が進む近隣の日吉箕輪町計画(箕輪町2)など街の変化についても、「地域の人々には、ぜひ『若い人』の考えを聞いてもらいたい、と思っています。新しいノウハウを持つ人々が入ってくれば、必ずさまざまなことが循環すると思うので」と、より良い物件を提供し、より“日吉(の街)に合った”人々を積極的に受け入れていってもらいたい、とも提言します。
町内会などの活動の第一線からは既に退いているものの、現在も港北交通安全協会のボランティア活動に参加するなど、地域のために活動をし続けている池田さん。
「この理容室の付近は、引っ越してきた当時はまだこんなに家もなくて。前のバス通りはまだ未舗装で、砂利(じゃり)道でした。線路も、まだ高架ではなく、朝晩は踏切が閉まると日吉台中学校の付近まで渋滞ができていたんですよ」と、懐かしい風景がこの街にあったことを知る、数少なくなった「商店主」としての存在感。
「ギャラリー」を運営してきた23年間の想い、そして半世紀にも迫る「理容室」のこれまでの記憶を胸に、池田さん夫妻の新しい歴史が、またこの街で続いていきます。
【関連記事】
・<都計審>高さ60mの「箕輪町計画」を原案のまま可決、傍聴者からは怒号(2017年11月14日)※近隣の計画地に最大20階建ての1320戸のマンション群が出現へ、2020年度中に全面完成予定
・全国的に珍しい巨大な日吉の「自治会・町内会連合会」、四半世紀ぶりに新会長(2016年6月18日)※箕輪町商工会初代会長の小島清さんと、小島さんが経営していた中華料理店「梅ヶ枝」(閉店)に関する記述あり
【参考リンク】
・池田理容室(レンタルホール)閉店の告知など(みんなのわ~箕輪町商工会~横浜市港北区)
・池田理容室(産業Navi)
・箕輪町商工会(箕輪町HP委員会)
・2012年4月11日「交通安全」の記事(箕輪町HP委員会)※交通安全ボランティアについての池田さんのブログ投稿記事